湖に掛かる橋の上で

 翌日の早朝。自分のテントは素早く片付け、ルルーベルとトビーの様子を確認してみた。


 相変わらずぐっすり眠るルルーベルと元気に車内を泳ぎ回るトビー。ひとまず変わりなさそうなので、騎士たちの片づけを待っている間に紅茶を入れることにした。


 太陽が昇り切っていない山の上は震えるくらい寒い。お湯を沸かしているキャンプバーナーの炎で暖をとりながら、今日もいい天気になりそうな空を見上げた。


 沸騰したお湯に茶葉を入れて少しすると、紅茶の良い匂いが漂ってくる。色が程よく広がったタイミングで6つのコップに注いだ。


 騎士たちへ渡す前に味見で一口飲んでみる。


 ……うん、まあ大丈夫かな。

 紅茶なんて淹れるの初めてだし、あんまり飲まないから味もよくわからないけど……ひとりで飲むわけにもいかないし、若干の不安を抱えつつ紅茶をひと段落ついた騎士の元へと運ぶ。


「お疲れ様です。これ、よければどうぞ」

「おお、ありがとう」

「淹れたことがないのでうまくできてるかわかりませんけど」


 保険の言い訳を述べつつ、私は紅茶の片づけへ戻る。運転中に飲む用として多めに作っておいたから、残りは空のペットボトルに入れておいた。


 そうして出発の準備が整ったのでエンジンをかける。


「あれ、ちょっと減ってる」


 ガソリンメーターが1メモリ分減っていた。もう壊れて動かなくなっちゃったものだと思っていたから変化があることに驚いた。


 治った? でも、ここまでの移動距離を考えると1メモリじゃ辻褄が合わないし、やっぱり壊れたままなのかな。


「どうしました? 何か問題でも?」


 発進しようとしない私を気遣ってリンドが声をかけてきた。


「あ、いえ! 大丈夫です。行けます」


 慌てながら返事をしつつ、私たちは野営地を出発した。野営地から離れると視界はまた森で埋め尽くされる。


 山頂から湖の方向へ移動するので今回は下りだ。引率組に追い付かないようブレーキを踏んで調整しながら3時間ほどかけて湖に到着する。


 再び視界が開けると、そこには一面の湖面と一直線に伸びる石橋があった。


 石橋はかなり立派な造りのようで、幅は広いし車や馬車が乗ってもビクともしない。しかも広い湖を横断してるから1km以上はあるんじゃなかろうか。


 防壁といい、こっちの世界の建築物はどこも規模が大きい。


 もちろん、日本にも長い橋はある。琵琶湖とか。でも日本の橋よりかなり水との距離が近くて、しかもゆっくり走っているもんだから橋の上からでも魚が泳いでいるのが見えた。


 鱗が陽光を反射して、キラキラ光っている。水が透き通っているのもあってとても綺麗だ。空魚とはまた違う味わい深さがある。


 とは言っても、あの時はじっくり見てる暇もなかったけど。


 こういう時は低速走行でよかったと思う。前との距離は気をつけなくちゃならないけど、のんびり湖を眺められるのはありがたかった。


「うぅん……」


 私が景色を堪能している時、不意に助手席から声がした。振り向くと、ルルーベルが目を開けているのが見えた。


「おはよう、よく眠れた?」


 あくまでも気さくに声をかけてみれば、ルルーベルは寝ぼけ眼でのそりと上体を起こす。


「おはようございます……あれ、ここはどこですか?」


 周りを見渡しながらルルーベルは首を傾げる。


「名前はわかんないけど、ウェルガムから山1つ超えた所にある湖だよ」

「山1つ……? 出発してから何日経ちました?」

「まだ1日だよ。そういえばいつもは3日くらい寝てるって聞いたけど、大丈夫? まだ寝ててもいいよ」

「いえ、大丈夫です。むしろいつもより調子がいいくらいです」


 ニコリと笑うルルーベルの顔色は街を出発した時よりもかなり良くて、私に気を遣って言っているわけではなさそうだった。


 車内で寝たのがよかったのかな。テントや馬車よりは快適だろうし。


「それならよかった。あ、干し肉とかあるよ。お腹空いてるでしょ?」

「わぁ、すみません。いただきます」


 まだ頭が完全に覚醒しきっていないのか、ほわほわした感じで答えた。


 その様子にほんわかしながらも、運転席と助手席の間にある、膝置き収納に忍ばせてあった干し肉の欠片を取り出してルルーベルへ渡してあげた。


「紅茶もあるからほしかったら言ってね。でも、それだけじゃ足りないでしょ。お昼までまだ時間あるし、橋を渡り切ったら食事休憩してもらえるようリンドさんに頼む?」


 水筒とかあれば昨日の味噌汁もどきを取っておけたんだけどなぁ。


「起きてすぐはあまりお腹が空いていないのでこれで充分です。お気遣いありがとうございます」


 もぐもぐと干し肉を食べながらルルーベルは言った。


「そう? まあ、起きてすぐ食事はしんどいよね」


 特にぐっすり眠った後は余計に空腹は来ないものだ。私も朝はコーヒーくらいしか飲まないし。


「それにしても、ウェルガムの近くにこんな綺麗な場所があったなんて初めて知りました」

「そうなんだ。3日も寝てれば通りすぎちゃうか」


 移動時間が好きな私からすればこういうスポットを寝て見過ごすのはもったいないと感じてしまう。けど、一週間以上も移動しなくちゃならないんなら、3日くらいは寝て過ごした方が楽なのかな。


 なんて考えていると、不意にピチチッ、と後ろから音がした。聞き慣れない音にバックミラーで確認してみれば、トビーが活発的に動き回っている。


 いつもは悠々と回遊しているだけなのに、どうしたんだろうか。もしかしてトイレとか? そういえば、フンとか見てないなぁ。


「止まれ!」


 呑気にトビーを観察していたら前から怒号のような声が飛んできて、私は慌ててブレーキを踏む。


「な、なんですか? どうかしたんですか?」

「静かに」


 窓から顔を出して問いかければ、ぴしゃりと言われて口を紡ぐ。リンドの左右を固めていた騎士が、剣を抜いて右を向いた。


 恐る恐る、私も右側に顔を向ける。


 そこには変わらず、キラキラと輝く湖面が広がっていて――穏やかに見えていた水面の一部が盛り上がっているのに気が付いた。


 そして、その下には巨大な影が見える。水中を何かが移動している様子だとわかって、ゾッと背筋が凍る。遠目から見てもかなりの大きさだ。


 もしかして、迎え撃つつもりなの? 逃げた方がいいんじゃないの?


 戸惑っている間に謎の影は橋の真横まで近づき、激しい水飛沫を上げながらその姿を現した。


 現れたのは爬虫類と魚類を足したような怪物だった。魚のように先の尖った顔の左右にはヒレのような耳のような部位が付いていて、ぱっくりと割れた口には無数の鋭い牙が並んでいる。


 目は黄色く真ん丸で、見ようによっては愛嬌がありそうだけど、縦長の黒目が野生生物の内側にある凶悪な部分を強調していた。


 何より、デカい。水面には上半身しか出ていないはずなのに、車の数倍はある。少なくとも噛みつかれた一発でアウトだと分かるくらいには体格差があった。


 こ、これも魔物……? いや、疑問に思うまでもなく魔物でしょ。こんなのが空魚とかと同じ生物とは到底思えなかった。


 睨み合い、というよりもなるで吟味するように魔物は私たちを見下ろすと、大口を開けて咆哮を上げた。


 お腹の底を震わせるような、本能から危険を湧き上がらせてくるような声に、私は恐怖で全身の力が抜けるような錯覚を感じる。


 いや、これは錯覚なんかじゃなくて実際に腰が抜けてるんだ。きっと座席に座っていなかったらその場にヘタレ込んでいたに違いない。


 そんな私を他所に、車の前後にいた騎士たちが何かを叫んだ。すると切っ先から電撃のようなモノが飛び出し、魔物を直撃する。


 魔物は短い悲鳴を上げて身体を仰け反らせ、水面へと巨体を沈ませる。


「え、に、逃げた……?」

「ヤカタさん! 前へ! 急いで橋を渡り切りましょう!」


 リンドが叫ぶと前の馬たちが駆け出す。どうやら危機は去ったわけじゃないらしい。


 私は前を向いてアクセルを踏んだ。


 全力でかっ飛ばしたかったけど、リンドたちを追い抜くのは危ない気がして追従する程度の速度に留める。それでも50km/hは出ているので、かなり速い方だと思う。


 私は震える手を抑えるように、ハンドルを握り締める。


「な、なにあれ……! ヤバいって……! 絶対ヤバいって!」

「湖竜(こりゅう)ガブトースです! 山の中の湖を行き来する魔物なんですが、こんな人里近くにまで現れるなんて」

「あんなのが普通に生息してるの、いくらなんでも修羅の世界すぎるでしょ!」

「い、いえ、普通ならもっと山奥とか、滅多に人目には触れない場所に生息してるはずなのですが……」


 え、そうなの? 雲鯨といいレア生物に遭遇しすぎじゃない、私?


「あれ? もしかして私のせいだったりするのかな? もしかして変な匂いとか出てたりする?」

「えっ? いえ、別にそんなことはないと思いますけど」


 なんて話している間に橋を半分渡り切った。だけど、ガブトースの水中移動の方が速いみたいで、あっという間に追い付かれた。


 頭も出さず、水中に潜みながら私たちの真横を並走してくる様子はパニック映画なんて非じゃないくらいの恐怖体験だ。雲鯨の時とは違って、私たちを狙って来ているとわかるのが余計に脅威であることを実感させられる。


 あの巨体であれば橋の支柱を破壊することは簡単そうだけど、そうしないのは何かしらの仕掛けがあるんだろうか? それともただ並走するだけで精いっぱいなだけなのか……。


 どちらにせよ、陸地まで辿り着ければ私たちの勝ちだ。あと3分の1を切った。


 このまま逃げ切れるかと安堵しかけた刹那、水中から一筋のか細い水流が私たちの目の前を下から上へ通過する。


 それはアニメやゲームで良く目にするウォーターカッターのようで――。


 私がそう認識した瞬間に、進行方向の足場が割れて傾いた。

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