第2章 第1話
急遽音楽が奏でられる。
王子は私を腕に抱いたまま、荒々しいステップを踏む。
まるで怒っているみたいだ。
「ねぇ、マリウス。ちょっと乱暴じゃない? もう少しゆっくり……」
「どうしてラズバンなんかと踊ったんだ」
真っ直ぐに向けられる彼の視線が、私にそう言い放った。
「別に。お誘いを受けたからよ。あの人と踊っちゃいけない理由なんてないわ」
だって、婚約者をモニカに選んでおきながら、そんなことを言う権利がマリウスにある?
「キミが婚約者として選ばれないことくらい、初めから分かってたじゃないか」
「……。えぇ、当然よね」
そんなの分かってる。
だからもう、ここでちゃんとお別れをしなくてはいけない。
「僕への当てつけのつもりか?」
「な、どうしてそうなるのよ。どういうこと?」
「約束したじゃないか。キミはもう忘れたのか」
「約束? なにそれ」
「もういい。キミが覚えてなくても、僕は覚えている。あの日鐘の音に誓った約束を」
「ねぇ、それっていつの話よ……」
忘れてない。
忘れてなんかない。
まだ幼い4、5歳の頃、小雪のちらつく中二人で部屋を抜け出し訪れた宮廷の庭園。
小さな鐘のついた東屋の下で、二人だけの結婚式を挙げた。
「その時からもう、僕の心は決まっていたんだ」
「そんな話、今ここで聞きたくないわ」
ならどうして、モニカを婚約者として選んだの?
私はずっとあなたを信じて待っていたのに。
きらびやかな王宮の広間で、私たちは大勢の目に囲まれながらくるくると回る。
私たちの背は伸び、作り笑いも上手になった。
その人がどんな人であるかではなく、家柄や地位、財産など背景ばかりを気にするようになった。
あの頃憧れた素敵なドレスと胸に輝く勲章は、なんのためのもの?
いつまでも子供のままでいたかった。
いくらそれを願っても、誰にでも平等に年月は流れる。
私たちは大人になって気がついた。
この恋は決して許されるものじゃないんだって。
「他の男といるところなんて見たくない。僕がキミを選べないことは、分かってたじゃないか。それでもずっと好きでいてくれるんじゃなかったのか」
「勝手な人ね。モルドヴァン家には私しかいないのよ。私はあなたの愛人にはなれない」
「愛人だって? どうしてそんなことを言うんだ!」
怒りを隠そうとしない彼に、私は目を閉じる。
好きよ。
マリウス。
大好き。
あなたが王族として、私ではなくモニカを選んだ選択は、間違っていない。
もし私があなたの立場だとしても、そうするだろう。
私が好きなのは、それを選べるあなた自身だから。
彼が耳元でささやく。
「愛しているアドリアナ。だからどうか離れないでくれ。キミがいない毎日だなんて、僕には想像できない」
「マリウス……」
あなたにはこの国で王室を支えていく義務がある。
私にはモルドヴァン家を安泰させる責任がある。
それを捨ててまで、この恋を貫く自信がある?
「お願いだアドリアナ。確かに僕はモニカを選んだ。だけどキミは、僕を選んでくれないか」
「酷いひと。あなたは王室を選んで、私には家を捨てろと言ってるの?」
「キミもモルドヴァン家も守る。僕はそれが出来る唯一の人間だ。キミだって、それを知ってて、こうして僕と踊ってるんじゃなかったのか?」
「私が家のためにこうしていると?」
「あぁ、これ以上僕を困らせないでくれ。これまで過ごした年月を、全てなかったことにするつもりなのか?」
マリウス。
初めて王宮に王子の遊び相手として招かれた時から、ずっとあなたは私の王子さまだった。
庭の池でボート遊びをした日のこと。
ピクニックのまねごとをして、かくれんぼをしたこと。
二人で隠れたサンザシの木の枝の中で、初めて互いの気持ちを打ち明けキスを交わした。
乗馬大会、王宮のパレード。
王宮に招かれた時には、必ず二人でこっそりと会い続けた。
今からちょうど3週間前に、彼の言う思い出の東屋の鐘の下で、二度目の結婚式を挙げた。
二人だけの結婚式。
マリウスは始終ふざけてばかりで私の話なんて何にも聞いてくれなくて、プロポーズされ誓いのキスをした。
ゴメンねマリウス。
私はその時、実はちょっとだけ気づいていたの。
王妃となるのは、私じゃないんだって。
その時あなたのくれた指輪は決して人の目に触れぬよう、大切に鍵付きの引き出しにしまってある。
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