図書室の冴子さん

 授業が全て終わり、図書委員の俺と蒼生は図書室で委員会が始まるのを待っていた。

 

 委員会が始まるのは三時四十分で、今は四十五分。

 依然として、委員長の茅乃先輩の姿は見えない。


 何やってんだ、あの人。


 汐崎高校の図書委員会は各クラス二名ずつの三十六人に加えて、委員長と副委員長が一人ずつの計三十八名で構成されている。

 主な仕事は、同じ学年のランダムで選ばれたペアが本の貸し出しや整理、本のリクエストからの発注依頼などだ。

 それを一週間のローテーションで分担して行っていく。


 俺は今、2−2の鳥海冴子とりうみさえこという女子とペアを組んでいる。


「遅れてすみません」


 凛々しい声が図書室に響き渡り、委員長の茅乃先輩が姿を見せた。

 優雅な足取りで、副委員長の隣に腰を下ろした。

「では、委員会を始めます、礼」


 副委員長の号令で礼をして、委員会が始まった。

 

 今日の議題が茅乃先輩の口から説明される。

 どうしたら読書嫌いな人でも、図書室を利用してもらえるのかという議題だ。

 

 俺はこの問いに対する答えを持っている。

 エロ本コーナーを作るというものだ。

 これ以上のベストアンサーはない。


 そんなふざけた意見を発表する勇気もなく、俺は他の人の意見を聞くふりをしていた。

 あと数分これをしないといけないと考えると、めちゃくちゃしんどい。

 心の中で早く終了してくれと叫んだ。


「今週の当番の兎束君と鳥海さんは今日の放課後も五時まで仕事があるので忘れずに。では、起立、礼」


 十分間ボーッとしてただけの委員会が終了した。

 次々と生徒が図書室を退出していく。


「じゃあね、絋汰」

「また明日な、蒼生」


 蒼生と別れの挨拶を交わして、俺はテーブルに上半身を伏せた。


 せっかく委員会が終わったのに、まだ仕事があるなんて。


 俺は特大のため息をついた。


「元気がないわね、兎束君」


 顔を上げると、予想通り茅乃先輩がいた。

 俺はもう一回ため息をついた。


「委員会の後に仕事って、やっぱりブラックじゃないですか」

「あら、残業手当のキスはあげるつもりだったのだけど」

「キスで俺が満足するとでも?」

「まさか、兎束君。もっと過激なのがいいの?」

「それはもう、ハバネロの三倍は過激なやつを」

「兎束君ってスケベだったのね」

「ようやく分かりましたか。分かったなら、ゴーホームすることです」


 俺が図書室のドアを指で示すと、茅乃先輩はウィンクをして帰っていった。

 途端に眠くなって大きなあくびをする。


 基本的に学校はうるさい場所だ。

 誰かの笑い声、怒鳴り声、歓喜の声。

 人という言語能力が発達した生物が大勢いる以上、騒々しくなってしまう。

 

 そんな学校で唯一と言ってもいいくらい静寂に包まれた空間が、この図書室。

 ここでは大声で話すことは許されない。

 今、この瞬間も物音ひとつたってない。


 そんな空間にいたら、眠くなってしまう。

 図書室であくびをしてしまうのは、仕方のないことだ。


「あくびをするのはいいですけど、仕事中に寝ないでくださいね」


 注意されたので、その相手の方に顔を向けた。


 その人物は黒髪のセミロングを左右それぞれ少し編み込んでいて、優しい顔で笑っていた。


 片手に本を待っているので、もう本の整理を始めたようだ。


「あと、五分だけでいいからお願いします、冴子さん」


 そう言って再び顔を伏せる。

 もちろん寝るつもりでいる。


 鳥海冴子は図書委員会の仕事のパートナーだ。

 一年、二年と共にクラスは違ったが委員会が同じなので結構関わりがある。

 冴子さんと敬称だったり敬語を使っているのは、相手が敬語を使っているからだ。


 俺はいつも、同学年だからタメ口で話したいと思っている。


「朝が苦手な中学生みたいなことを言ってますよ。じゃあ、五分たったら起こしますね」

「ありがとう、冴子さん」


 しかし、五分で眠りにつけるほど俺は昼寝が得意じゃない。

 寝やすい体勢を模索しているうちに、肩をトントンと叩かれてしまった。


「紘汰君、朝ですよー。起きてください」

「あと、十分だけ」

「もしかして、おはようのチューがないと起きれませんか?」

「俺は白雪姫ではないですよ」


 男版白雪姫になるつもりはないので、我がままを言わずに自分で起きた。

 背伸びをして体をほぐす。


「客、全然来ませんね」

「客じゃなくて、お客様です。放課後は利用者が少ないですから」

「なるほどね。冴子さんはどうやったら利用者が増えると思う?」


 今日の議題のことと絡めて訊いてみた。

 冴子さんは顎に指を当てながら、考えを口にした。


「そうですね〜。お茶会とかはどうですか。クッキーとか紅茶を食べながら読書。これ、かなりいい線行ってるのでは」

「それ、いいですね。学校の金で食べるお菓子は、さぞ美味なんだろうな〜」

「でしょ?人のお金で食べる食事ほど、美味しいものはありません」


 多分、こんなことを言ってると誰も奢ってはくれなくなるだろう。

 現に冴子さんには奢りたくないと思っている自分がいる。

 フォアグラとか奢らされそうで怖い。


「紘太君はどうですか」

「どうって、奢りませんよ。割り勘ならともかく」

「違います、どうやったら利用者を増やせると思いますか」


 これは返答に困る。

 答えが分からないのではなく、これを答えていいのか分からないのだ。

 

 俺は下ネタは一日一回と決めている。

 ここで使うべきなのか。いや、使うしかない。

 二人きりの今がチャンス。


「覚悟してくださいね」

「そんなにすごいんですか。分かりました、期待してます」

「なんと、エロ本コーナーを作るんです。男性客が十倍に増えますよ」


 冴子さんはニコッと笑うと、中断していた作業を再開した。

 

 俗にいうスルーってやつだ。

 かなり勇気を出したのに、これは心が折れる。

 とんでもない痛恨の一撃だ。


「ところで、GWゴールデンウィークって何か予定ありますか」


 問題発言をして羞恥心でいっぱいの俺に、冴子さんが唐突に尋ねてきた。

 頭の中でカレンダーを確認する。


「三日、四日と土日は部活で、五日は暇です。それが何か」

「本を買いに行こうと思っているのですが、紘汰君もどうですか。たくさん本知ってそうなので」

「これはデートのお誘いと受け取っていいんですか」

「構わないですよ。絋汰君が望むなら」


 最近、ジョジョにハマっているので、そろそろ七部の漫画を買おうと思っていた。

 だから、この提案はちょうど良かった。

 特に断る理由はない。


「日程と待ち合わせ場所、時刻は冴子さんに任せます。俺合わせるんで」

「では、お言葉に甘えて。五日の午後三時に幕張豊砂駅南口の自販機の前で」


 了解と返事をして、俺も本の整理を手伝った。いつの間にか眠気は吹っ飛んでいた。


 集中して作業を続けること十分。

 ひたすら本棚を美しくすることに時間を費やした。

 汐崎高校の図書室は二階もあるので、蔵書がとても多い。

 一つの棚を整理するだけでとても疲れる。


 気づけば、作業をやめて推理小説を手に取っていた。


「絋汰君、手が止まっていますよ」

「止まるどころか、ページをめくる手が速くなっています」

「全く…。何を読んでいるんですか」


 冴子さんが近づいてきて、俺の読んでいるページを覗き込んできた。

 顔との距離が近いので、少しドキッとしながらも再び本に視線を落とした。


「これ、綾辻行人あやつじゆきとの『迷路館の殺人』ですよね。私読んだことありますよ」

「頼むからネタバレはよしてくださいよ。じゃないと、図書室爆破しますからね」

「どうぞご自由に。ミステリー好きなんですか」

「それはもう。人がばったばった死んでいくのは楽しいですからね」

「絋汰君ってサイコパスシスコンスケベゴリラだったんだ」

「ゴリラだけは否定させてください。冗談ですよ。単に叙述トリックや伏線回収のたびに襲ってくる驚きが大好きなだけです」

「つまり、騙されるのが好きってことですか」

「そういうことです」


 読んでいた本を元に戻して、再び本を正しく並べる。

 今日は顧問が体調不良ということで、部活はない。

 なので、ゆっくりと作業をすることができる。


 途中で面白そうな本を見つけたら、少し読んで並べて戻す。そんな単純作業を俺は繰り返していた。


 よく、トイレを見ればその人物のことがわかるというが、それは本棚も同じだと思う。

 本を綺麗に並べて戻さない人は多分大雑把なやつという風に。

 そしてこの学校は、大雑把なやつが多いらしい。


「ようやく終わった……」


 作業が終了し、俺と冴子さんはカウンターで休憩を取っていた。

 

 休憩といっても、本を借りる人が来たら貸し出しをしなくてはならない。

 だが、放課後は部活や他の委員会などで、大抵の生徒が忙しいのでそういった人はほとんど来ない。

 俺は束の間の休みを楽しんでいた。


「珍しく真面目に働いていましたね」

「真面目にやってた冴子さんに言われると、皮肉にしか聞こえないんですが」

「百パー皮肉のつもりで言いましたよ」


 器用な人だと思った。

 本を読みながら、俺みたいな人間と話せるなんて神技だ。

 俺だったら読書か話すかどちらかしか選べない。

 見たところ本の内容も頭に入ってるようだし。


「冴子さんはスーパーマンですね」

「絋汰君、褒めて好感度上げようとしてますか。私、そんなチョロい女じゃないですよ」

「違いますよ。読書しながら俺と話すことに感心しただけで」

「それ、読書か俺かどっちか選べっていう紘汰君なりの告白ですか」

「どちらもできて器用だなってことですよ」


 冴子さんのからかいはことごとく無視して、俺は思ったことを口にした。


 冴子さんは「そうですねー」と人差し指を頬に当てながら、考え始めた。

 なんでもない会話のつもりで聞いたのだけれど、真剣に考えている。


 やがて冴子さんは口を開いた。


「器用っていうよりは、欲張りなんです、私」

「というと」

「読書も絋汰君と話すのも、どっちもしたいんです」


 冴子さんらしいと俺は思った。

 考えてみれば冴子さんには、器用って言葉より欲張りって言葉の方が似合ってる気がする。


 少し羨ましいと思ってしまった。


 俺は一つのことしか選べない。

 やりたい事がたくさんあっても、周囲の目や多くを選ぶ傲慢と思われるのが嫌で、一つしか選べない。

 多分、これは俺だけではなく、大抵の人間がそうなんじゃないか。


 しかし、冴子さんはそうではない。

 周囲の目や自分に対する評価よりも、自分のしたいことをする方が大切なのだろう。

 それは簡単なようで、すごく難しいことだ。


「やっぱり、冴子さんはすごいなぁ」

「惚れ直しましたか」

「惚れ直してはいないけど、俺の偉大な人リストに登録しておきます」


 そこで、キーンコーンカーンコーンと五時を告げるチャイムがなった。


 俺と冴子さんは支度を済ませて、図書室の窓を全て閉めた。

 そして、冴子さんと俺は図書室のドアを施錠した。


「鍵は私が職員室に返してきます」

「ありがとう、冴子さん」

「では、また」


 さようならと手を振って、俺は下駄箱へ移動した。

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