第28話 子供だから出来る事が……あるハズだよ

 彼はジャケットのフードを被って駅から歩き出す。

 駅の階段を下りる彼はどこか遠くに行ってしまいそうだった。あたしはポケットに入れそうになった彼の手を握る。彼も握り返してくれて、繫がったまま共に歩いて行く。






「この辺りが地元なんだって?」

「……そうだよ」

「それなら、ちょくちょく帰ってるのか?」

「……親とは仲良く無いから。コハクさんが行こうって言わないなら……あたしに帰る理由無いよ」


 だから、カイトから逃げる時、親に頼ろうとは思わなかった。


「それでも、高校の時に仲良かった友達とか居るだろ?」

「……高校は退学して家出した。親からは縁を切られてる」

「何があったんだよ」

「……ん」


 あたしは自分の髪を指差す。


「まさか……その時からか?」

「……このメッシュ……お母さんが好きな色だったから」


“なにー、その髪色ー。ちょーキモー”

“夜神……確かにウチの高校じゃ二年生までは髪色は自由だが、ソレはやり過ぎだ”


「……同級生も先生もキモいってさ」

「見る目ねぇなソイツら」


 平然とそんな言葉をくれる彼に私は心が暖かくなる様に感じる。


「で、自主退学か?」

「……そ。正直、その時の周りは全部腐って見えたから」

「ポツリとスゲェこと言うな……」

「……ごめん。気持ち悪いよね」

「そう言う考え方、止めろって」


 彼は優しくそう言ってくれた。


「……父親にも凄く怒られた」

「お母さんの方は少しは共感してくれたんじゃないか?」

「……あたしを産んだお母さんは小学の頃に癌で死んだの。父は再婚して、その間で男の子産まれて、あたしは放置状態」


 酷い孤独感と虚無感を感じる様になったのは、その時からだったのかもしれない。


「……あたしは、その輪に入れなかった。お母さんの事……好きだったし」

「……そうか」


 彼は短く、それだけを言った。繋いだ手を握り返してくる力強さが、何があっても離さないと言ってくれてる様で安心感が心を満たす。


 駅から出てくる人達と一緒に、信号機と横断歩道を歩み、一人、また一人と少なくなって行くにつれて、あたしと彼だけが歩く夜道は住宅街へと向いていた。

 どこに向かっているのか。彼が何を見せたいのか。

 不思議と不安はない。しかし、嬉しい期待もなければ、ワクワクもない。

 彼はただ目の前にある“現実”だけを見せると言わんばかりに――


「――――ここだ」


 家々の並ぶ住宅街の中で、1ヶ所だけレゴが外された様に“売り地”となっている場所で止まった。簡易な縄の柵で囲われている。


「……ここ? 何もないけど……」


 彼は、あたしから手を離して縄の柵に触れると、こう言った。


「人を殺した」






 夕立翡翠ゆうだち ひすい。彼女はオレと同い年の幼馴染みだった。

 アイツの家は両親と歳の離れた兄貴の二人兄妹。

 家族仲は普通だったと思う。

 けど、高校一年の時、ヒスイの様子がおかしくなった。

 どこか歯切れが悪くて、家に帰る事を少し躊躇ってる様に感じた。

 ヒスイは感情をストレートに出す……右代宮みたいなヤツだったから本当にヤバくなったら相談してくれるとオレは思ってた。

 けど、アイツは学校の屋上から飛んだ。



「…………」


 彼は何もない“売り地”に視線を向けたまま、語り続ける。あたしは黙って全てに耳を傾けていた。



 子供が出来た。

 アイツは、飛び降りる前に柵の向こう側で泣いて笑いながらそう言った。

 始めてその事実は聞いたオレは何て言えば良いのか解らなかった。

 状況を呑み込むのが精一杯だったのに、ヒスイの抱える闇を受け止める事が出来なかったんだ。

 そもそも……高校生だったオレにはアイツを助けるには幼すぎた。

 ソレをヒスイは解ってた。

 だから、全部全部、自分が間違えたからこんな事になったって、産まれてくる子も間違いなく不幸になる。皆が元通りになるには自分が死ぬことが、一番正しいって言って、背中から落ちた。



 そこまで話しながら彼は額に手を当て、顔を歪ませる。



 その後は、すごい騒ぎになってさ。

 警察の事情聴取とかがクラスにも来て、何気なく皆、テンション高かった。

 ヒスイはクラスでもムードメーカーみたいな奴だったから、なんで自殺? って疑問の方が強かったんだと思う。

 オレは幼馴染みって事で入念に聞かれたけど、知ってることはちょっとした違和感を感じていただけで他の奴らとは大差無かった。


 けど、ヒスイの葬式の時に……外で電話するアイツの兄貴の会話を聞いちまったんだ。


“いや、ホントに危なかったぜ。勝手に死んでくれて全部丸く収まったんだ。ラッキー、ラッキー♪”


 ヒスイは実の兄に犯されてた。それも、高校に入ってから毎晩の様に。

 ソレを……ヒスイの両親は見て見ぬフリをしてたんだ。理由はヒスイの兄貴はヤクザだったから何も言えなかったらしい。

 けど、当時のオレはそんな事は知らなかった。

 ただただ、目の前の理不尽に理解ができなくて、葬式が終わった次の日、大雨が降る真夜中にヒスイの家に行ったんだ――


 




「こ、琥珀君……」

「……こんばんは……おじさん……」


 雨具を着て、ポタポタと水滴を垂らすオレにおじさんは驚いていた。


「こ、こんな夜中にどうしたんだい?」

「……ヒスイの兄貴……居ますか?」


 オレの言葉は大雨で聞き取りずらかったハズなのに、おじさんは何かを察したのか。


「琥珀君……帰るんだ……君は入っちゃいけない……」

「…………アイツは苦しんでた」

「……」

「オレは……一番近くにいたのに……気づいてあげられなかった」

「……君はまだ子供だ……それは仕方のない事だよ……」

「……だったら……子供だから出来る事が……あるハズだよ」

「…………琥珀君……」


 オレが中に入る事をおじさんは止めなかった。靴を履いたまま、家の中に入ると、台所のおばさんは驚いていた。

 それを気にせず、居間のソファーで酒を浴びるほど飲んで寝ているヤツを見つけて――


「――――」

「かー、がぁ!!?」


 その胸に家から持ってきた包丁を指した。

 その痛みにヤツは眼をかっ開くと、反射的にオレを突き飛ばす。


「痛っ……!!? なん……何しやがる!? 誰だ!?」

「……」


 オレは絶対に手に持った包丁は手放さなかった。痛みで上手く立てないヤツは胸を抑えて這いずってオレから少しでも距離を取る。


「テメェ! 俺が誰だか解ってのか!? ○○組の構成員だぞ!? テメェの家族も全員殺してやるからな!!」


 殺す。その言葉にヒスイの最後が強くフラッシュバックして酷い頭痛に視界が歪んだ。


「うる……さい」

「ギャア!!?」


 オレはヤツの足を刺す。暴れてバタつくが、それを避けて刺す。


「や、止めろ!」

「黙れ……」


 オレはヤツに馬乗りになると腹を指した。


「かっ……ぐぅ……」

「お前が……」


 胸を再び刺す。


“おはよー”

「お前が――」

「ま、待ってくれ! 頼む!」


 血の尾を引きながら振り上げてまた振り下ろす。


“今日も元気なヒスイちゃんだぜー”

「お前が!!」


 肉に入り込む感覚の先に色々なモノを貫く感覚が包丁を持つ手から伝わる。


“正義の味方だよー。あたしの名前はヒスイ。君は?”

「お前が! ヒスイを殺したんだ!!」


 オレは涙を流しながらヤツが動かなくなるまで何度も包丁を振り下ろした。

 そして――


「……すまない……」


 おじさんが包丁を振り上げるオレの手を掴んで止めた。


「すまない……翡翠……すまない……琥珀君」


 おじさんの謝るその言葉と雨の音がノイズの様に部屋の中に響いていた。

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