第17話 海賊船ウミガラス②

 ガウスは伝手をたどって海軍か空軍にリアンのことを伝えようかと申し出てくれたが、断った。

 空軍にリアンが生きていることが伝われば、祖父は己の計略を知るリアンを始末しようとするか、捕らえようとするだろう。海軍にも同じ理由で連絡を取ることを断念した。祖父の言い方では、海軍の中にも息がかかった者がいるようだった。下手に接触するとリアンが生きていることが燕に伝わる恐れがある。少なくとも、身体が完全に復活するまでは軍部に連絡を取るべきではない。


 ガウスに情報を収集してもらったところ、海蛇への急襲を祖父はやはり失敗したらしい。今のところ空軍に不審な動きはないようで、リアンが生死不明になり、海軍への攻撃も失敗して、様子を見ているのかもしれない。しかし王宮に脅しをかけると言っていた以上、これから動く可能性はある。


 その事実だけでも、王宮にいるアドルには秘密裏に伝えなければならない。そして燕に戻り、祖父を止めなければならない。身体の回復を待ちながらそう考えて、しかし燕に戻ることを考えたら胸の中がずしっと重たくなった。


 ――燕に戻るべきなんだろうか。


 夜、ウミガラスの中で船室の寝台に横臥して考えた。


 祖父に艦艇から落とされたということは、一族から追放されたと同義だ。自分が死んだことになったのかはわからないが、グラディウスの中にはもうリアンの居場所はないだろう。


 もしかしたら、海蛇への攻撃が失敗に終わり、祖父は考えを改めたかもしれない。それなら王宮に脅しをかけるという計略は今頃頓挫している。反逆を企てていたという事実は残るが、王宮や王国に差し迫った危険はなくなるはずだ。

 だとしたら、それこそリアンが燕に戻る理由はあるのか。


 今まで自分は一族の血を残すために、グラディウスの教えを守り、人間の番を探してきたはずだった。もしもう一度あの一族の中に戻れたとしても、リアンはまたきっと人間の女性と見合いをさせられる。

 以前なら一族のためと割り切れたはずが、何故か今はそれが耐えがたいことのように思われた。


 自分が飛竜であることに誇り高く生きてきたつもりだった。しかし祖父の思惑を知って、一族の信念に確固たる信頼を寄せることができなくなってしまった。


 ――どうすればいいのかわからない。


 同じ飛竜である祖父に咆哮を放たれた。その事実が心の中に大きな風穴を開けていた。もう自分は必要とされていない。


 グラディウスは、もう終わりだ。祖父にもそれがわかっているから、愚行を犯してまであがこうとしている。

 幼いとき、リアンは忙しい祖父や叔父にあれこれ命じられる以外では、人間に世話をされてきた。自分の周りにいるのはみんな人間だったから、飛竜の一族であることに誇りは持っていたが、陛下やダイアン王子を裏切ろうなどということは考えたこともなかった。

 だから叛逆を起こしてまでグラディウスの威光に拘る祖父の考えがわからない。


 飛竜の子どもは、きっともう生まれないだろう。


 王国を守護することよりも、血を残すことを選んだグラディウスに、竜は生まれてこない。

 漠然とそう思った。


 そして一族が滅んだあとに、リアンのいる場所はどこにもない。


 そこまで考えて、リアンは考えることをやめた。

 まだ自分は迷っている。祖父にどう対峙するのか、結論を出すことができない。とにかく、今は身体を回復させて情報を集めよう。

 まだ鈍く痛む肩と胸をかばうようにして、深く息を吐く。痛みを忘れるために、目を閉じてこのまま寝てしまおうと思った。


 思えば、自分はこういうときに思い出して気持ちを和らげられるような、穏やかな思い出があまりない。あるとすれば、王太子殿下の幼いときに二人で王宮の中庭で遊んだり、成人した殿下と軍部の将来について語り合ったりしたことくらいだろうか。

 やはり自分はつまらない人間だな。そう自嘲したとき、ふと思い出したのは、毎月のように中庭で殴り合っていたあの男のことだった。


 何故だろう。この思い出には穏やかさの欠片もないのに。


 毎回罵り合って力の限り殴り合っていただけなのに、何故それが今頭から出てくるのか。

 そう思ったら少し笑ってしまった。


 けれど、悪くないかもしれない。

 さっきまでの薄暗い思考に捕らわれるよりは、きっとずっといい。


 あの荒くれた海の竜は今頃大人しくしているだろうか。存外仕事はちゃんとこなしているようだから、リアンがいなくなってストレスを発散する相手がいなくなったと残念がっているかもしれない。


 頭の中でヴァルハルトの不機嫌そうな野生味のある顔をぼんやりと思い浮かべていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。



 ウミガラスに拾われてから四週間ほど経った日、突然波が高くなり、獰猛な海獣が現れた。


 それまでも船は何度か海獣を駆逐していたが、その日の獣は巨大で、凶暴なシーサーペントだった。

 もう身体を動かせるようになっていたリアンは船室にいたが、船の揺れに驚き甲板まで出た。

 艦砲を備えた船の上では、手慣れた乗組員達が軍人顔負けのきびきびした動きで立ち回って海獣の動きをいなしている。頑丈な装甲で固めた船は海獣の襲撃にも耐えていたが、そのとき遭遇したシーサーペントはあまりに大きかった。

 船が大きく揺れる。船員達も、指揮をとっているガウスも表情が険しい。一緒に甲板に出てきたトマが武器の収納庫を開くのを見て、リアンは彼が構えようとしていた擲弾てきだん発射器に手を伸ばした。


「リアンさん?」

「私がやろう」


 そう言って、驚くトマから半ば強引に火器を受け取った。対海獣用に作られているのか、発射筒は大きく肩に担ぐと重量がある。治ったばかりの左肩ではなく、右肩に背負い、久しぶりに背中から見えない翼を広げて羽ばたいた。飛ぶのは怪我から回復して初めてだが、問題はない。風をあおぐ感覚が心地いい。ようやく深く息を吸ったような気持ちになった。

 風を起こして飛び上がったリアンを見てトマが数歩下がり驚嘆した声を上げる。その声がすぐに聞こえなくなる速さで滑空し、シーサーペントの頭上まで一気に飛んだ。

 船上からの砲撃に気を取られている海獣の頭部に照準を合わせて引き金を引く。反動はあるが音はほとんど出ない。擲弾が発射され、鋭い鼻を持った海獣の赤い目に真上から着弾した。爆発音がして、海獣が咆哮を上げる。頭を吹き飛ばされた海獣が海面に駆体を叩きつけて倒れた。

 ウミガラスの上から歓声が上がり、リアンが甲板に戻るとガウスが頭を掻きながら歩み寄ってきた。


「助かったリアン。飛竜っていうのはやっぱりすげぇな。海の上で飛べるっていうのは羨ましい」

「いや、こんな強力な兵器を積んでいるなら飛べなくても何も問題はない。この海賊船は本当に不思議だな」


 シーサーペントが沈まないように巨大な銛を打ち込み始めた船員たちを眺めながら言うと、ガウスは苦笑して「まあな」と答えた。


「船長がどこから調達してくるのか知らねぇけど、気づいたらいつの間にか装備が増えてんだよ」

「聞く度に船長というのは妙な人だな。そういえば、具合はよくなったのか」


 ガウスのセリフを聞いて、リアンはまだ挨拶ができていないこの海賊船の船長のことに言及した。リアンが起き上がれるようになった頃、今度は船長が感染症にかかり、二週間ほど自室で療養しているらしい。そのためこの船に乗ってからまだ顔を合わせたことがなかった。


「ああ。身体はましになったらしいんだが、どうやら目に後遺症があるみたいで外に出ると光がまぶしいんだと。そのうち復活するから挨拶してやってくれ」


 その言葉に頷いたとき、甲板で作業していた船員の一人がガウスに大声をあげた。


「お頭! 海軍の巡洋艦です!」


 それを聞いた瞬間、顔が強張った。


 ――海軍?


 さっと表情が変わったリアンを見て、ガウスはすぐにトマと一緒に船内に戻るように促してきた。事情は詳しく話していないが、リアンには軍に連絡を取ろうとしない理由があることは察しているらしい。

 船内に続く扉を指さされて素直にトマと一緒に中に入り、そこから様子をうかがった。

 海軍の取り締まりだろうかと考えて少し不安になる。ガウス達が手荒なことをされたら見つかるのを覚悟で助けなければならない。今自分は軍服ではなく船員達から借りている黒い長袖のシャツと丈夫な綿のズボンをはいているが、この目立つ髪と瞳の色を見られたら一発で正体がバレる。


「これは一応海賊船だろう。海軍と遭遇して大丈夫なのか」

「はい。大丈夫ですよ。俺たち海軍の皆さんとは顔見知りなので。海賊って謳ってる以上は多分取り締まられるのが正解なんだと思うんですけど、向こうも海獣を狩ってる俺たちのことはわかってて見逃してくれてるってかんじですね」


 全く警戒心無く頷いたトマを見て驚いた。リアンが瞬きしたことに気づかず、トマは扉の方を見ながら言葉を続ける。


「ホーフブルクの海軍はよくできた軍体ですよ。俺たちでは狩りきれない海獣の群れがいたらちゃんと討伐してくれますし、密輸船やたちの悪い海賊には厳しいですけど、商船や漁船には本当によくしてくれるので。特に海竜の一族の若頭。顔は怖いけど俺たちにもいつも気安く接してくれます」


 海竜の一族の若頭。

 ヴァルハルトのことだと思った。

 トマの表情には海軍への嫌悪は全くなかった。リアンはそれを見て、自分の中にわだかまっていた感情がまた少し溶けるのを感じた。以前の自分は、海竜は海の中でもきっと野蛮で横柄な奴らだろうと思っていた。しかし船の上では、こんなに信頼をよせられている。

 想像していたよりもずっと、彼らはちゃんとホーフブルクの海のことを考えているのだ。


 何も言えなくて、甲板から船内に入った扉の前でただトマの顔を見ていた。すると扉の隙間から外の様子をうかがっていたトマが、何かに気づいたように顔を扉に近づけた。


「噂をしてたら、海竜のお兄さんですよ。ほら、あの人です」


 トマの声を聞いて、固まった。

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