第14話

食事も終盤にさしかかった頃、窓の外で花火が上がりはじめる。


「うわーっ」


暗い海の上に色とりどりの花が咲く。

それはとても幻想的で綺麗だった。


「綺麗……」


残りを急いで食べてしまい、窓辺に立つ。


「花琳」


灯りを消し、すぐに見やすいように宣利さんが一人掛けのソファーを持ってきてくれた。


「ありがとうございます」


そこに座り、花火を眺める。

こんな特等席で花火が見られるなんて、最高だ。


「シャンパンでも傾けながらだと、格別だったんだろうけどな」


残念そうな彼を見上げる。


「でもしばらくはおあずけだな」


目のあった彼が、ちゅっと口付けを落としてくる。

それが嬉しくて、私も笑っていた。


宣利さんは私が座るソファーの、肘掛けに腰掛けるように寄りかかり、私の肩を抱いて花火を見ている。

自然とそんな彼に身体を擦り寄せていた。

幸せ。

好きな人にこんなに大事にしてもらえて幸せ。

……でも。

これで宣利さんが私自身を愛してくれたら、本当に最高なんだけれどな……。


そのうち、宣利さんが私から離れた。


「宣利、さん……?」


彼を探して部屋の中を見渡す。

トイレ、なのかな。


「花琳」


しばらくして名を呼ばれ、そちらを見る。

そこでは宣利さんが大きな薔薇の花束を私に差し出し、跪いていた。


「え……」


「僕と復縁……いや。

僕と結婚してくれてありがとう」


眼鏡の奥から彼が、真剣な目で私を見ている。


「どう、したんですか……?」


その怖いくらい思い詰めるような目から視線は逸らせない。

なにが起こっているのか理解できなくて、どうしていいのかわからなかった。


「僕は花琳と離婚したのを、ずっと後悔していた……とか言ったら、どうする?」


「え?」


それこそ、わけがわからない。

だって離婚は宣利さんが決めて、宣利さんから切り出してきた。


「言っただろ?

頑張る花琳を見て僕も頑張らねばと思ったし、美味しそうに食べる花琳を見て食事とは楽しむものだと知った、と」


「……はい」


それは、前に聞いた。

だから?


「最初は仕方なくした結婚だったが、次第に花琳に惹かれていた。

永遠に曾祖父に生き続けてくれと願ったよ」


もしかして、宣利さんも同じ思いだったの?

だったらなんで、離婚なんて言い出したの?

頭は混乱するばかりで、少しも事情が飲み込めない。


「でも、こんな滅茶苦茶な条件で望まない結婚をした花琳に申し訳なかった。

好きでもない僕に縛りつけず、花琳を解放してやりたかった。

だから、離婚を切り出したんだ」


あの離婚が私を気遣ってのものだったって初めて知った。

宣利さんはこんなにも私を考えて、離婚を切り出してくれたんだ。


「ならあのとき、気持ちを伝えてくれたら……」


私はどうしていたのだろう。

離婚をやめていた?


どーん、どーんと花火が上がる音が響く。

色とりどりの光が彼の顔を照らした。


「好意のない男に好きだと言われても気持ち悪いだけだろ。

それにあっさり花琳が離婚届にサインして、やっぱり僕に気持ちはないんだなと失望した」


じゃあ、あのとき、私が離婚したくないと言っていれば別れずに済んだの?

私はいったい、なにをやっていたのだろう。

後悔したところで時間は巻き戻せない。


「まあ、それでも花琳を抱きたいなんていう、卑劣な男だけどな、僕は。

しかも子供ができれば戻ってきてくれるんじゃないかなどと」


皮肉るように宣利さんの顔が歪む。

それを見て、ぎりと胸の奥が痛む。


「僕の望みどおり子供ができて、花琳は戻ってきてくれた。

僕はまた、子供を理由に好きでもない僕に花琳を縛りつけようとしている。

ずっと罪悪感でいっぱいだったよ」


彼がそんな気持ちだったなんて、知らなかった。

私は愛している彼に大事にしてもらえて、そこに気持ちはなくても満足しなければならないと思っていた。

でもそれって全部――。


「花琳。

僕は花琳を愛している。

もし花琳も同じ気持ちなら、これを受け取ってくれ。

違うならきっぱりと諦める」


手に持つ花束を、彼が軽く揺らす。

赤い薔薇は花火に照らされ、今の私の気持ちのように複雑な色になっていた。


「……私、は」


自分から出た声は酷くビブラートがかかっている。


「ずっと宣利さんが好き、でした」


震える手を伸ばし、花束を受け取った。


「この結婚は宣利さんにとって仕方ないものだから、離婚したいと言われればそうするしかないと思っていました。

復縁も大事なのは跡取りの子供で、私じゃないと思ってました」


ゆっくりと花束を引き寄せ、大切に抱き締める。


「でもそれって全部、勘違いだったんですね……」


出発は確かに、仕方のない結婚だったのかもしれない。

でも、宣利さんも私と同じように私に惹かれ、想ってくれていた。


「私たちずっと、すれ違っていたんですね」


顔を上げた瞬間、唇が重なった。


「花琳。

愛してる」


溢れる気持ちを伝えるように何度も何度も、角度を変えて唇を啄まれる。

そのうち耐えきれなくなったのか、ぬるりと宣利さんが侵入してきた。

吐息とともに彼の気持ちが私の身体を満たしていく。


……幸せ。

すごく幸せ。

こんなに幸せでいいのかな――。


「……はぁーっ」


唇が離れ、落ちていった吐息はどこまでも甘い。

艶やかに光る瞳をレンズ越しに、熱に浮かされてみていた。


「続きは当分、おあずけな」


ちゅっと耳もとに口付けを落とされ、ぼっと顔から火を噴いた。


「そういえば指環、どうした?」


花束を近くのテーブルの上に置き、先ほどと同じように宣利さんがソファーに寄りかかる。

その手がなにも嵌まっていない、左手薬指を撫でた。


「あー……」


前の指環は処分せずに持っている。

処分するタイミングを失ったというか。

しかし復縁したからといってまたそれを嵌める気にもなれず、しまってある。

宣利さんも着けていないし。


「ちゃんとしまってありますよ」


「そうなんだ。

もう処分したのかと思ってた」


嬉しそうに彼が唇を重ねてくる。


「でも、まあ。

これ」


私の手を取り、宣利さんは小箱をのせてきた。

開けると大小ふたつの指環が入っている。


「花琳が僕の本当の奥さんになってくれた記念、かな」


彼の手が小さいほうの指環を掴む。


「改めて。

僕は花琳に永遠の愛を誓う」


私の左手を取り、宣利さんは薬指に指環を嵌めてきた。

今度は私が残っている指環を取り、宣利さんの左手薬指に嵌める。


「私も宣利さんに永遠の愛を誓います」


顔を上げるとレンズ越しに目があった。

眩しいものでも見るかのように、彼の目が細められる。

そっと、彼の手が私の頬に触れた。


「こんなに幸せでいいのかな」


「いいと、思います」


そのときを待って目を閉じる。

唇が重なった瞬間、私たちを祝福するかのようにひときわ大きな花火が上がった。


花火も終わり、入浴を済ませて一緒のベッドでごろごろする。


「離婚する前の宣利さんはずっと真顔だったので、そんなにこの結婚が気に入らないのかと思ってました」


「あー……」


長く発し、彼はどこでもないところを見た。


「花琳が可愛くて堪らなかったよ?

でも、僕の気持ちを知られて気を遣わせるのが嫌だなって、崩れそうになる顔を必死に引き締めてた」


思い出しているのか、おかしそうに宣利さんはくすくすと笑っている。


「子供ができたってわかってからはもう、我慢できなくて。

……いや。

今まで我慢していた反動?

花琳を可愛がりたくて可愛がりたくて仕方なくなってた」


証明するかのようにちゅっと軽く唇が重なった。


「エーデルシュタインでの結婚式を計画してるんだ。

……あ。

これはまだ、秘密だったんだった」


嬉しすぎてつい口を滑らせたのか、しまったといった顔を彼がする。


「ま、いっか。

どうせドレス選びとかしないといけないしね」


ふふっと小さく笑った彼は本当に幸せそうで、見ている私まで幸せになる。


「でも、結婚式はしたじゃないですか」


「んー、あれは世間体だけの、形だけのものだっただろ?

今度はみんなに祝福される結婚式を挙げたい」


そんなこと、彼が考えているなんて思いもしなかった。


「あと、新婚旅行。

安定期に入ってドクターに相談してになるけど、二泊三日くらいで行こうと思って計画を立ててる。

近場にはなるけどね」


重なる手が指を絡めて握られる。

どこまでも幸せで、甘い時間。

こんな時間がずっと、続くと思っていた。

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