第5話
「そろそろ失礼させていただくわ。くだらないおしゃべりに付き合って、あることないこと噂されてもたまんない。おかしな話の発信源は、あなたの方ではなくて?」
「ちょっと。逃げるつもり?」
モニカは周囲の目に臆することなく、大胆なため息をついた。
「ま、王子がダメならラズバンさまよね。私でもそうするわ。切り替えが早いのは自分の役割をよく分かってるってことよ。せいぜい頑張って彼の『お心』を掴むといいわ。モルドヴァン家のアドリアナさまならいけるんじゃない? 王子と対等に張り合える一派といえばマリン家だもの。あなたがそこの第一夫人になれば、軍部はマリン家のもの。十分に相応しいお相手だわ」
お酒に酔っているわけでもないだろうに、モニカにしては珍しい物言いだ。
お妃候補になればなったで、新たな戦場が開くだけ。
彼女も戦っているのだ。
私と同じ。
「賢明な王子は、あなたを選んだのよ。もし私が王子なら、私でもそうするわ。だからあなたは、彼にふさわしい王妃になってね」
「ふふ。それで、アドリアナさまはこれからどうなさるおつもり? 自由な生き方なんて、所詮許されていないのに」
「そんなことがしたいなら、とっくにここから逃げ出してるわ。それはあなたも同じでしょ」
「あなたがライバルでよかった」
「ずいぶんな弱音を吐くのね。私はそんなこと欠片も思ってないから」
彼女が小さく笑って息を漏らすのを、聞こえないフリをして背を向ける。
私はきらびやかな社交界へ向き直った。
真っ直ぐに顔を上げ、華やかな広間を見渡す。
どんなことがあろうと、ここから逃げ出すつもりもないし、逃げたいとも思わない。
だからこの場にいつづけようと思うなら、居場所を確保するために戦わなくてはならない。
私が私でいられるために。
「だからこそ、もう忘れなきゃね」
自分が前に進むために。
マリウスが答えを出したのなら、私も答えを出さなくてはならない。
どれだけ大勢の人たちに囲まれていても、彼の居場所ならすぐ見つけられる。
王子がだめなら宰相の息子ですって?
そんなの分かってる。
私がすべきなのは、この世界で生きること。
モルドヴァン家を守ること。
もうすぐ父は亡くなる。
病の悪化はこれ以上避けられない。
女である私が軍部を率いる将軍家を守るために出来ることなら、なんでもする。
だけどそれは宰相の息子に取り入るんじゃない。
モルドヴァン家の傘下にいる血統のよい優秀な将校を、婿として迎えるか、自分で剣を持つことだ。
自分で剣を持つことは、幼い頃から見よう見まねでやっている。
これからは、もっと本気で取り組まないと。
今夜のこの会場に出入りしている男性将校なら、家柄も身分も申し分ない。
そのなかから、最も条件のいい相手を見つけよう。
私の方からさりげなく気さくに声をかければいい。
モルドヴァン将軍の一人娘だ。
雑に扱われることはないだろう。
社交界というのは、こういうことのために便利に出来ている。
私はにこやかに笑みをたたえながら、会場を注意深く見渡した。
出席者のなかから軍部関係の人間を洗い出す。
年齢がさほど遠くなく、独身となると……。
「なにかよからぬことをお考えのようだ」
腕を引かれ、腰に手が回される。
手を掴まれたかと思うと、パーティーも終盤だというのに、再びダンスに引きずり出された。
「ラズバンさま!」
「声が大きいね。もっと注目されたかった?」
広間の片付けが始まっている。
楽団員たちは交代用員だけとなり、音量も落ちた。
テーブルに残された皿はまばらになり、白いクロスのみが広がっている。
密集していた室内にも隙間が目立ち始め、早い人たちから退出の挨拶が聞こえてくる。
「手をお放しください。ラズバンさまとはいえ、これ以上の無礼は許しません」
「それが許されるのが、私という立場なのですよ」
強く手を握られる。
持っていた扇を床に落としそうになり、とっさにそれをラズバンさまが取り上げた。
「この扇は私がお預かりしておきます。いずれお返しにうかがうために」
「結構です。欲しいなら差し上げます」
「あなたのものを私に? それはうれしいね」
帰り行く人々は宴の最後の悪ふざけとばかりに、もう私たちに目もくれない。
マリウスすらダンスに引きずり出された私を見て、冷めたような諦めの笑みを浮かべると、一人広間を出て行ってしまった。
「王子も退出なさいましたよ。もうアドリアナさまが他に目を向ける男はいないでしょ」
「それを決めるのは私自身です!」
「俺より他に魅力的な男がいるとでも?」
大きく伸ばされた腕に、体勢を崩される。
バランスを崩し転びそうになった私を、彼はステップを大きく踏むことで上手く受け流し私の体を自分の手中に収める。
「アドリアナさまも随分つまらないことをおっしゃるのですね。あなたらしくもない。王子がダメなら、私以外あなたにふさわしい相手がどこにいます?」
「どうしてそう思うの? こうやってダンスをするのもお話するのも、初めてなのに?」
「関係ないでしょう。キミとって俺より条件のいい男なんてほかにいない」
広間にいる人数は、半分に減った。
もう人目を気にする必要はない。
「失礼します」
ダンスから離れようと腕を振り払った私を、彼は引き寄せた。
「離さないって言ったろ」
音楽は続いている。
まだペアを組んで踊る男女も残っていた。
彼の腕の中で踊らされる私は、どこにも逃げ出すことが出来ない。
どれだけ考えても、黒髪のこの人が私に近づく理由の正解が導き出せない。
「なぜ突然私にそれほどの興味を?」
「王子にフラれたから」
こんなに面と向かって、はっきりとイヤなこと言う人、他にいる?
彼はにこやかな笑みを浮かべたまま、滅茶苦茶なダンスで私を翻弄している。
将来の政敵ともなりえる人に、簡単に気を許すなんで出来るワケがない。
「今キミが何を考えているのか当ててみようか。次の婚約者候補を探している。違うか? それとも、自分が次期領主として立つつもりか」
すました顔で挑発してくる、この人の魂胆が全く見えない。
マリウスのライバルでもある人だ。
いくらなんでも、フラれた瞬間文字通り言い寄るなんて、モニカに言われなくても危険なことは分かっている。
私は鍛え抜かれた貴族の面を被り、精一杯の憂いの表情を浮かべ、悲痛に眉を寄せる。
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