第2話 険悪な二人②

 リアンとヴァルハルトを見守っていた周囲の兵士達は蜘蛛の子を散らすように中庭から撤退した。結局毎度こうなるので、皆慣れている。十分距離を取って安全を確保した上でリアン達の一騎打ちを見守りながら歓声を上げている。


 リアンは腰に帯剣していたサーベルを抜いて躊躇なく斬りかかった。ヴァルハルトも軍刀を抜きリアンの剣戟を受け流しながら隙をついて拳を入れようとしてくる。勝てばいいという粗暴な海兵らしいめちゃくちゃな戦い方だが、リアンもすでにこの男の剣筋には慣れていた。

 ヴァルハルトの攻撃に遠慮がないので、リアンも飛びながら戦うことに躊躇わない。勝てばいいのだ。


 竜印を持つといっても神通力や魔法を使えるわけではないので、結果として竜の血で高められた身体能力と身体の頑強さで殴り合うだけである。竜印を使う秘技があるにはあるが、それを使わなければ勝てない相手ではない。斬り合って殴り合うだけで十分このムカつく男を地面に沈められる。


 身体能力と共に力も強いので、一撃が当たるだけで数メートルは吹き飛ぶし、剣が地面に掠れれば芝生がまくり上がってえぐれる。中庭は広大だが、二人が争っているとみるみるうちに芝がはがれ、近くにあった噴水の像が二体ほど砕けた。

 空から滑空して斬りかかり、斬撃を避けたヴァルハルトの胸に膝蹴りを決めた。ぐっと眼光が鋭くなったヴァルハルトがリアンの足を掴み、大きく振り回して噴水に向かって投げつける。大理石で彫刻された天使の像に衝突してその首を砕き、体勢を立て直して飛びかかろうとしたとき、リアンとヴァルハルトの間に人影が割って入った。


「二人ともそこまで! リアンもヴァルハルトも冷静に。このままだとまた噴水が爆散するから。せっかく先月直したばっかりなんだよ。頼むよ」


 そう言って両手を挙げた赤茶色の短い髪の青年は、陸軍の中将であった。


「ヒースレイ、邪魔するな」


 獰猛な眼をしているヴァルハルトが唸り声を上げたが、青年は怯まなかった。温厚そうな顔をしているが、彼も竜である。陸軍の地竜であるヒースレイ一族のアドルは背が高く体つきこそ軍人らしいが、人好きのする温和な顔と雰囲気によって周囲にはひょろりとした柳のような印象を与える。リアンより五歳年上だが、王国の軍部に属している竜として、昔からよく見知った仲である。


「残念だろうけど、時間切れ。定例会議に遅れるよ、ヴァルハルト。リアンも」


 苦笑しながらこちらを振り返ったアドルの顔を見て、リアンはすでにサーベルを鞘に戻していた。彼の温厚な顔を見て血が上っていた頭に冷静さが戻ってくる。リアンが剣を収めたのを見て、ヴァルハルトも舌打ちしながら軍刀を下ろした。


「聞いたところによると、うちの若いのがオーベル少将に失礼な発言をしたそうで。申し訳なかったね。若気の至りだと思って許してやってくれ」


 アドルの謝罪を聞いて、ヴァルハルトはふん、と鼻を鳴らした。


「てめぇのところのガキの教育はしっかりやれ」

「よくよく言い聞かせておくから。悪かったね」


 不機嫌そうに肩を揺らしたヴァルハルトは興がそがれたというようにあっさりと踵を返した。リアンとアドルを残してさっさとアマーリア宮の方へ向かっていく。

 その無駄に均整のとれた後ろ姿を見ながら、リアンは鼻の上に皺を寄せた。


「リアンも関係ないのに悪かった。駆けつけるのが遅くなって迷惑かけたな」

「いや、問題ない。どうせあいつは毎回問題を起こす。暴れないと気が済まない蛮族だ」


 リアンの言い草にアドルは軽く吹き出して、自分たちも定例会議に向かおうとリアンを促した。素直に従い、連れだって歩き出すと、周囲で見守っていた若者達は先ほどの決闘の感想をわいわい言い合いながらようやく散会していった。冷静になって中庭を見回すと今月も大変な有様になってしまったが、噴水が粉々に砕けた先月よりは多分ましだ。毎回綺麗に芝を植えてくれる庭師に申し訳ない気持ちになり、内心で謝罪した。もう次は奴の挑発を無視しようと思うのに、いざヴァルハルトを目の前にすると頭に血が上って、気づくと毎回乱闘になっている。

 苦虫をかみつぶしたような顔をしているリアンの隣でアドルがぼやいた。


「今回は陸軍が突っかかったなんて驚いたよ、まったく。それだっていうのに士官達もリアンに助けを求めるなんて」

「今日は何が原因だ」


 もめ事の理由も知らずに殴り合っていたのだと言外に告げてしまっているリアンに苦笑したアドルは、歩きながら頭を掻いた。


「うちの中尉達、ヴァルハルトが竜のくせに陛下に忠誠を誓わないなんて、竜印を持つ者の風上にもおけないって大声で吹聴してたらしいんだよ。まったく困ったもんだ」


 彼がため息を吐きながら漏らした内容を聞いて、リアンは眉をひそめた。


「中尉達は間違っていない。奴が陛下に忠誠を誓っていないのは事実だろう。それなのに海軍の少将なのだから、私はオーベル家の気が知れない」


 リアンがそう吐き捨てると、アドルは黙って肩をすくめた。


「まあ、海竜はちょっと気難しい人が多いからね。儀礼としてでも膝は折りたくないって、自尊心の強い竜らしいといえばそうじゃない。あれだけ強い竜印を持ってる竜は滅多にいないし、仕事はしっかりやってるんだから、陛下も軍部の大将達も大目に見てもいいと思ってるんじゃないかな」


 リアンはヴァルハルトの叙任式であった騒動を耳にしたときの苛立ちを思い出した。

 奴は自分の命を他人に捧げるなんてまっぴらだと言って、王国を守護する竜のくせに叙任式で陛下に忠誠を誓わなかった不届き者だ。島国であるホーフブルク王国の両翼と呼ばれ、人々から尊ばれているグラディウス家とオーベル家は、その昔王国のある島を守護していた竜の血を引く一族だと言われている。人間にはない力と習性を持つ証である竜印を持って生まれた者は、叙任の際に国王に忠誠を捧げることが慣例となっている。

 陛下に膝を折らなかったヴァルハルトの騒動は、当時空中艦艇にいたリアンの耳にも噂として届く程度には問題になったらしいが、そのうちうやむやになった。奴の竜印があまりに強大だったからだ。竜としての本能が強く、誇り高い自尊心の表れとして軍部の上層部や貴族達は理解を示した、ということらしい。リアンとしては国の両翼と呼ばれるオーベル家の海竜として、奴の行為はあるまじき振る舞いだと思い、その頃からヴァルハルトのことは気に入らなかった。


「竜印の力を見せつけるようにして暴れ回るなんて竜としての品位に欠ける。このままあの恥知らずな奴を野放しにすると、そのうち調子に乗って大問題を起こすだろう。軍部の権威を失墜させる前に早くクビにした方がいい」

「ははっ、リアンって、本当にヴァルハルトのことが嫌いだよね。いつも冷静な君が他人をそこまで悪し様に言うの聞いたことないからなんか面白いよ」

「私は何も面白くない。会う度にあの海竜を絞め殺したいと思っている。ヒースレイからも早く奴の顔を見なくて済むように陛下に働きかけてくれ」


 憮然とした顔で呟くと、アドルは小さく笑って「考えておくよ」と答えた。

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