第26話 抗う者たち③
「大将! 緊急事態です!」
そう叫んでデッキを見回した佐官は、破壊された床部に倒れ伏した祖父と、その首に剣を突きつけている謎の飛竜、少し離れたところに立つリアンとその腰に手を回して支えているヴァルハルトを見て、硬直した。空軍大将が沈んでいるという状況が理解できなかったのか、息まで止めている様子の佐官を見て、それまで何も話さなかった叔父が口を開いた。
「何事だ」
その声を聞いて救いを求めるように叔父を見た佐官が堰を切ったような大声を出した。
「領空の外より、数十機の戦闘機がこちらに向かっています。おそらく、グートランドのものです」
「なんだと」
思わずリアンの口から声が漏れた。
朽ち葉が祖父を見下ろし、小さく舌打ちする。
「やはり裏切られたか。燕を領界から遠ざけることが目的だったな」
その呟きを聞いてリアンも状況を把握する。どうやら祖父の作戦は、始めから敵に裏をかかれていたらしい。
「リアン、行け。こいつのことは私が見ておく。燕を戻して空軍を向かわせろ」
朽ち葉の声に頷いて、ヴァルハルトと一緒に艦内に向かって駆け込んだ。
司令部には、突然入ってきたリアンに将官も佐官も驚いていたが、緊急事態のためか皆すぐにリアンの指示に従った。祖父は祝砲を上げに行くとしか説明しなかったのか、グートランドの戦闘機を迎え撃つことに誰も異議を唱えなかった。
計略を知っている者がこの中に何人いるのかわからないが、今それを炙り出している時間はない。
「すぐに燕を東の沖合いまで戻せ。艦内の戦闘機を緊急出動させろ。沿岸基地の戦闘機にも緊急出動の命令を出す。敵機は全て撃ち落として構わない。偵察機、哨戒機はこれより領空全域の探索と敵機の追跡を行う。それから陸軍に緊急事態を通達しろ。海軍にもだ。死んでも敵機を国土に近づけるな」
リアンの命令に将官たちは雄々しい声で短く返事をし、すぐに艦内に非常警報を鳴らし指示を出し始める。司令部前方のガラス張りの窓から甲板を見ると、警報が鳴って数分も経たずに戦闘機が次々に飛び出していった。
「少将、おそらく領海内の空で迎え撃てると思いますが、数が多いので、すり抜けられる可能性があります」
「陸からの戦闘機が追いつくまでは、二機一隊で飛行し戦力を削げ。追いついてきたら十機一隊で弾幕を張る。持ち堪えろ。近づいてくる機体は全て撃ち落としていい。私が許可する」
「グラディウス、あんたの副官を呼び出せ。さっきの哨戒機に海蛇と連絡を取れる無線を付けてある。領海と東の沖合いにはもう海蛇と巡洋艦が待機してるから、ミサイル撃って数を減らしてやる」
後ろからヴァルハルトが口を出してきて、リアンは頷いてすぐにローレンを招集した。
緊張感のある艦内は、慌ただしくも緊急事態に皆落ち着いて対応しているように見えた。燕もすでに海に向かって引き返している。祖父のことを朽ち葉が見張ってくれているからリアンも安心して目の前の事態に集中できた。
戦闘機と連絡を取っていた佐官が緊迫した声を出したのはしばらく経ってからだった。
「少将! 数機に回り込まれたようです。戦闘機がこちらに抜けてきます」
「何機だ」
「三機いるそうです。レーダーの捕捉範囲が広いのか、戦闘機が近づくと避けるようで」
「海からのミサイルは」
「フレアで回避されているようです」
こちらに向かっているならば、燕で迎え撃つこともできるだろう。しかし小回りが効かない戦艦では、避けられると陸地に抜かれる可能性もある。
「そうか。では私が出る」
そう言うとぎょっとしたように佐官は振り返ったが、横にいるヴァルハルトに何か言われる前に口を開いた。
「生身の私はレーダーでは捕捉できないだろう。正面から待ち受けて迎撃する。三機程度なら問題ない」
「おい、あんたな」
「大丈夫だ。回復している」
叔父の咆哮を浴びた身体はもうだいぶ復活していた。指揮を准将と残りの将官達に割り振り、司令部にある武器の収納庫から新しい擲弾発射器を取り出した。
「ちょっと待てって。いくらなんでも」
「お前なら、敵の戦艦が迫っていたら海の中から一人で行くだろう」
後ろから腕を掴まれたから、振り返りながらそう言った。
リアンを見つめるヴァルハルトは意表を突かれたという顔をして黙る。
「同じことだ。私は飛竜だから、相手が戦闘機でも問題ない。悪いが、司令部が逼迫したら手を貸してやってくれ」
空軍を指揮できる将官が今ほとんどいない。大将と中将が欠けて、更にリアンが不在になれば司令塔の機能が揺らぐことはわかっている。しかし敵の戦闘機を国土に近づけることはどうしても許せない。
眉を寄せるヴァルハルトに頷いて、リアンは早足で司令部を抜け、先ほどのデッキに戻った。
また祖父と一悶着あったのか、完全に気を失っている祖父の側に立つ朽ち葉に事情を説明すると、真面目な表情になった船長はリアンの顔を黄色の瞳で真っ直ぐに見た。
「気をつけなさい。もし失敗しても燕か陸からのミサイルで迎撃できる。無理はしないように」
「わかりました」
「私はこの馬鹿とリカルドを王宮に突き出してくる。宣戦布告なんぞされる前に早急に事態の収束を図る必要がある」
朽ち葉の言葉に首肯した。確かに、こちらにつけ入られる隙を見せる前に、王族からグートランドに謀反人を裁いたと警告してもらう必要があるだろう。
後始末を煩わせて申し訳ないと思いながら、祖父のことは朽ち葉に任せてリアンは空に飛び立った。とにかく早急に敵の戦闘機を撃墜する必要がある。
全速力で飛んでいくと、数分後には戦闘機が通過するであろうポイントにたどり着いた。
擲弾発射器を肩に担いで待つと、しばらくして敵機の姿が豆粒ほどに視認できる。身動きせず照準を定め、射程距離に入った瞬間に発射した。操縦席を狙った擲弾は微かに避けられたが上手く翼に当たり、片翼を失った戦闘機が海に落ちる。
「まず一機」
続け様に落ちた機体の斜め後方を飛んでいた戦闘機にも発射した。そちらにも着弾し、すぐ下の海に落下していく。
ほっと息を吐き、次にやってくる戦闘機に備えていると、すぐにもう一機が雲の隙間から姿を現した。
すでにリアンの存在は堕ちた機体から無線で情報を得ているのか、姿が見えた直後に機銃で撃ってきた。予期していたので大きく旋回しながら躱し、戦闘機に擲弾を発射した。機銃に連射されて途中で爆発したが、その爆煙に身を隠して接近するのが目的だった。
すれ違いざま、横をすり抜けていく戦闘機に擲弾を発射する。後部に着弾し、爆発した機体が海に墜落した。
息を緩めた瞬間、風を切るような音を聞いて咄嗟に身構えた。
横から機銃に撃たれて弾丸が足を掠めた。素早く旋回して銃撃をかわすと、接近していた敵の戦闘機に気づく。
「もう一機?」
確か、三機と聞いていたが四機の間違いだったのか、また一機すり抜けてきたのかはわからないが、ここを通すわけにはいかない。擲弾を発射しようとしたが、それよりも前に敵の射程に入ってしまった。また機銃に撃たれ、今度は回避できない角度にいることを悟る。咄嗟に翼で自分の身体を覆った。
何発か当たったが、翼でほとんど防いだ。一発左足の脹脛に当たっただけで、身体の方は守られている。ただし翼の方はダメだった。羽ばたこうとしたら動かなかった。
旋回した戦闘機はまたリアンの方に戻ってくる。すり抜けて陸に向かわれないだけよかった。
冷静に思いながら、リアンはこちらに向かって機銃を構える戦闘機に口を開けた。
ここは通さない。
そう強く思う。
下賤な輩に国土を襲わせはしない。
それがホーフブルクの飛竜だ。
咆哮した。
衝撃波が機体を襲い、大きく揺れて照準を逸らす。まだ持っていた擲弾発射器を構え、腹を見せた戦闘機に発射した。底部に命中して機体が爆発するのを見ながら、翼が損傷したリアンも下に落ちる。
そのとき、爆発した機体の後ろからもう一機戦闘機が現れるのを見た。
まだいるのか。
眉間に皺を寄せてこちらに向かってくる機体を睨む。
次はさすがに無理だ。
擲弾は残っていない。
リアンに向かって戦闘機の機銃が照準を合わせた。
覚悟を決めたとき、その戦闘機が突然横から狙撃され、爆発した。
ハッと視線を彷徨わせると、まだ遠い空の先に空軍の見慣れた機体を見つけた。みるみる近づいてきたホーフブルクの戦闘機はスピードを緩め、操縦席の風防が勢いよく開いたのが見える。そこから身を乗り出して飛び降りてくる相手を確認する前に、背中から海に叩きつけられた。
今度はそれほどの高度はなかったからおそらく骨は折れなかったが、全身を殴打されたような衝撃で息が詰まった。
飛沫を上げながら海の中に沈んで、またこの光景か、と苦笑する。自分にはまさか水難の相でもあるのではないかと状況に合わないことを真剣に考えた。
これで三回目だな、と思いながら、以前に落ちたときのような焦りや不安は感じなかった。
あの竜が来ると、自分にはもうわかっている。
水面を見上げると、音が鮮明には聞こえない水の中に、勢いよく飛び込んできたものを視界に捉えた。日の光がゆらゆらと反射して射し込む水の向こうから、潮を切り裂いてまっすぐリアンに向かってくるその姿を見つけて、口元が綻んだ。
険しい顔でこちらを見つめるヴァルハルトに両手を伸ばす。
眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔で、水に沈むリアンを捕まえて力強く引き寄せた男の首に腕を回した。頭の後ろを大きな手に支えられて、口に唇を押し当てられる。
瞬きしたが、ヴァルハルトに委ねて大人しく唇を重ねた。口が薄く開いて一瞬潮の味がしたが、口の中に入ってきたのは水でも舌でもなく、空気だった。どうやっているのか知らないが、海竜は海の中でも呼吸ができる。舌を絡めようなんてすることはなく、リアンにゆっくり空気を吹き込んでくるヴァルハルトの真剣な青い眼を見つめて思わず笑いが込み上げた。
何のつもりだよ。
人工呼吸、上手いじゃないか。
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