第45話 黙秘と探偵たちのシャグラン⑪


 産まれてきた子は、自分にも縁にもよく似ていた。


 髪の色は父親似だけど、顔立ちはルイス寄りで、女の子のように可愛いらしい赤ちゃんだった。


 そして、そんな我が子の可愛さに、ルイスは頬を緩めてばかりだった。

 

「うわあ、可愛いぃ~」

 

 探偵としての威厳が、あっさり崩れてしまうほど、その頃のルイスは、完全にママだった。


 いや、言葉遣いはルイスのままだから、男っぽさは変わらないが、それでも、赤子を抱くルイスは、女神のように美しく、そして、慈愛に満ちた表情を浮かべていた。


「ノアさん! ついに退院しちゃうんですね」

 

「おひとりだと色々大変だと思いますが、何か心配なことがあれば、いつでも相談に乗りますからね!」


「ありがとうございます。皆さん、お世話になりました」


 産婦人科の人たちは、フランス人のノアにも優しくしてくれて、退院するのが少し名残惜しく感じた。


 だが、これからは、赤ちゃんと二人だけの生活になる。


 だからか、産婦人科を退院したあとも、ルイスは、もうしばらく日本に滞在することにした。


 フランスに戻るにしても、産まれたばかりの新生児を、飛行機に乗せるのは不安だったし、もう少し大きくなるまでは、日本にいたほうが良いと判断したからだ。


 ちなみに、妊娠初期に切迫早産になり、入院したルイスだったが、あれから、しばらくして状態が安定し、一時的に退院できることになった時に、赤ちゃんと暮らす家を、あらかじめ決めていた。


 それに、ここ10ヶ月の間に、日本語もかなり話せるようになったし、探偵業をしていた時の蓄えが、それなりにあったため、お金に困ることもなかった。


 だから、しばらくは働かずに、育児に専念できる。


 そして、退院したルイスは、赤ちゃんと一緒に、小さなアパートに戻ってきた。


「ノエル、今日から、ここが君の家だよ」

 

 部屋に暖房をつけながら、ルイスは、可愛い我が子に語りかけた。


 そして、考えに考えた末、子供の名前は『ノエル』と名付けた。


 クリスマスに生まれたから──ノエル。


 かなり安直な名前だと思われるかもしれないが、この名前には、別の意味もあった。


 ノエルには、3人の頭文字が入ってる。


 母親であるノアと、父親である縁。そして、もう一人の自分であるルイスの名前が、一文字ずつ。


 長くルイスでいたから、ルイスとしての自分も捨てきれなかった。


 だが、これは、フランスを離れてからも、ルイスとして振る舞うことがあったからかもしれない。


「ルイス君。一体、いつになったら、フランスに戻ってくるの?」

 

 海外を点々としている間も、ルイスの携帯には、定期的に依頼の電話がかかってきた。


 それは、フランスにいたころに、ご贔屓にして下さった方々で、その電話は、妊娠中だろうが、産後だろうか、お構い無しにかかってきた。


 だが、それはそうだろう。ルイスは男なのだから、まさか、妊娠や出産をしてるなんて思うまい。


 そして、彼等には長年、お世話になってきたからこそ、ルイス自身も、電話があれば、必ず出るようにしていた。


「すみません、夫人。俺、もうしばらく、海外にいる予定でして」


「あら、そうなの? ルイス君がいないと、寂しくって……でも、そうよね。いつまでも君を、フランスの中に、閉じ込めておくのは、勿体ないわね」


「もったいない?」


「そうよ。私、いつかルイス君は、世界的に有名な名探偵になると思ってるの!」


「それは、買い被りすぎですよ」


「そんなことないわ! それに私の予言は、よくあたるのよ」


「ふぁぁぁん」


「あら? 赤ちゃん?」


「あ、えっと! テレビですよ、テレビ!」


「あら、そうなの。てっきり、結婚してパパにでもなってるのかと思ったわ」


「……あはは」


 パパじゃなくて、ママなんですけどね?

 夫人の言葉に、ルイスは苦笑いを浮かべた。


 だが、ノアとして兄を探しつつも、ルイスとして探偵も続けていて、電話だけで、困り事を解決することがよくあった。


 だから、ノアでありながら、やはり、ルイスでもあって、どちらも自分であり、どちらも捨てられなかった。

 

 なにより、縁が愛していたのは探偵のルイスの方だったから、ノアとエニシとルイス、3人分の愛情をこめて、子供には『ノエル』と名付けた。


 そして、夫人には、悩み相談や事件の相談にのりながら、時折、縁のことを聞くことがあった。

 

 縁は、ルイスが去ったあとも、しばらく探偵社で暮らしていたらしい。


 きっと、ルイスの帰りを待っていたのかもしれない。学校も辞めて、仕事もせず、ずっと、ルイスを探していたそうだ。


 それを聞いた時は、とても心配したものだった。でも、最近になり、状況がかわったらしい。


「縁くんは、探偵社を出ていったわよ」


「え?」


「ご親戚から連絡があったそうなの。跡を継ぐから、フランスを離れるって、挨拶に来たわ」


「……そうなんですね」


 親戚とは誰だろう?


 フランスにいる母親の親戚ではないだろうから、父方の姫川の親戚だろうか?


 昔の事があるからか、ルイスは心配になるが、縁は、もう16歳だ。

 

 昔のような子供ではない。

 なら、自分の意思で、親戚の元に行くのを決めたのだろう。


「ねぇ、ルイス君、厄介な事件の捜査をしてるといってたけど、縁くんを連れて行ってあげることはできなかったの? 君がいなくなった後の、あの子を見てると、なんだか心配で」


「すみません、色々、事情があって……縁とは連絡をとってないんです。だから、俺と連絡をとってることは、縁にはいわないでくださいね」


「言いたくても言えないわ。もうフランスにはいないんだから」


 夫人と話しながら、ルイスは、切なげに目を細めた。


 縁が、探偵社から出ていった。なら、縁との繋がりが、完全に切れたということ。


 もう会いたくても、会えない。


 縁がルイスの居場所をしらないように、ルイスも縁の居場所をしらないのだから。

 

 でも、これは、決して悪いことではなかった。


 あの縁が、やっと前に進み出した。


 あの時のルイスへの想いを断ち切り、やっとあの恋が、過去のものになったのだ。


「ノエル、ごめんね。本当のお父さんには会わせてあげられないけど、俺が父親の代わりもするからね?」


 母親も父親も、ぜんぶ引き受けよう。

 

 もとより、そのつもりで、この子を産んだのだから。


(縁、幸せになりなよ?)


 そして、新天地で、新たな生活を送り始めた縁に、ルイスはエールを送った。


 今でも、大切な子に変わりはない。

 

 家族として、相棒として、誰よりも大切な存在。


 だから、幸せになって欲しかった。


 でも、その願いが打ち砕かれたのは、ノエルが産まれて12日目の夜。


 年が明け、出生届を出す期限が迫ったある日、ルイスの元に客人が現れた。


 雪の降る寒い日だ。ノエルが眠った直後、突然、インターフォンがなった。


 だが、訪ねてくる人物に、心当たりはなかった。日本に知り合いなんて、ほとんどいなかったから。


 だから、何かの勧誘かと、ルイスは一度は無視をするが、その客人は、何度もインターフォンを鳴らしてきた。


 ピンポーン!

 ピンポーン!

 ピンポーン!!


(うるさい……!!)

 

 このままでは、寝ているノエルが起きてしまう。ルイスは、一体なんだ?と、インターフォンモニターで客人を確認する。


 すると、そこには、ありえない人物がいた。


「え、エニシ……?」


 そこに居たのは、姫川 縁だった。

 

 あの日、別れたきり会ってはいない、ルイスの助手。だが、あれから縁とは、全く連絡をとってはいなかったし、この場所だって知らないはずだった。


 だからこそ、ルイスは、軽くパニックになった。


(な、なんで、エニシが……?)

 

 だって、ここは日本だ。

 だから、縁がいるはずがなくて……っ


(あー、これが俗に言う、他人の空似ってやつかな? ここは日本だし、縁に似てる子だっているよね?)


。いるのはわかってるんです。開けてください」


「!?」


 だが、その瞬間、懐かしい名前で呼ばれて、ルイスは、ビクッと肩を弾ませた。


 『ルイス先生』と呼ぶのは、一人しかいなかった。だからこそ、確信した。


 そこにいるのは、ノエルの父親である、姫川縁、本人なのだと──


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