第31話 エリ

「させない!」


 私の放つ灼熱の魔力弾が夜闇を引き裂いてエリに殺到するが、着弾の寸前、彼女の姿は陽炎のように掻き消え、魔力弾は背後の岩肌を抉る。

 呪いの誓約書との間合いを詰める暇もなく、別の場所に現れたエリは、嘲るように指先から新たな魔力を練り上げていく。

 赤子の右手がこびりついた羊皮紙めがけて。


 リョウの漆黒の剣が残像を追いかけるようにエリの背後から空間を薙ぐも手応えはなく、空を斬るヒュウという風切り音のみが響いた。

 クリスの渾身の大剣が地面を叩き割り、ベレニスの疾風のレイピアが虚空を縫い、レオノールの双剣が銀色の光跡を描くも、全てが幻を斬るかのように空転する。


 ……遊んでいる? いや、違う。これは法則に基づいた動き。この土地そのものが、彼女の手足となっている。


 エリの力は呪いのシステムと完全に同化し、マーイン領の隅々までを支配しているのだ。

 この戦場は彼女の掌の上。どこにいようと、いつだろうと、瞬時に現れ、介入できるという絶対的な優位。

 呪いの誓約書は7年間に渡り蓄積された民衆の恐怖と罪悪感を魔力として滾らせ、強力無比な結界を纏っていた。

 それはエリすらも、接近すれば巻き込まれ脱出困難になる封印のように。

 だから彼女は距離を取り、魔力弾で誓約書を燃やそうとしている。


「素早いな。あり得ないぐらいに。魔女の範疇を超えている」


「呪いのシステムっすね。あの誓約書から力を得ている限り、彼女はマーイン領では無敵っす」


「ヘクターさん、フィーリア、何か策を。このままですとクレバスさんたちが!」


 激情を抑え込み、冷徹に思考を続ける2人にヴィレッタが悲痛な叫び声を上げる。

 ヴィレッタの神聖魔法による守りも、この土地そのものが穢れてしまった今、羊皮紙のある中心範囲では純粋な光が強力な呪いの濁流に押し返され、悲鳴のように霧散してしまう。

 彼女の放つ聖なる光は私たちを慈しむように包み込むも、死地にいるクレバスたちには届かない。


 眼下に見えるのは、1枚の羊皮紙をエリの魔力による起動から阻止すべく囲んだ肉の壁。

 呪いの羊皮紙から溢れ出す瘴気が、彼らの掲げる剣を鈍色に染める。それでも彼らは退かない。

 自らの罪を断ち切らんと握る贖罪の剣は、命そのものを薪として、最後の輝きを放っていた。


「グッ……アアアアアアッ!」


 空気を裂く甲高い音と共に、エリの指先から放たれた紫黒の雷撃がクレバスの鎧を貫いた。

 凄まじい閃光が彼の身体を内側から焼き、肉の焦げる臭いと絶叫が夜闇に響き渡る。

 吹き飛ばされた身体は無残に宙を舞い、乾いた砂の上へ叩きつけられた。

 贖罪の剣を握りしめ、彼らが犠牲にした赤子の骸の欠片を守るべく、1人、また1人と命を散らしていく。

 駆け出そうとするヴィレッタの腕を、フィーリアは強く掴んで無言で首を横に振った。


「ですが! このままですと彼らは……!」


「あら? お優しい聖女様、自ら死にに行ってくれたら嬉しかったのに」


 ヴィレッタの懐に悪夢のように現れるエリを、私の魔力弾が牽制し追い払う。


「ヴィレッタ嬢、あんたが無効化されたら終わるんだ。ローゼ嬢やリョウたちを信じ、祈り続けろ。クレバスたちの犠牲を無駄にするな」


 ヘクターさんの厳しい言葉に、ヴィレッタは唇を強く噛み締めた。


「……ヘクターさん。変形の魔石持ってたっすよね」


 ヘクターさんもまた、フィーリアの言葉にハッと目を見開いた。


「ちょこまかと!」


 風を纏うベレニスの神速の突きをもってしても、エリは無意味と嘲笑うかのように掻き消え、羊皮紙に紫電を放つ。


「なぜです、エリさん! なぜこんなことをするのですか! 私は見てます! 宿屋で一生懸命働くエリさんを!」


 レオノールの両腕から振り下ろされる二対の剣が残像を斬り裂き、彼女の慟哭が戦場に響く。


「私もだよ! 砂風呂でローゼの魔法ではしゃいでいたエリさんが好き!」


 竜の鋭敏な感覚で、エリの現れるポイントを予測し、クリスが声を張る。

 けれども返ってくるのは氷のような嘲笑。


「なぜ? 好き? あれは私にとって偽りの私。ここを呪いの地にするためだけの偽りの姿よ。本当の私はこれ」


「――嘘ね」


 ベレニスの短い呟きが真実を突く針のように、エリの心の鎧を貫いていく。

 虚空に響いたその一言が引き金だった。


 エリの脳裏に偽りの日常が堰を切ったように溢れ出す。 

 宿屋の主人の無遠慮な冗談。エリを姉のように慕う子供たちの屈託のない笑顔。客たちと交わした、他愛のない噂話。

 同時に幼い頃の宮廷での日々が鮮明に蘇る。権力闘争の駒でしかない大勢いる王女の1人としての己の姿、虚ろな目で玉座に座る従妹ジーニアの姿。

 幼い頃、唯一の味方だった侍女が幼い娘と共に王国を追われたあの日が、昨日のことのように脳を埋め尽くす。


 ***


 王が死に、葬儀の直後にグール騒動が起きた。主犯を見つけたのは偶然か必然か。第一王女の死体を偽装しておびき寄せた教会のシスターを彼女と一緒に殺した。

 殺害直前、躊躇ったのがいけなかったのか。シスターは墓に眠る死体を可能な限り蘇らせてしまった。

 死体が行進して死体を量産する地獄絵図。

 これが自分たちの選択の結果かとだけ思った。

 その後邪教に拾われ、シスターは王族の誰かに雇われた魔女の擬態だと知る。

 どうでも良かった。ただただ、地獄から解放された気分に浸った。


 ――これからどうしたい?


 六賢魔の老婆たちに問われ、旅に出ることを決断した。本当は従妹も一緒が良かったが、彼女は六賢魔の元で力をつける道を選択してしまう。

 シスターを炙り出す実験で、彼女が己にいい感情を抱いていないのは知っていたから、それもまた必然かと自嘲した。

 そうだ。あの侍女を探そう。彼女は優しかった。見つけて、私も王国を追われたよ。二度と帰れないんだと言おう。

 ……そして、のんびり暮らそう。2人で一緒に。いや、彼女は自分と同じ年頃の娘がいたはず。その子も一緒に。……できたら、従妹とも一緒に。


 ***


「嘘? だったらどうした?」


 感情を排したエリの放つ紫電が、また一人、抵抗する衛兵の命を貫く。


「……街の人々に、情は移らなかったのか?」


 リョウの問いかけに、エリは何も答えなかった。 


「……エリさん。あなたのしたことを私は許す気もないですし、許されるべきとも思いません。それでも私は……あなたの手を握りたい。あなたの罪を私が背負います。このままですとあなたは呪いに飲み込まれ……!」


「ふざけたことを抜かすな! ローゼマリー!」


 エリの絶叫が、彼女自身の心の壁が崩れる音のように木霊する。


「私の罪は私の罪だ! 他の誰かに背負ってもらうものではない!」


 拒絶の言葉と共に、彼女の周囲の大気が急速に凍てついていく。

 月光を吸い込んだ無数の氷の礫が、死の宣告のように宙に生成され、切っ先を私へと向ける。

 私は炎の渦を巻き起こして応酬するが、内心では焦燥が燃え盛っていた。

 

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