第2話ー憂う彼女と無力な僕


 それから五年の月日が経ち、十五歳になった頃。

 昔の身体の悪さは、すっかりと鍛えられていた。

 日々の生活は、よく食べ、よく遊び、よく寝るの繰り返しで、その内三分の二は彼女と過ごしていた。

 成長期の身体とは不思議なもので、前とは見違える程に体力は上がり、大人たちと島の南方にある森に、狩りに行くようにもなった。

 

 その森の中には鳥やら猪やらの動物に、薬草や木の実まで、ありとあらゆる自然の恵みが詰まっていて、いつも僕たちの生きる糧を譲ってもらっている。

 その代わりに僕たちは、特定の老木以外の大きな木を伐採することで、次の命が芽吹きやすいようにと手伝うし、森の生き物を減らし過ぎないようにと、家畜も飼っているのだ。

 と、そんな感じのことを、森に入る前に村の大人が言っていた。

 その全部を理解していたかと言えばそうではないが、表面上の内容だけは理解していたと思う。

 

 森で血抜きした猪三匹と、籠に入っている木の実数十個を採った帰路に、彼女の爽やかな海色の髪に似合う黄色の花を見つけた。

 その花を優しく摘むと、少しでも傷つけないようにと、ハンカチでそっと包み込む。

 そのハンカチは彼女から貰ったもので、僕の名前が刺繍されている宝物だ。

 村に着くと、大人が血抜きのされている猪を、僕が木の実の入っている籠を、調理場へと持って行った。

 

 調理場には腕の効く村の大人たちが居て、籠に入っている木の実を種類ごとに取り分ける。

 ジャムにするものに、そのまま生で食べるもの、果汁を絞って飲み物にするもの、と、それぞれだ。

 僕と彼女は小さい頃から特に飲み物が好きで、夏場に大人からラズベリーを貰っては、潰して飲んでいた。

 そんな思い出深いラズベリージュースを作って貰えるよう、朝から大人に頼んでいたので、二人分貰って、彼女が何時も居る薬草畑へと、足を運んだ。

 

 高台にある薬草畑からは、海を見ることができる。

 僕が狩りで遊べない日の彼女は、いつもそこのベンチに座って、海の向こうを艷めいた黒い瞳で見つめながら、胸まである海色の後ろ髪を革紐で一つに結んでは、潮風に靡かせている。

 

 ここ二年間の彼女は、何かに憂いていることが多い。

 僕はその姿を見る度に、罪悪感に駆られながらも、その妖艶さに息を呑んでしまう。

 ほんの数秒間見惚れていた僕に気づいた彼女は、目尻の下がった瞳から雫を零し、血色に染まった頬を潤わせながら、こちらへと振り向く。

 彼女はこちらへ振り向くと、溢れ出したそれを鎮めようと、優しく、それでいて無造作に、ハンカチで拭った。

 そんな彼女に対して、焦りの様なものを感じたのだが、感の鈍い当時の僕には、その答えまで辿り着くことが出来なかった。

 

 一瞬立ち尽くした僕は、少しずつ彼女の方へと進み、両手に持つラズベリージュースの片方を、そっと渡す。

 ジュースを渡した時の彼女の表情は、今さっきの出来事が無かったと思える程に明るくて、感の鈍い僕でも、無理をしていることだけは分かった。

 ──彼女が何に無理をしているのか?

 ──何故無理をしているのか?

 ──どのくらい無理をしているのか?

 昔から三日三晩一緒にいる彼女の知りたいこと、知らないことが、僕には山ほどある。

 木製のコップに柔らかな薄紅色の唇を付け、ジュースを喉に流す彼女に、僕は心の中の蟠りを、無意識的に曝け出していた。

 

 それは…

 ──何に憂いているのか?

 ──何に焦っているのか?

 ──何故泣いていたのか?

 ──なんで、何もなかったように笑っているのか?

 最初は無意識だったそれを、僕は次第に意識的に曝け出していった。

 

 彼女はそれらの疑問を静かに聴いていたが、彼女がそれらに答えることはない。

 何も答えてくれない彼女に対して、言葉にできないほどの無力感を抱いた。

 生まれた時から三日三晩一緒にいた彼女に、僕は確かな強い絆を感じ、特別に思っているのだ。

 だからこそ僕は、彼女が何かに悩んでいるのなら、力になりたかったし、力になれるのだと、そう、心のどこかで思っていた。

「悔しいなぁ……」

 下唇を噛む僕に、静かにジュースを飲んでいた唇は、重々しく言葉を投げかける。

「あの日まで、あと、ほんの少ししかないわね……」

 と、寂しげに。

 

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