8.マムシちゃん、水泳を習う
第8話
「あ、カエルだ!」
マムシちゃんは、晩のおかずのカエル捕りをしていた。
「あそこか……」
マムシちゃんが狙っているのは、池の真ん中にある岩の上のアマガエル。
「うーん……」
マムシちゃんはあごに手を付けて考えた。
「よーし!」
手のひらに拳をポンと叩いて、決心した。
「はっ!」
マムシちゃんが、池にダイブした。まるで、水泳選手のように。しかし。
「かはっ! ごぼっ! 助けっ……」
おぼれそうになった。その様子を、アマガエルは「けけけ!」と笑った。
「かはっかはっ! おぼ……おぼれる〜!」
なんとかアパートに帰ってきたマムシちゃん。びしょびしょになった服を着替えて、居間に寝転んだ。
「はあ〜あ! 私って、どうしてカエルが好きなのに泳げないのかしら……」
マムシちゃんは、小学生、中学生、高校生と、体育の成績はゼロだ。なぜなら、どんくさいし、運動神経がないから。
確かに、ニホンマムシはどんくさい。でも、踏まれたりしたり、いざって時はすばやく敵にかみ付いてくるからあなどらないように。
大概のヘビは、水面を這うように泳ぐ。ニホンマムシも泳げるが、他の種より下手っぴだったりする。
「わたくしマムシちゃんは、下手くそを通り越して、泳げないヘビだった!」
一人で胸を張るマムシちゃん。
「どうしよう……。最近は田んぼにしょっちゅういたカエルたちが、減ってきてるし、市場でも他のヘビたちが買い占めてるし。じゃあ、人気のない……いや、ヘビ気のない場所を見つけてやるって一時間以上森をさまよった挙句、見つけた場所は、深い深いお池だったわけです」
マムシちゃんの上に、サーチライトが照らされる。
「ああ……。田んぼでも手に入らない、市場でも買えない、泳げない! このままでは、私は死んでしまうわ。お嫁さんになるという、夢を叶えないまま……。しょぼん……」
がっかりした。
でもすぐに立ち直った。
「泳げないなら、泳げるようになればいいのよ! どこか、腕っぷしのいい水泳教室ないかなあ」
さっそく、チラシや雑誌で探した。
「そうだ! どうせメジャーなところはみんな見つけてるから、私の席は空いてないわよ。ならいっそ、誰からも目を付けられていないような、マイナーなところにしてやる!」
チラシと雑誌をペラペラとめくり、人があまり来ていなさそうなマイナーなところを探した。
探して、三十分以上が経った。
「あった! なんかマイナーそうな水泳教室!」
チラシをテーブルにバンッと置いた。
「水泳教室アオマダラウミヘビ? なんかざっくりとした名前ね。でもまあ、電番があるし、ファックスもあるし、かけてみよーっと」
さっそく、マムシちゃんは水泳教室アオマダラウミヘビに、携帯をかけた。
『はい、もしもし』
電話越しの声に、ドキッとしたマムシちゃん。その声は、すごくイケメンだった。
「……」
呆然とするマムシちゃん。
『あの、もしもし? ご用件は?』
電話越しの人が聞く。
「ああっすいません!! わ、私チラシを見て、その……。す、水泳教室アオ……アオマダラ……アオマダラ教室に応募に来ました!」
緊張しすぎてかみかみのマムシちゃん。
『当教室の参加の電話ですね。ありがとうございます。では、ご希望の参加日、時間、お名前と電話番号を教えてください』
「え、えーっと。と、とりあえず土日の一時から二時で。名前はマムシ、電番は……」
電番を伝えた。すると、電話越しの声が言った。
『わかりました。ご希望の参加予定はいつでも変更可能ですので、お気軽にご連絡ください。では今週の土曜日、場所は海で行います。お待ちしていますね』
「は、は、はい!」
電話が切れた。
「こ、これは……」
マムシちゃんは、電話越しのイケメンと、あんなことやこんなことをする想像をした。
その想像とは、まず、イケメンは健康に日焼けした、筋肉質の若いお兄さん。海パン姿がお似合いだ。
『さあマムシさん。怖くないからね。最初は、バタ足からやっていこうか』
やさしく手を差し伸べて、マムシちゃんをエスコート。
『は、はい♡』
マムシちゃんは差し伸べられた手を握る。
二人は、差し掛かる太陽を挟んで、じっと、見つめ合った。
「きゃー!! これやっぱこうなるよね? 水泳教室キター!!」
ころころと転がるマムシちゃん。
「決めたわ! 私、水泳教室のお兄さんの、お嫁さんになる!」
またろくでもないことを発言するマムシちゃん。
「電話越しでもわかるくらい、いい感じの人だったし、これはあるよね? ついに来たよお父さんお母さん。私が夢見たお嫁さんへの道が、開かれる時が!」
マムシちゃんが一人暮らしを始めた理由は、大学進学も理由だけど、お嫁さんになるという夢を叶えることも目的だった。
「私がこの夢を持ったのは小学生。あれからうん十年、長い道のりだった……」
玄関で、靴に履き替えた。
「よーし。今夜は前祝いだ! 友達全員、おごっちゃうぞ〜」
と言って、友達全員にメールを送った。ごちそうをおごるからと。しかし、調子に乗るのはいいけど、本当に水泳教室の人と、結婚できるのだろうか。
土曜日。マムシちゃんは午後一時に海へと来た。
「海なんて久しぶりだなあ」
ニホンマムシは、まれに海岸でも見られることがあるので、海に来た時でもマムシに注意しよう。海の中には入ってこないけど。
「水泳教室アオマダラウミヘビはどこだろう?」
砂浜を歩いていると……。
「わあっ!!」
いきなり砂浜の中から、大きな旗が出てきた。そこには、"水泳教室アオマダラウミヘビ"と書かれてあった。
「え?」
目を丸くするマムシちゃん。
「ようこそ! 我が水泳教室へ……。とう!」
砂浜の中からジャンプするアロハシャツの人……ヘビ。
「な、なに!?」
ジャンプして宙に舞うアロハシャツの人を呆然と眺めるマムシちゃん。
「ぼふっ!」
アロハシャツの人の顔が、砂浜に埋まった。
「ぐぬぬ〜! ぷはっ!」
自力で抜けた。
「君か。水泳教室アオマダラウミヘビの生徒第一号は」
「え? あ、まあ、私今日参加するものです」
「こんにちはーっ!! 僕は今回の教室を担当する、アオマダラウミヘビでーす! よろしくよろしくよろしくねー!!」
マムシちゃんの手を握るやすぐ、ブンブンブンと勢いよく振った。マムシちゃんはその勢いに、当惑していた。
「始めに、ウミヘビには二種類いるんだ。僕はコブラ科のウミヘビ。エラ呼吸していないよ」
「え? じゃあ、海の中じゃ、息できないじゃん」
「そうだね。ちなみにコブラ科だから、神経毒を持っていて、超危ない。海岸で見かけても、触らないでね。ちなみに、僕アオマダラウミヘビは、ウツボやアナゴが大好き」
ウインクした。
「もう一匹のウミヘビは、ウナギ科の魚類のもので、こちらは毒がない。僕としては、やつらは中国が日本のものをパクったも同然だと思っているね」
「いやそれも日本の生き物でしょ?」
マムシちゃんがツッコんだ。
「君はニホンマムシのようだね。カエルやトカゲなどの小動物を好んで食べる」
「マムシちゃんって呼んでね。じゃあ私は、マダラ君って呼ぶよ」
「さあニホンマムシ君よ! 紹介はここまでにして、さっそく特訓しようじゃないか。あっはっはっ!」
マムシちゃんの肩を組んで、笑った。
「あ、はい……。マ、マダラく……」
「あっはっはっ! げほっげほっ! やべ、むせちった!」
笑いながらむせたアオマダラウミヘビに呆れるマムシちゃんだった。
「よーし。水着はオッケーかなあ?」
アオマダラウミヘビはアロハシャツから、海パンになった。青いまだら模様の海パンだ。
「はい……」
照れながら返事をするマムシちゃん。彼女は、スクール水着を着ていた。
「スクール水着ということは、ニホンマムシ君は小学生なんだね」
「なっ!? 大学生です!」
ムッとするマムシちゃん。
「えー? でも、スクール水着は小学生が着るものだろ?」
「いやいや高校生までなら着るでしょ! こ、これはその、お古というか、他になかったのよ!」
「まあいいや。さあまずは準備体操だ!」
と言って、ラジオ体操が流れた。マムシちゃんは、アオマダラウミヘビに合わせて、ラジオ体操をやった。
『ラジオ体操第二!』
と、CDの声。
「え? へ?」
マムシちゃんは、第二からついていくのがやっとだった。
「はっはっは! ニホンマムシ君、さてはラジオ体操第二ができないな」
笑われた。
「第一も一人じゃできませんよーだ」
あかんべーで返した。
ラジオ体操がおわって、ようやく海の中に入ることができた。
「冷たーい!」
足元だけでも、体の芯まで冷える。
「まずは水の中を歩いてみようか」
アオマダラウミヘビは歩いた。マムシちゃんは彼についていった。
始めは足元しかなかった海水が、だんだん腰までになり、終いには、胸元まで沈んだ。
「ひゃっ! あ、足が付きづらくなってきた」
つま先立ちするのがやっとだ。
「ニホンマムシ君は、水が怖いかい?」
「え? まあ、はい」
「じゃあ、つかまって。僕の手を離さないでいれば、安心だよ」
両手を差し出された。マムシちゃんはドキッとした。
(最初は変なヘビかと思ったけど、かっこいいし、そんなやさしくされたら……)
ドキドキしながら、彼の手につかまった。
「じゃ、顔をつけて、バタ足の練習からいくよ?」
「え?」
「はい始め!」
「えー!?」
いきなり始めるので当惑するマムシちゃん。
「ほらほら。バタ足バタ足」
「で、でも私バタ足できなくて。ていうか、ヘビはバタ足しないんじゃ……」
「擬人化した僕たちは、バタ足で泳ぐのさ。慣れたら、クロールもやってもらうからね。さあ、練習練習!」
「ひょえ〜!」
とりあえず、バタ足をやろうとした。でも。
「うがっ! ぱあっ! くはっ!」
体はバタ足ができる体勢にならないし、水を飲むし、おぼれてもいないのに、おぼれたように苦しむしで、さんざんだ。
「ニホンマムシ君、もっと体の力抜いて。顔は付けたまま体を浮かして。そうじゃないよ違う違う!」
結局なにもできないまま、砂浜に上がった。
「はあはあ……」
息を切らしているマムシちゃん。
「しょうがない。ニホンマムシ君、僕の泳ぎを見たまえ!」
海に飛び込んだ。次の瞬間、マムシちゃんは、感動した。
アオマダラウミヘビの泳ぎはきれいだった。ウミヘビだから、海の中をよく泳いでいるからだろうけど、クロールのなめらかな手の動き、バタ足の速さ、息継ぎのタイミングなど、見習いたいところばかりだった。
(そうだよね。ヘビって、普通はああやってすんなりと泳げるものだよね。なのに私はごぼごぼ言わせて、カエルにも笑われて……。情けない!)
今さら、悔しいと思う感情が込み上げてきた。
アオマダラウミヘビが戻ってきた。
「ニホンマムシ君。十分休憩しようじゃないか。実は僕、クッキーを作ってきてさ、君にもごちそうしてあげるよ」
「先生! 私、悔しいです。他のヘビは泳げるのに、どうして私だけ泳げないのか。それがほんとに悔しいです!」
「ニホンマムシ君?」
「カエルには笑われるし、それよりもカエルが食べられなくなっちゃうし……。先生、私がんばります。がんばります!」
真剣な眼差しを向けられて、呆然とするアオマダラウミヘビ。でも、すぐに微笑んだ。
「そこまで本気になった目を見たのは初めてだよ」
「え?」
「よーし! 君は生徒第一号だ。そう言ったからには、ビシビシいくよ?」
マムシちゃんも微笑んで言った。
「はい!」
本気になったマムシちゃんは、ビシビシ指導を受けた。アオマダラウミヘビに両手をつないでもらって(ドキドキしたけど)、息継ぎしながらバタ足の練習を、休憩を挟んで一時間続けた。もうすぐ一時間経つというところで、息継ぎをしながらバタ足ができるようになった。
「よーし。次は僕の手なしでクロールの練習だ。でも、ここじゃさすがに怖いので、浅瀬に移動しよう」
浅瀬に移動した。
「浅瀬は足元しか水がないので、やっぱり元のとこに戻ろう」
「えー!?」
マムシちゃんは、ハードルが上がったことに、ショックを受けた。
結局、バタ足の練習をしていた元の場所で、クロールの練習をすることになったのである。
「さあニホンマムシ君! ここまでおいでー! バタ足ができるようになった君ならできる!」
「無理よ! なんでそんな遠くにいるのよバカ!」
遠くにいるアオマダラウミヘビに怒るマムシちゃん。
「はっはっはっ! 水泳の道は険しいのだ!」
(無理だよこんな……。怖くてできない!)
さっきまではアオマダラウミヘビが両手を握ってくれていたから安心してできたが、一人になると、つま先しか届かない海水に恐怖を覚える。アオマダラウミヘビまで五メートルはある。
「できっこないよ〜!」
「やれやれ」
肩をすくめるアオマダラウミヘビ。
「ん?」
左を見て、驚くアオマダラウミヘビ。
「ニホンマムシ君!」
「なに?」
「逃げるんだ! 浅瀬の方へ、早く!」
マムシちゃんの方へ泳いでくるアオマダラウミヘビ。
「どうしたんだろう?」
ふと、波音がして、右を向いてみた。
「ぎ、ぎょえ〜!!」
巨大な波が、こちらへ襲いかかってきていた。ビックウェーブだ。よくサーファーたちの間で耳にするでかい波だ。
「あわ……あわわ……」
呆然とするマムシちゃん。逃げようとしたが。
「あたっ! あたた……」
右足をつってしまったようだ。水中でつる足の痛みは異常だ。
「ニホンマムシ君!」
マムシちゃんが沈んだ。そこへ、アオマダラウミヘビがすぐ助けに向かった。
「まずい!」
海中からマムシちゃんを抱いて出てくると、ビックウェーブから逃げようとした。しかし、ビックウェーブは二人をそのまま飲み込んだしまった。
「ニホンマムシ君……。ニホンマムシ君!」
目を覚ますと、そこには健康的に焼けたイケメンがいた。
「うへへ……。私をお嫁さんにしてえ……」
寝ぼけているマムシちゃん。
「なにを言っているんだ君は? あっ、もしかしてまだ目が覚めていないのかも……。よーし!」
マムシちゃんの半目に、アオマダラウミヘビの顔が近づいてくるのが見えた。徐々に、徐々に近づいてくる。
(これって……)
「はっ!」
体を起こしたマムシちゃん。
「ニホンマムシ君! 目を覚ましたんだね。よかったあ!」
「……」
顔が赤いマムシちゃん。
「あれ? さ、さっき大きい波が来て……」
「ここは砂浜さ。もう大丈夫だよ」
「ということは、私たち助かったんだね!」
「そういうことさ!」
マムシちゃんが喜んだのを見て、微笑むアオマダラウミヘビ。
「!」
照れるマムシちゃん。
「さあて。大きな波も来たことだし、君もバタ足と息継ぎができたんだから、もう教えることはないだろう」
「え、そ、そんな! まだ私一人で泳ぐのは怖くて……」
「チッチッ、ニホンマムシ君。ヘビは泳ぎのスタイルがなっていればいいのさ。人間様みたいに、特別な技術はいらないんだよ」
「は、はあ……」
「でもよくがんばったね。また来たかったら、いつでもおいでよ?」
微笑んだ。その微笑んだ顔がすてきすぎて、マムシちゃんは胸がドキドキとした。
「ううん!」
と、マムシちゃん。アオマダラウミヘビは首を傾げる。
「いつでもじゃなくて、毎日でいい。そのために私、あなたのお嫁さんになる!」
率直に言っているようで実は心の中では。
(なんでだろう……。いつも告白するよりもすごくドキドキしてる……)
アオマダラウミヘビは、なんと答えるのだろうか。
「ニホンマムシ君……」
「ううん。マムシちゃんって……呼んでほしいな。なんて!」
「いやウミヘビだよ僕。君はマムシだろ?どう考えても、結婚できないと思うけどな」
「え?」
「悪いけど、種類が違うんじゃあ、思いきって伝えてもらった想いも、水の泡だね」
マムシちゃんの中の
「でも、誰一人来てくれなかった水泳教室に本気で取り組んでくれて嬉しかったよ、マムシちゃん……」
アオマダラウミヘビは、横からマムシちゃんの耳元でささやいた。
「へ?」
海の方を向いた。気づいたら、彼はもう海に帰っていた。
「嬉しかった……」
水泳教室に来てくれたことを喜んでくれたのに、告白は受け入れてもらえなかった。でもちょっぴり嬉しいマムシちゃんなのだった。
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