Re:ヴァース WORLD Ouverture ~すちゃらか楽団珍道中『改稿版』~
五十鈴砂子次郎
第1話 終わった後の、プロローグ
さんさんと照り付ける、暑い日差しが鬱陶しいある夏の日。
遮るもの一つとして見えない長閑な街道、左右に広がる広大な畑はすっかりと黄金色に染まり、たわわに実った麦穂が誇らしげに風に揺れている。
そんなありふれた幸福に充ちた景色を見ながら、雲ひとつ無い青空の元、優雅に走る馬車が一台。
煌めかしい装飾の割りに、使い込まれた車輪が雰囲気にはそぐわぬ馬車ではあるが、長閑な街道の風景にはこれ以上嵌まるものもないだろう。
その馬車が空を飛んでいなければ。
陽光に煌めく鬣を棚引かせた『
天を駆る逸話を持つ彼の天馬たちの脚は、中空をしかと踏みしめ、羽根も何もない筈の馬車に颯爽と空を走らせていた。
何とも優雅な空の旅、さぞ見目麗しき
髭もじゃな彫りの深い顔立ちに円らな碧の瞳、手綱を握る手は太くがっしりとしている。肥え太った
それは地に在りては山を住みかとし、野に在りては坑道を掘ることを生き甲斐とする
慣れた手つきで手綱を扱き、どかりと腰を据えたその姿は堂に入ったものである。人と変わらぬ知性を持つ天馬たちには手綱も、何なら指示の類いも無くとも構わぬ事を除けば、実に年季の入った様になる所作であった。
そんな格好つけの坑削人種の後ろ、馬車の内部に居る者の姿はと問えば、これまた多彩な人種で溢れていた。
見た目に比べてやけに広い馬車の中、どうした事か据え付けられたバーカウンターに腰を落ち着けているのは大柄な
簡素な麻衣の袖から覗くのは、彼の種族の代名詞たる鉱石質の皮膚。硬質ながら生物としての柔軟性を併せ持つそれは上質の
つるりとしたその顔に、今しがた呷ったばかりの麦酒の泡を髭の様に蓄えている様は、何とも滑稽な姿であった。
その対面、カウンターの中で手慰みにシェイカーを振っているのは、これまた大柄な
すらりとした長い手足に鍛え上げられた筋肉が程よく乗り、金髪緑眼の端正な顔立ちと合わせて実に貴公子のような甘い雰囲気を放つ男であった。
際どい確度のブーメランパンツにマント一丁の姿でなければ、道行く女性を一目で恋に落とすことも出来たであろうに。
むくつけき空間から視線を剥がせば、次に目に入るは幼気なお嬢様方から息の詰まるような悲鳴を頂戴しかねない空間であった。
揃いの三つ揃えに身を包んだ二人の
双子だろうか、黒い髪に蒼の瞳、実に似通った容姿の二人であったが、その身に纏う雰囲気は実に対照的な物であった。
ソファーを独占している双子の片割れ。独り静かにカップを傾けながら手元の
そんな視線を向けられている片割れはと云えば、此方も此方で実に綺麗な顔立ちではあるが、その身に纏う天真爛漫な雰囲気と生まれ持った
そんな双子の片割れと談笑しているのは、珍しい事に青白い肌を晒した
種として備える見目麗しき耽美な容貌、見る者の背筋を粟立たせる程の色気は、而して対面に座る青年一人へと注がれていた。
実に多彩な種族で構成された一団、余りにも多彩過ぎて接点など無いようにも思える彼らは、その実切っても切れない様な強固な絆で結ばれているのである。
「そう言えば、どこまで逃げ出す気なんだい」
藪から棒に問いかけたのは、それまでまんじりともせずページを捲っていた真人種の片割れ、ソワラ。
その視線はひたと、一行の
冷たい口調かと思えば、実に温かみある柔らかな語気、良く見遣ればその頬も気を許したように緩んでいた。
「実の所、どこまで、とは考えてはいなかった。とりあえずはほとぼりが冷めるまで、何処か遠方に向かおうかという位のものだ」
応じる頭目の暗褐色の視線が、ゆるりと室内で寛ぐ面々へと向けられる。
「先の戦役では相応に苦労したからな、ここらで一つ、羽休めと行こうではないか」
次の瞬間、銘々、身振り手振り、或いは歓声で以って頭目の決定を歓迎する。
よくよく車内を見て見れば、隅の方には大雑把に脱ぎ散らかされた礼服が六着、床の上に積み重なっているのが見て取れた。仕立ての良い生地に厳めしい拵え、正装として着て出たならば王侯貴族の御前であっても通用する程の代物であろう。それほどの高級品が無造作を放り越して、無残と言えるほどぞんざいに扱われていた。
他方、視線を少しずらせばこれまたご丁寧に、各々の背丈に合わせて据えられた収納箪笥と鎧掛けが並んでいる。先の礼服とは打って変わって、こちらは几帳面なまでに整えられた空間となっていた。各々の性格や具足の傾向もあるのだろうが、それでも数々の武装が所狭しと、それでいて整然と並んでいる様は実に凄みのある光景であった。
値段の話をするのは下世話だが、並んでいる武具一つをとっても、どれも並みの戦士には手が届かない程の高級品。中には名のある名匠の一点物や、それこそ伝承に名が乗るほどの
先の礼服が一着で家一軒が建つのなら、これらの武具はそれ一振りで邸宅毎土地を買い上げられる程だろうか。或いは値段など付けられない様な代物すら、奥底の方に眠っていてもこの調子では可笑しくは無い、見る者にそう思わせる程の宝の山であった。
略奪の跡にしては暢気で、夜逃げにしては明る過ぎる、実に何とも言い難い車内の一角。彼らの言を併せて考えるならば、戦勝の宴を終えて幾ばくも無いのだろうか。
そうであるなら彼らの果たした役割は、戦功は、比類無き物に違いない。
事情を知らぬ者にすら、そう思わせるだけの貫禄が、威厳が、無造作に捨て置かれた礼服一つからも漂っていた。
「であれば、いつまでもこんな狭くるしい所で管を巻かずに、何処か広い場所に出まショウカ」
カウンターの中でシェイカーを洗い終えた凡人種のラルヴァンが、一同に向けて提案する。
宙ぶらりんの両の手、作り終えたカクテルは誰の手に渡る様子もなく、彼の腹の中へと消えていったようであった。
「あれ、注文の品が届いていないようだけど?」
テーブルで談笑していた年若き真人種の青年、ディケイが口を開く。
ぶう垂れながら他者に甘えるその仕草が、厭に堂に入っている。既に真人種としてこの世に生まれ落ちて早二十数年、見目程若い訳では無いのだが、それでも若年者に見えるのは良い事なのか悪いのか。
「未成年にお酒は出せまセン。其方のポットで我慢してくだサイ」
「そのネタ何時まで擦るのさ」
あっけらかんと笑いながらポットを手に取るディケイ。中に入っているのは自身でブレンドした紅茶であり、そもそも酒精の類いを好んでいる訳では無いのだ。
ただのじゃれ合い、気心の知れた中であることが窺い知れる、その振る舞いの一環である。
和気藹々とした雰囲気の中、暫しのんびりとした空気が流れる。いつの間にやら、馭者席に陣取っていた筈の坑削人種のオッペケペーも室内へと戻り、本格的な宴へと向かい始めたその矢先。
車外から、和やかな空気を切り裂く甲高い嘶きが一つ。
それは馬車を牽いていた天馬たちからの、間違えようのない警告の声。テーブルにて寛いでいた半魔人種の青年、アルケがいの一番に窓から外を確認する。
「同高度には敵影無し。上空も同じく。下方は視認出来ない為不明。彼らの声のトーン的に。差し迫った危険は無いと思われる」
その視線に先ほどまでの柔らかな光は欠片も無い。周囲を見遣ればそれは他の面々も同じこと、いずれも平服のままではあるが、隙の無い立ち居振る舞いに努めて冷徹に尖らせた視線。戦士としての貫禄に溢れた姿が其処にはあった。
既にオッペケぺーの姿は馭者席にあり、間断なく周囲を見回しながら次の動きを模索している。
「……高度下げるぞ、戦闘態勢……」
口数少なくともその手で雄弁に語る、一行の縁の下の力持ち、いぶし銀の職人技がきらりと光る。
揺れも振動も一切無く、するりと馬車の高度が下がって行く。豆粒の様にしか見えなかった地上の様子が、次第に鮮明に、克明に一行の視界へと映し出された。
「未だ見えんな」
アルケに替わり、窓から外を眺めるクリフが告げる。
クリフの視線の先にはなだらかな丘が広がっており、その中を蛇行する街道が細く見える。その両脇には収穫の時を待つ麦畑が広がっているが、人間の目には斑に色付く平原の様にも見えた。
「いや、一時の方向、街道のずっと向こうに何か居る」
その斑模様の風景の中、向かいの窓から眼下の景色を睥睨していたディケイの視界の中に、鋭い観察眼が無数の影を紡ぎ出していく。
ディケイの視力は人並み外れた鋭さで、遠くを飛ぶ鳥の姿形を見分ける事もできるのだ。斥候野伏として鍛え上げた技量も相まって人の眼には捉えられぬ距離であれ、彼の眼から逃れられる者などそう多くはない。
その眼が捉えたのは、街道を我が物顔で征く
「変だな、こんな片田舎を襲う必要がある勢力にゃあ、到底見えやしないが」
ソワラがからかい混じりにそう告げる。軽薄な口調とは裏腹に、戦力分析の為にその眼と頭脳は引っ切り無しに回っていた。
種族として
「この先には。『レリトア
既にテーブルへと戻り、せっせと手元の
未だ詳細も何も分かりはしないが、悪鬼が陣を為して行進している、その事実のみで警戒するには余りある。そも、人種の支配が届かないから辺境なのだ。片田舎と誹られるのは何も単純な距離だけの問題ではない。人種に対する天敵が多すぎるが故に安全が確保されていない事こそが、辺境地帯が恐れられ、また手付かずの利権としてたびたび賞品扱いされる最大の理由である。
尤も、その距離があるからこそ、王権の守護が届き辛いという実態があっての事なのだが。
「こちらの姿はまだ見えていない様子。オッペケペー、後方に回り込めないか」
クリフが頭目として声を上げる。一行の安全と戦果を天秤にかけた結果、どちらかにその針は傾いたのだろう。下された判断から鑑みれば、その結果は一目瞭然であるのだが。
一行とて名の知れた冒険者。不意の遭遇であったとしても、
向こうは背後から滑る様に近付く馬車に、一向に気付く様子も無い。
奇襲を仕掛ける為に、静かに馬車の高度が下がっていく。
「ま、いいさ。何にしても、俺達がやる事は変わらない」
軽く嘯くソワラ、それに対し各々首肯する一同。既に装いは簡素ながらも、実用に耐えうる戦装束へと変わっていた。
そう、それは変わらないのだ。
例えどんな相手であろうとも、何を敵に回したとしても。
彼らに夢を、救いを願う者が居る限り。
そう在りたいからそうする迄。
誰に乞われた訳でもなく、何に誓った訳でもない。
彼らが彼らとして、この世界を、旅を楽しむために。
他者に理解されずとも、譲れない柱が其処には在るのだ。
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