第七・五章 仄暗い復讐心

第20話

愛する女が目の前に、血の気のない顔で横たわっている。


「花琳……」


本当に生きているのか怖くなって、その顔の上に手をかざした。

弱々しいけれど、温かい呼気が僕の手に当たる。


……生きてる。


それにほっと安堵し、また椅子に座り直した。

どうしてこんなことになったのかと考えるが、僕の甘さ以外なにものでもない。

あのとき、姉の参列を許そうとする花琳に断固反対していれば。

そうすればきっと、こんな事態にはならなかった。


「ごめん。

本当にごめん」


後悔したところで時間が巻戻るわけではない。

僕はただ、花琳にひたすら謝るしかできないのだ。


『私をこけにするからこうなるのよ!』


花琳に足を引っかけた姉は、その場で取り押さえられた。

僕が姉になにもしなかったのは、同情したからとかではない。

あんなバカ女にかまっていられなかったからだ。

花琳が死んだらどうしよう。

子供を失うのが怖い。

それ以上に花琳を失うのが怖い。

彼女の名を呼び、去っていきそうな命を留めようと必死に抱き締めた。

それからしばらくの記憶が曖昧だ。

何枚もの同意書にサインさせられ、ドクターに花琳を助けてくれと土下座したのだけ覚えている。


「花琳、花琳……」


僕の声が、静かな病室に響く。

非常に危ない状況ではあったが、花琳も子供も一命は取り留めた。

病院が近く、さらにここには優秀なドクターが集まっているおかげだ。

ただ、七ヶ月で緊急出産となってしまったため、子供はNICUに入っている。

今後の発育次第ではあるが、とりあえず大きな問題はないという。

花琳は出血が酷く、一時は危ない状態だったがどうにか安定した。

そして今、僕の前に横たわっている。


「早く目覚めて、こんなの悪い夢だと笑ってくれ……」


そっと彼女の手を握るが、握り返してはくれない。

指先は冷たく、このまま彼女を失うのではないかという恐怖が襲ってくる。


「……ん」


そのとき、花琳が小さく身動ぎをした。


「花琳!」


ベッドに飛びつき、彼女に呼びかける。

ゆっくりと瞼が開いていき、最初は虚ろだった目が僕を捕らえる。


「たか……とし……さん?」


「そうだ、僕だ!」


「赤ちゃん!」


次の瞬間、飛び起きた彼女は両手で僕の腕を堅く掴み、縋ってきた。


「赤ちゃん!

赤ちゃん、は!」


「大丈夫、大丈夫だ。

また出血するから、おとなしくしろ」


取り乱す彼女をベッドに押さえつける。

今、暴れてはようやく止まった出血がまた始まりかねない。


「私たちの赤ちゃん……」


さめざめと、酷く悲しそうに花琳が泣き出す。

その姿に本当に裂けたんじゃないかと思うほど胸が痛んだ。


「心配しなくても子供は無事だ」


「ほんとに……?」


それでもまだ、不安そうに瞳を揺らし、彼女は僕を見上げた。


「ああ。

むしろ花琳より元気なくらいだ。

だから、安心していい」


彼女の手を取り、力強く頷いてみせる。


「よかっ、た……」


すーっと声は、そのまま消えていった。


「花琳?

花琳!」


悪い予感がして、慌てて声をかける。

ナースコールのボタンを握ったが、すぐに先ほどまでとは違い、気持ちよさそうに寝息を立てているのに気づいた。


「もう、びっくりさせるなよ」


気が抜けて、倒れ込むように椅子に腰掛けた。

眠る彼女は僅かだが、顔色がよくなった気がする。

子供の無事を聞いて、安心したからだろう。


「……許さない」


眠る花琳を見守りながら、仄暗い復讐心が燃え上がる。

花琳を、こんな目に遭わせた姉さんを。

花琳の心を、踏みにじった姉さんを。

僕は絶対に、許さない――。

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