⑧ タブラ・ラサと混色





「それから日を二巡りし、警邏隊を連れたウルアがわたしたちを見つけた。


 盗賊どもの言っていた通り、集落の者たちは復讐を恐れて手を貸してはくれなかったために警邏隊を探してずっと向こうの村までウルアが走ったからだ。


 発見された時、すでにヤツらは姿をくらましていた。


 わたしは意識を失ったまま集落で手当てを受けなんとか回復した。


 だが、リウフはダメだった。


 水も食事も与えられず、殴打され裸のまま放置された体はもたなかったのだ。


 そして遠き人種との交わりが時に母体となる者の命を危険にすることは知っておろう?


 「発見」されたリウフの顔は芋のように腫れ上がり、身体じゅうが青紫にくすんでいた。


 口の中には糞が詰め込まれ、手足はあさってに折れ曲がって木に吊るされていた。



 リウフは好き勝手に弄ばれ、嬲られ、殺されたのだ。


 己で汚しておきながら、ヒトをまるで汚物のように扱い、そして、捨てたのだ。


 ・・・・・・・。


 キペよ、・・・いや、そうだな。


 よかった。わたしの話を聞いて、・・・・そう感じてくれて。」


 ぶくぶくと音が聞こえている。

 血の音とは異なる、どくどくと沸き立つ黒い音だ。


 そしてそれを諫めるように流れた、とめどない涙の干からびた悲しい音だ。


「・・・。」


 不思議とその光景はキペには見えていた。


 まるでその泥臭さ、汗臭さ生臭さまで嗅ぎ取れるかのような光景が、熱くなる頭の中に映し出されていた。そして感じていた。


 だからわかる。


 わかってしまう。


「このような拷問をハタに見れば残酷にも映ろう。

 本物の苦痛を、本物の怒りを知らぬ甘えて育った愚民にはな。


 だがわかるであろう? この施設に名前を棄て、世間を棄て、誇りも未来も棄ててやってきた者たちの気持ちが。


 狂った者たちの、狂わされた憤激が。」


 ロウツだけではない。

 2891号も、監視員としてこのコロナィにいるあの子どもや老人たちも、同じような憎しみと怒りを持ってここにいる。

 収監されている者の数ほどに。

 きっと、それ以上に。


「・・・。」


 怒りも、憎悪も、悲しみも虚無感も殺意も苦痛も果てることはない。癒えることはない。


「・・・・うぐっ。」


 ぶくぶくぶくと沸き立つ音が加速する。埋め尽くす。


「・・・ふ・・くっ!」


 そんな頭の中が黒に染められるキペの顔には、常人では考えられない野太い血管が浮き上がりのたうっていた。


 それはミミズのようにうねり拍動し、不気味に顔を体を覆い尽くしている。


 まるで怺え切れない獣の雄叫びが形を成して出口を求めているかのように。

 出口を、果てることのできる、終わりを望める最後の出口を探し求めるかのように。


「・・・そなたにもできるのだ、キペ。できてしまうのだ、2891号と同じことがな。

 正義を求める心が正しき光に導かれれば、できてしまうのだ。」


 そう、キペも思っていた。


 捻り棒を捻る。


 腕をねじ切る。


 生皮を剥く。


 爪を剥がす。


 歯を引き抜く。


 骨をへし折る。


 男根を切り割く。


 目玉を刳り抜く。


 その傷を焼き溶かす。


 全部できそうだった。


「・・・だけど・・・」


 可哀そうと思うからではなく、ヒトを傷つけることが悪いと思うからでもなく、何かが、それでもキペの暴れ出しそうな「獣」を、壊され続けた最後の壁に繋ぎ留める。


「そうか。・・・だがなキペよ、もう一つ聞いておいてもらいたいことがあるのだ。」


 心はもう、擦り切れる寸前だ。


 歯止めを利かせる理性がもう、崩壊寸前だった。


「そなたは・・・確か『ヲメデ党』の中におるはずだな?

 ならば知らぬか、ニポという娘の、もう一つの名を。」


 ぐる。


「ラカ、という名でな。神代文字という旧い言葉で「愚か者」を表す。」 


 ぐるる。


「名付けたのはとある村の教会主だ。

 身寄りのない子を育て――というより飼育か――養いながら悪銭を稼いでいた。」


 ぐるるる。


「ハナからまっとうに育てるつもりなどなかったのだ。

 音で呼べば可愛らしくも、意味で呼べば家畜以下なのだからな。」


 ぐるるるる。


「体ができあがる前からずっと、村の男たちに奉仕させていたらしいな。」


 ぐるるるるる。


「嘗め回され、咥えさせられ、ねじ込まれては夜毎遊ばれていたそうだ。」


 ぐるるるるるる。


「わかるか。好き放題にできる人形がひとつ屋根の下にいればどうする? その教会主の男とて好きなように毎夜毎夜使い込むことだろう。」


 ぐるるるるるるる。


「恐かっただろう、苦しかっただろう。終わりの見えない痛みが辱めが目の前の「親切な教会主」によって毎日続けられるのだからな。


 助けて、とも声を出せず、許して、の声に耳も傾けられず、今日も明日も変わることなく奴隷として穴という穴を道具に使われることが約束されていたのだ。

 抜け出せば酷い仕打ちが待っていたという。


 ・・・そんな惨忍な男にも、そなたはそうして優しくあれるか?」


 ぐるるるるるるるる。


「毎日だぞ。来る日も来る日も毎日だ。毎日毎日毎日毎日だ。」


 ぐるるるるるるるるる。


「いま一度問おうキペ=ロシェ。そなたはあの捻り棒を回すことができるか?」


 ぐるるるるるるるるるる。


「そうか。・・・ふふふ、では面白いことを教えてやろう。

 この「ダルマ」がその教会主なの――――」


 ぐるるるるるるるるるるるるるるっ!


「・・・・うっ!」


 もう何も聞こえない世界で目にしたのは、


「うああああっ!」


 足元へにじり寄っていたダルマの、


「わあああああっ!」


 怯えた目だ。



 ぐしゃん。



「あああああっ!」


 ぐしゃっ。


「ああぁあぁっ!」


 ぐちゃっ。


「あぁああ・・・」


 にちゃっ。


「ぁぁぁあ・・あ、あは、あははは、あははははははっ!」


 ずちゃ。


「あはは、くく、はははは。・・・あは・・・・・・


 はぁ。・・・正義なんて、いらない。


 ・・・もう、


 ・・・もう、いらない。」


 白目を剥いて笑い出すキペの目に、ぐちゃぐちゃになったダルマの姿はもう映っていない。


 一瞬の心の爆発と共に急激に異常発達した右足も、赤い肉と弱い骨を踏み潰す感触も、もう荒ぶるその獣の前ではありきたりな日常の中の余所事に過ぎなかった。


「もうよい、キペ。・・・もうよい。

 そなたの心はよくわかった。

 そなたには正しき心がきちんとある。

 そなたとわたしはもう、他人ではなかろう?」


 理屈ではなく、心でロウツはキペを繋ぎ留める。

 唐突に出会った教皇に「仲間になれ」と誘われても腹から同調できるはずもない。

 しかしこうして憎悪を分かち合い、同じ正義への理想を解り合えば短い時間で打ち解け合うこともできる。


 策としては荒削りながらも『ファウナ革命戦線』や『フロラ木の契約団』、『ヲメデ党』と旧『今日会』までもがユニローグへと邁進している今、とにかく時間が惜しかった。

 キペを殺人者にするつもりはなかったが、しかしこの奇策は完全に成功したようだ。


「はぁ・・・はぁ、はあ。」


 その興奮からまだ瞳孔が開いたままのキペは膝に手を置き、息を整えて目を向ける。


 返り血に染まった装衛具、明らかに太くなった右足とそれに連なる上半身の筋肉、その代償としての激痛と空腹さえも通り越した疲労感、そして、ヒトに踏みつけられたとは想像できないほどに潰れて汚れたひとつの死体。


「はぁ、・・・はぁ。」


 折れて突き出たあばら骨はそのまま皮膚を破って引き裂き、べちょりとこぼれた血まみれのハラワタは千々に散っている。

 恐怖も後悔もない中でしかし、キペの体は震えていた。

 起きた惨事に、その現実に心が気付くと上りきっていた血は引いてくるのだろう。


「はぁ。・・・ロウツさん・・・このヒトは、本当に教会主ですか。」


 木枠で保護された頭さえも踏み砕いた原形のない「ヒト」を見下ろし、ぼそりとキペはひとつ尋ねる。

 思い出される感触が、とうに老人であって然るべき教会主の肉とは思えなかったのだ。


「ふふ、すまぬな。騙すつもりはなかったのだ。

 本物の教会主はもう死んだ。もちろん、このコロナィでな。


 だが恨むな。

 このダルマも同じような罪を犯してこの体になったのだ。そなたはまったき正義に従い遂行したまで。それは罪でもなければ過ちでもない。罰も戒めもそなたには不要なのだ。迷うことも悩むこともない。


 だからこそ、今のそなたには見えているのではないか? 進むべき道とその先が。」


 正義の裁きのその執行。

 まっすぐに沸き上がる感情に道理を預けた点でそれは一つの「個」の正義だったのかもしれない。


 法という「社会」の正義に従えば彼ら囚人たちを罰することはできても、裁くに於いて罪が生まれなければ何も始動しない。


 さりとて力で悪を根絶やしにすれば不審と猜疑が不安となって世を覆う。

 正義を振り翳す「力」が増大すれば、今度は誰がその「力」を裁けるだろう。


 そんな問いにもし答えがあるとするなら、それは。


「もう、・・・もう自分を信じるだけです。・・・疑いはじめたら、キリがない。」


 クタクタになってうなだれるキペをロウツは満足そうに眺めて笑む。

 険しい道、疑わしい道、惑いすくませる道を歩ませる最も強力な原動力を与えたから。


 ロウツ自身はもちろん、ルマやシクロロン、モクやスナロア、歴代の指導者すべてが抱き、魅入られ、そして加速させた「正義の力」。


 独善、だ。


「ふっふっふ。それでよい。そなたはそなたの正義に従って手を貸してくれさえすればよい。煩雑で面倒な厄介事はわたしに任せよ。

 ・・・さ、ゆくぞ。そなたを待っているわたしの仲間がいるのでな。」


 そう言ってロウツはまた、にちゃりと一つ笑んでその部屋をあとにする。


 ぬちゃぬちゃとする足を、内臓を撒き散らして潰れた死体の悪臭を、その顛末をふーふー言いながら横目にしていた囚人の静寂を引き摺りキペもそれに倣って歩き出した。


 狂っていると思い込んでいた世界の側から改めて目を上げると、今まで見えていなかったものがぶら下がっていた。


 いくつもいくつも漂うように、揺れていた。

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