第26話 旅の終わりにあるもの④

 州城の巨大な城壁には着いたが、門はもう閉まっていた。

 最後の坂道の上に城壁が見えた瞬間、カイルの制止も聞かずに荷車から飛び出した。地面をすれすれで飛んで、正面に見えた城門の跳ね橋の前で止まる。

 橋が引き上げられてぴったりと固く閉ざされている城門を呆然と見上げた。城壁の周りに掘られた空堀の底は深く、橋を下ろしてもらわなければ中へは進めない。城壁は高すぎて、上に立つ見張りの兵士の姿は豆粒くらいにしか見えない。空堀の前には城内の様子をいち早く知ろうとしているのか、多くの野次馬がいて皆一様に城壁の方を仰ぎ見ていた。その中に橋を下ろしてくれそうな兵士の姿は一人もいない。


「あの! すみません!!」


 思いきって大声で橋の向こうに呼びかけたが、城壁の中からはたくさんの楽器を演奏する華やかで賑やかな音が聞こえてくるだけで、セナの声は虚しく響いた。

 突然セナが声を出したから、周りにいた人々は何事かと驚いて注目してくる。数多の視線を浴びて怖気付いたが、自分を奮い立たせて大きく息を吸い込んだ。


「橋を下ろしてください!! まだ一人いるんです!!」


 もう一度大声で叫んだ。

 門が閉まるまでには間に合わなかった。それでもまだ精霊への謁見が始まっていないのなら、頼み込めばカイルは中に通してもらえるかもしれない。彼は正真正銘ヨラカンの代表者なのだから、きっと無碍にはされない。

 そう信じてセナが繰り返し叫んでいると、城壁の壁に開けられた覗き窓が開いて兵士が一人顔を出した。


「なんだ!? 坊主どうした!」


 日に焼けた厳しい顔の男に怒鳴られた。一瞬言葉に詰まったが、それでもカイルのために諦めるわけにはいかない。必死で手を振って大声で事情を訴えた。


「精霊様に謁見に来た方がいるんです! お願いします、橋を下ろしてください!」


 中から響く楽器の音色で掻き消されて、はっきりとは聞こえなかったかもしれないが、兵士はセナが橋を下ろせと言っているのは把握したのか、すげなく首を横に振った。


「駄目だ! 今日はもう誰も中に入れない! この曲が終わったら精霊様が登壇して代表者たちに謁見するんだ! 諦めろ!」

「でも……! まだ一人いるんです!!」


 謁見はまだ始まっていない。曲が終わるまでに中に入れば間に合う。

 必死で頼み続けると、兵士は困惑した顔をしたが首を縦には振らなかった。堀の前にいた人々は何が起こったのかと興味深げな顔でどんどんセナの周りに集まってくる。


「諦めろ、坊主! 今日は絶対に橋は下ろせない! 精霊様が契約者を選ぶまではもう門は開かないぞ!」

「お願いします! まだカイル様が中に入ってない! 精霊様と契約するのはカイル様なのに!」


 叫びながら、目の前が涙で滲んだ。


「君、諦めなよ。正午までに中に入らなきゃ謁見できないんだよ」

「残念だけど間に合わなかったなら仕方ないじゃないか」


 周りの人々からそう嗜められても、セナは首を横に振った。

 ようやくここまでたどり着いて、どうしてもカイルを中に入れなければならないと思うのに、それができないのだと信じたくない。喉の奥が震えて嗚咽が出そうになった。


「セナ!!」


 後ろからカイルの声がして、振り返ると少し離れたところで止まった荷車からカイルが飛び降りるところだった。


「カイル様! 飛び降りたら駄目です!」


 傷に響いたのか、カイルは地面に足をついて一瞬眉を寄せたが、空堀の前で人に囲まれているセナを見つけると猛烈な勢いで走ってきた。

 仰天して目を見開き、慌ててカイルに駆け寄る。


「カイル様! 傷が!」


 走ってきたカイルはセナに手を伸ばして、カイルを支えようとするセナの身体を引き寄せて腕を回した。

 ぎゅっと抱きしめられて目を丸くしたが、急いで跳ね橋の方を指差して訴える。


「カイル様、まだ謁見は始まっていないんです。この演奏が終わるまでは、中に入ればまだ間に合います。僕お願いして」

「セナ、もういいんだ」


 懸命に状況を説明しようとするセナの声をカイルが遮った。セナを力強く抱きしめる彼の腕は、門が閉まっているのを見ても緩まなかった。


「聞こえてたよ。セナが必死に叫んでくれた声が。ありがとうセナ。でも、もういいんだ」


 何かを堪えるような顔をしたカイルが微かに眉尻を下げる。


「間に合わなかった。それが俺の運命だよ」

「でも……」


 セナに微笑んで頷いた彼は、吹っ切れたような顔をしている。それを見て切なくなった。また目の前が涙で滲んでくる。


「カイル様、でも、中に入らなくちゃ」


 涙声になったセナに、カイルは首を横に振った。


「いいんだ。……ごめんね、セナ。頑張ってくれたのに、セナを魔神の世界に帰してあげられない」


 彼はそう言って困ったような顔でセナを見つめた。精霊への未練を感じさせないカイルの口調に戸惑って、跳ね橋を指差していた腕をそろそろと下ろした。カイルはずっと何か思い詰めたような顔でセナを見つめてくる。

 彼が言うように、ランプにかけられた魔法が発動する様子は感じられなかった。身体を引っ張られる気配も、戻って来いと呼ばれる声も聞こえない。カイルの願いはラクサの精霊に謁見にすることだった。それが叶わなかったのだから、セナはカイルの願いを叶えるのに失敗した。だからまだ魔神の世界には戻れないんだろう。


「別にいいんです。戻れなくても」


 そんなことは構わない。セナが魔神の世界に帰れないとしても、誰も困らない。

 問題なのはカイルで、このままでは彼は州伯になれない。それなのに何故か彼はもう諦めてしまった様子で、セナが魔神の世界に帰れないことの方を気にしている。

 セナがはっきり帰れなくてもいいと答えると、カイルはほっと息を吐いた。それから何か躊躇うような顔をしたから、やはり未練があるのかと思い、カイルの腕の中で身体を捻って跳ね橋の方を振り返った。


「やっぱり、何とかして中に入りましょう。カイル様は州伯になるべきです」


 セナが帰れないのはいいが、カイルの望みが叶わないのはいけないと思う。このまま諦めてしまうのはまだ早い。まだ城壁の中の演奏は終わっていない。

 セナがカイルの顔を見上げて訴えると、カイルは口元を引き結び、また首を横に振った。


 どうして諦めてしまうの? と困惑して尋ねようとしたとき、突然頭上で何かが羽ばたくような音がした。


『どうかされましたか?』


 落ち着きのある声が聞こえた。はっとして上を見上げると、真っ白な鳥が空中に浮かび、セナとカイルを見下ろしている。

 セナには聞こえる声だったが、周りの人々はざわめいて「精霊だ」と口々に囁いている。翼を広げて優雅に羽ばたく鳥が風の精霊であると、セナにもすぐにわかった。


「あなたはどこから……?」

『胸壁よ。私は砦を守る兵と契約しているの。下が騒がしいから様子を見てくるように言われました』


 そう言われて城壁を見上げると、確かに豆粒くらいにしか見えなかった兵士達が数人集まってこちらを見下ろしているのがわかる。セナとカイルの周りに人々が集まっているから、何事かと思われたようだ。


『見たところ、小さなジンの坊やがいるようだったから様子を見にきたのだけど、どうかしたのかしら?』

「精霊さま、お願いがあるんです! ここにいる方は今日の謁見に参加するはずだったヨラカンの代表者です。門が閉まってしまったので中に入れず困っています。カイル様を中に入れてもらえませんか? お願いします!」


 穏やかな口調で事情を尋ねてきた風の精霊の言葉に、飛びつくような勢いで懇願した。

 こんな奇跡が起きるなんて信じられない。でもこの上ないチャンスだ。これでカイルを中に入れてもらえる。


「セナ」

「まだ謁見は始まっていません! お願いします!」


 カイルの腕の中から白い鳥を見上げ、必死に言い募る。

 精霊と話をしているセナを見て周りの人々は呆気に取られていたが、セナと鳥を見比べるようにして様子をうかがっていた。


『そうね……。主に聞いてみないといけないけれど、そこの人一人くらいなら私の力で上まで連れていってあげられる。そこで中に入れていいかどうか聞いてみましょう』

「本当ですか?! ありがとうございます!」


 目を見開いて感謝を伝え、まだセナの腰を離さないカイルを見上げる。


「カイル様、この精霊さまが城壁の上まで連れていってくれるそうです。そしたら兵士さん達に謁見のお部屋に入れるように事情を説明しましょう! 僕も上まで一緒に行きます!」


 カイルを抱えて飛ぶことはできないが、自分一人だけならなんとか上まで飛べるだろう。身体が重くて上手く浮けなかったら、カイルだけでも連れていってもらえばいい。

 こんな幸運が降ってくるなんて、やっぱりカイルは州伯に選ばれるべき人なんだ。

 ツキンと痛んだ胸を片手で押さえて、カイルの腕から離れた。

 カイルは選ばれる。そしたらセナは今度こそお払い箱だけど、大丈夫。カイルは幸せになれる。

 そう自分に言い聞かせて風の精霊の方へ飛び上がろうしたとき、腕を掴まれて強く引かれた。


「えっ」


 驚いて振り返ると、セナの腕を強く握るカイルの顔は強張っていた。てっきり喜んでいると思ったのに、さっきと同じ思い詰めたような、切なさを呑み込むような、そんな表情でセナを見ている。


「カイル様……?」


 戸惑った声を出したら、そんなセナを黙って見つめるカイルは眉間に力を入れて瞳を揺らした。それからぎゅ、と唇を噛み締めて目を伏せる。

 ぐいっともう一度腕を引かれて、カイルの腕の中に閉じ込められた。


「カイル様?」


 硬く抱きしめられて、驚くセナの耳にカイルの掠れた声が届いた。


「いいんだ、セナ。俺は州伯になんてなりたくない」

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