第22話「ともしび」

「伊澄!!」


耳をつんざくような声が、頭の奥で響く。

同時に、肩を強く揺さぶられる感覚。


「っ____!!」


視界が大きく揺らぎ、森の色が剥がれ落ちていく。

鈴の音が遠ざかり、代わりに聞こえてきたのは……聞き覚えのある声。


「おい、伊澄!しっかりしろ!」


……亮平さんの声だ。

俺はゆっくり目を開けた。

雲ひとつもない青空。あの世界とは似ても似つかない現実だった。

さっきまでの鮮やかな色も、なにもかも全部消えていた。


「はぁ、は、お、俺…戻って……」


まだ身体は重く、額には冷や汗が流れている。

足元に絡みついていた黒い煙は、もうない。

亮平さんは俺の顔をじっと見つめて


「よかった、無事で。」


俺は震える手で、自分の顔を覆った。

……あの森の感触が、まだ指先に残っている。


「……あれは……、メアリー・スーの…」


亮平さんは、俺が呼吸を整えるのを待ってから、低い声で切り出した。


「あれは桃源郷アルカディアじゃない。」

桃源郷アルカディア…じゃない?どうしてあなたがそんなこと分かるんですか」

「…俺の能力のことを忘れたか?俺の能力は、するんだ。相手の能力が分かる。」

「だから桃源郷アルカディアではないと?」

「そうだ。あれは…彼女の『』だ。」

「…」


…大人はすごい。なんでもお見通しのようだ。

俺は、実際彼女をこの目で見て、『限界覚醒』だと理解をした。

亮平さんは…見ていない。ましてや、だけだ。


「…お前、知ってるな?」

「…ああ、そうですよ。この目で見ましたからね。あれが、『限界覚醒』なんですね?」

「…嫌に冷静だな。お前らしいといえば、お前らしいか。」


亮平さんは、溜息をつき、大きく息を吸って


「…伊澄、あれは夢でも、洗脳でもない。あいつのお前の意識を“引きずり込む”能力だ。」

「……引きずり込む?」

「そうだ。あいつが作った『精神領域』に、お前の意識だけを閉じ込める。そして、精神は確実に削られる。……厄介だな。」


俺は息を飲んだ。

あそこで見た光景、全部が脳裏にこびりついて離れない。

…前のとは違った。『桃源郷アルカディア』にいたときは、おぼえていなかった。何があったか。

しかし…『夢想フォレスト』は違う。すべて、鮮明に脳にやきつけてくるんだ。

…これが、『限界覚醒』、か。


「……あれは……洗脳の類ですか。」

「正確には“精神汚染”だな。」


亮平さんは腕を組み、短く息を吐く。


「意識を長時間あそこに留めさせることで、現実感を奪い、価値観を上書きする。…そのうち、お前は完全に相手の思い通りになる。」

「じゃあ、俺は」

「今はまだ間に合う。」


亮平さんは俺の目をはっきりみて


「だが、もう一度引きずり込まれたら……次は帰って来れないだろうな。」


俺は恐怖した。

あの森で、夜子や甘楽、怜の“ニセモノ”に囲まれて、全部を受け入れそうになった自分が怖かった。

もし、あのまま……。


「…。あの女を」

「…そうだ。中学生には荷が重いかもだが、殺せ。銃もかそうか。」


俺は黙って頷いた。

メアリー・スーの紅い瞳を思い出す。

あれをもう一度見たら、俺はまた堕ちるだろう。

今度こそ、二度と戻れない場所へ。


「伊澄。お前に言っておこう。」

「……はい。」

「もしお前がまたあいつに取り込まれたら……俺らは二度と、お前を見つけられない。お前はもう、帰ってこない。」


その言葉の重さに、背筋が冷えた。

…殺す。俺が、メアリー・スーを。

すると、亮平さんはコートの内ポケットから何かを取り出した。


黒い拳銃。

いつも亮平さんが弾を入れずになぐっていた、銃。


「これを貸す。弾は入れてある、気をつけて使え。」


俺は息を呑んだ。

拳銃なんて、ゲームの中でしか触れたことがない。

それを今、現実で渡されようとしている。


「怖いか?」

「怖い。でも、俺は…もう嫌だ。」

「なら握れ。」


亮平さんの声に、妙に温かみがあった。

俺は両手でそれを受け取り、しっかりと握った。


すると、ドタドタと足音が聞こえる。

足音のする方向に目をやると、俺が頭で理解するより先に、夜子が突っ込んできた。


「いずいずーーー!!!……大丈夫だった??ね、大丈夫??」

「な、なんで来たのさ。」


俺の問いかけに、怜が変わりに反応する。


「侑のことが心配だから授業抜けてきたに決まってるでしょ」


…授業を、抜けてきた。

俺のことが心配で…か。


「…お前ら」


亮平さんは呆れた顔をして口を開いた。


「じゃあ、俺はこれで。あとはお前らでどうにかしろな。」

「えっ」


亮平さんはそう言うと去っていってしまった。


「…いずいず、さっきりょーさんと何話したの?」

「…わかった、詳しいことはあとから説明するからとりあえず着いてきて。」


俺は3人を連れて周囲から少し離れた中庭へ移動した。

ここなら誰の耳にも入りにくい。


「…結論から言うと、俺はメアリー・スーを殺す。その為に亮平さんから拳銃も借りた。」


3人とも息を呑んだ。


「…あいつの手の内は分かったのかよ?」

「精神を引きずり込む。それがあの女の『限界覚醒』。俺は…前までの俺はあの女に洗脳されていた。あれは『限界覚醒』じゃない、あの女の通常攻撃。」

「『限界覚醒』…」


怜はその言葉を聞いて、手を顎に当てて考え出した。

俺が『限界覚醒』を見たのはこれで2回目だ。


「…『限界覚醒』って、通常の能力より、もっと強くなったものっていう解釈でいいんだよね」

「それで、いいと思う。」

「僕たちにも、あるってことだよね。」

「…それは」


俺は口を噤んだ。

…俺たちにも、あるのか?

『限界覚醒』というものが。


「…なぁ、伊澄。俺たちを呼んだつっつーことは、なんか言いてぇことが他にあったってことだろ?言えよ」


甘楽が空気を察したのか、話題を方向転換させた。

こいつは…、たまにいいことをしてくれる。


「…俺は、1回あの女の『限界覚醒』に飲み込まれた。だから、次飲み込まれたら、俺はもうこの世界からログアウトするいなくなる。だから、このまま放置していたら、俺だけじゃなくてみんなにも被害が行く。その前に、殺す。」


甘楽が俺を真っすぐ見つめる。


「……本気なんだな。」

「人殺しには、なりたくなかったよ。」


そのときだった。

___カラン。


どこからか、あの鈴の音が微かに響いた。

耳の奥を震わせる、甘くて不吉な音色。


「……今の」


怜が小声で問う。

俺は、困惑した。こんなすぐ来るとは思ってもいなかった。

音は、すぐ近く…校舎の角を曲がった先から聞こえてきた。

俺は銃を握る手に力を込めた。

まだ見えないが、確かに“あの女”は近くにいる。

気温は朝見た時点で35度。

天気は晴天。

雲ひとつない、青い空。

そんな、真夏のはずなのに、冷たい空気が流れる感じがする。


_カラン。

再び鈴の音。今度は少しだけ大きく、長く響いた。


「……音が近づいてきてるぞ。」

「間違いない……あの方向だ。」


俺はポケットの中で拳銃を握り直した。

……来る。


靴音はしない。ただ、鈴の音だけが近づいてくる。

視界の端がふっと滲み、色がわずかに鮮やかになる。

精神領域への侵入の兆候。

俺は深く息を吸った。亮平さんの言葉が脳裏をよぎる。

引きずり込まれたら、二度と帰れない。

鈴の音がなる。

……そして、姿を現した。

校舎の角から、まるで舞台の幕が開くように彼女は現れた。

メアリー・スー。紅い瞳が、真っすぐに俺を見つめる。


「……見つけた。」


その声は、甘く、耳の奥に直接届く。

夜子が小さく悲鳴を上げた瞬間、周囲の景色がわずかに歪んだ。

昼の中庭が、ほんの一瞬だけ森の色を帯びる。

俺は拳銃を引き抜き、両手で構えた。

だが、彼女は微笑んだまま、まったく動じない。

その紅い瞳が、まるで「撃てるものなら撃ってみろ」と言っているかのように、俺を見つめている。


「ねぇ、侑くん……また、会えて嬉しいよ。」


鈴の音が、今度は耳の奥で直接鳴った。

視界の端に、またあの“モヤ”が立ちこめ始める。

俺は歯を食いしばった。


「このクソ…!!」


だが、メアリーは一歩、また一歩と近づいてくる。

その足音はまったくしない。鈴の音だけが、響く。

俺は銃口を彼女の頭に向けた。

これは、ゲームの知識だ。頭を狙えば、確実に死ぬ。

だが……引き金にかけた指が、わずかに震えていた。

紅い瞳が、少しだけ細められる。


「ねぇ……侑くん。撃てるわけ、ないよね?」


視界が、また揺らぐ。

紅い瞳が、俺の視界に広がる。


「……ぁ……」


喉の奥が勝手に震える。

思考はもう、染まり始めていた。

校庭の芝生が、見覚えのある森の下草に変わり――あの、二度と戻らないと誓ったはずの場所が、また俺を包み込んだ。


「……たす、く……?」


夜子の声が、急速に遠のいていく。

俺は、振り返れなかった。振り返るよりも早く、瞳が勝手にメアリー・スーを追ってしまう。


「いい子だね、侑くん」


俺の思考が、ゆっくりと溶かされていく。


「伊澄!!」


甘楽の声が聞こえる。

だが、もう遅かった。

足元の地面が、花びらに変わる。


「侑!!戻ってきて!!ねぇ、やだよ、いなくなるのはやだよッ!!」


だが、その必死な声は、俺にはもう届かない。

代わりに、耳元で彼女___メアリー・スーが囁く。


「大丈夫……私がいるから」

「……あぁ……」


自分の口から漏れた声に、自分自身が驚く。

俺は、頷いていた。

俺は、ゆっくりとメアリーの方へ歩み寄る。

それはまるで、意志ではなく“操られた歩み”だった。

後ろで夜子の泣き声が揺れるのが聞こえる。


「たすく……お願い……やだ……やだよ……」


でも俺は振り返らない。振り返れない。


「……おかえり、侑くん」


その一言が、俺の最後の抵抗を溶かしきった。

足元から黒い煙が絡みつき、視界がゆっくりと暗く閉ざされていく。


「あー、もういらないね?私が侑くんのために、夜子ちゃんも甘楽くんも怜くんも作ってあげるから…はいらないよね。…ね、侑くん、だーいじなお仲間のこと撃っちゃったら?もうになるんだし…ね?」


甘い声。

紅い瞳が視界の中心に広がったその瞬間、俺は銃をしっかり握り、引き金に指をかけ、口を開いた。


「……じゃあね」


視界が一気に白に染まる。

世界が反転し、すべての音が遠ざかる。

大切だった友人たちの声も…もう、届かない。


届かない____



「メアリー・スー」



___はずだった。


俺は冷たい声で、その名前を呼んだ。

名前を呼ぶのと同時に俺はメアリー・スーの足に弾を1発撃ち込んだ。

撃ち込んだ途端、染まっていた景色は全て、現実に引き戻されていた。


「……伊澄、お前……!」

「……侑…くん…?」


メアリーが、一瞬だけ瞳を揺らす。


「残念、思い通りに行きませんでしたねー。」

「な……何を……」


その声は、初めてほんの少しだけ怯えを帯びていた。


「友達をバカにするなって、聞いてなかったのかな」

「だって、『桃源郷アルカディア』に!!『夢想フォレスト』に!!」


メアリーが、膝立ちで暴れる。


「どうしてッ!?!」


紅い瞳が、徐々に蒼色に戻っていく。


「どうしてって…君がおバカさんだからでしょ」


俺は拳銃をくるりと回しながら言う。

メアリーの肩が、びくりと揺れる。


「でも私ッ!本気で侑くんのこと好きなのッ!!」


声が裏返る。必死に取り繕うように。

ね、信じて!と。


「だったら最初からこんなことしなければよかったのに」


俺は吐き捨てるようにメアリー・スーに言った。


「俺は絶対、君みたいな人とは付き合わない」

「なんで、なんで……ッ!!」

「今さら泣いたって意味ないよ」


銃口を、ゆっくりと彼女の額に向ける。


「被害者は俺なんだし。悲劇のヒロインぶらないでくれる?……“メアリー・スー”の名前も伊達じゃないね」

「な……は……?」


メアリーの顔が引きつる。


「メアリー・スーの意味、知ってる?」


俺は息を整えて


「君みたいな俺未満のバカにも分かるようにチョー簡単に言うと……完璧すぎて周りに嫌われる女…君みたいなやつのことだ」

「侑くん……ッ!」


彼女の声が、悲鳴に近くなる。


「もう話すのめんどくさいや」


俺は銃を構え直す。


「サラダバー」


引き金を引く。

破裂音と同時に、蒼い瞳が大きく開かれ、鈴の音が耳を裂くように鳴り響いた。

メアリー・スーはゆっくりと後ろに崩れ落ちる。

綺麗な朱の線を空中に画きながら、彼女は地面に無様に倒れた。


「……っは……!」


俺は大きく息を吸い込み、拳銃を持つ手を下ろした。

肩が震える。

俺は緊張が身体中から抜けていくのを感じた。


「いずいず!!」


真っ先に飛び込んできた夜子が、勢いよく抱きついてくる。

あたたかい。間違いなく、本物の夜子だ。

彼女は俺の胸元に顔を押し付けて、泣きじゃくっていた。


「ほんっと……っ、もう……!ばか!いずいずの大馬鹿者!!!」

「…ごめん」


それだけしか言えなかった。声を出すだけで、喉がひりつく。

甘楽が俺の方へ歩み寄り、短く言う。


「お前、ほんとバカだな」


その表情は不器用なほど固いが、わずかに口角が上がっていた。

怜も安堵の息をつき、俺の背を軽く叩いた。


「よかった…おかえり、侑」


俺は小さく頷く。

もう二度と、あんなことがないように。


「…ただいま、みんな」


_____


夕方。

校舎の屋上で、俺たちはジュースを飲んでいた。

下からは部活の掛け声や、走る足音がかすかに聞こえる。

いつもの放課後だ。

夜子はベンチに座ったまま空を見上げている。


「ねぇ、いずいず」

「ん?」

「今のいずいずは、いずいずなんだよね?」

「…うん」


その言葉を聞いて、夜子はようやく安心したように笑った。

甘楽がペットボトルのキャップを回しながらぼそりと呟く。


「つーか……あれだけ派手にやったのに、教師も警備も来やしねぇな」


怜が苦笑いする。


「それも大人の都合だよ。能力の世界じゃ何があるか分からない」


俺は拳銃を見下ろす。

…俺は、人を殺したんだ。

人生で初めて、人を。一抹の不安を拭いながら、これは自己防衛だと自分に言い聞かせていると、夜子がふと笑顔で言う。


「ねね!じゃあ今度、みんなで夏祭り行こ!もー絶対、はぐれたりしないから!」

「お前が仕切るとまた面倒になるんじゃねぇのか?」

「ひどい!!れんれんのお誕生日会は上手くいったじゃん!」


俺は、そのやりとりを黙って聞いていた。

いつも通りの何気ないやりとり、いつも通りの少し騒がしい空気。

これだ。これが、俺の居場所だ。


「……いいね。夏祭り」


自然と、口元が緩んだ。

遠くで、まだ蝉が鳴いている。

俺たちは、ただその音を聞きながら、ゆっくりと日常へ帰っていった。

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