第三話/星の涙

 その昔、とある町に病弱な少年がいた。

 少年は生まれてからすぐに難病である事が発覚し、幾度となく手術を繰り返してきた。しかし一向に完治の気配はなく、家族は「あと五年が限界かもしれない」と医者から宣告されていた。少年はまだ、十二歳になったばかりだった。

 少年は余命の事など知らず、ひたすら治療に耐え、いつか外で走り回れることを信じていた。少年のひたむきな姿勢に、家族は陰で涙しながら「あの子の為に出来る事は何でもしよう」と思うようになる。

 それからしばらくして、治療に奮闘したおかげで少しの間だけ家に帰る事が許可された少年。久しぶりに家に帰れる事に心を躍らせながら、家の玄関を開けた時だった。

 玄関に大きな段ボールが二つ。少年が目を丸くしていると、後ろから父が「もう届いたのか」と言う。届いたって、何が? そう言いたげに見つめる少年に、父は微笑んだ。

「一緒に開けよう」

 そう言って、父がリビングに段ボールを持っていく。ソファーに座り込んだ少年の前で段ボールの蓋を開けると、父が「中から取り出してごらん」と促す。少年は一体何があるのかもわからずに、えいっと手を段ボールに突っ込んだ。硬い何かが指先に当たったので、それを掴んで引きずり出してみる。

 中から出てきたのは、何かの配電盤のようなものだ。カラフルなコードがついたそれは、一見して何だかわからない。少年が父を見ると、父は言った。

「パソコン、欲しがっていただろう。これから、一緒に作ってみないか?」

 少年の目が一気に輝く。そうなのだ。少年はかなり前からパソコンを欲しがっていた。だが、病院での入院生活の中でパソコンを使う事は困難であったから、半ば諦めていたのだ。そんな中、一時的な帰宅が許された事をきっかけにして、父がパソコンの部品を買い集めたのである。

 少年は、新品のものを買うよりも自分で作る方が嬉しかった。しかも、父と一緒に作れるのだからもっと嬉しい。少年は父と夢中になってパソコンを作った。母には「程々にしなさいね」と細やかな注意をされたが、束の間の親子の時間だと母もわかっていたから、それ以上は何も言わなかった。

 パソコンの制作は父と少年の頑張りもあって、二日も経たずに成功した。既存のパソコンのようなスタイリッシュさはなく、コードがめちゃくちゃに繋がれた機械の集合体はまるでSF映画に出てくるロボットを彷彿とさせた。

 少年は大喜びでパソコンを使い始めた。出来る操作は限られていたけれど、構わなかった。少年はマウスを使って絵を描いたり、ソフトに搭載されていたミニゲームで遊んだり……少年の好奇心は尽きない。

 一通りゲームで遊び終わると、今度は誰かと会話してみたいという欲求に駆られる。インターネットという媒体は遠くにいる知らない人とも連絡が取れるのだ。それに魅力を感じ、少年はパソコンを欲していたのである。

 少年は長い病院生活で、ほとんど友達というものがいなかった。だから、友達が欲しかったのだ。

 少年は早速、メールを打ってみた。宛先を書かなければいけなかったが、思いつかなかったのでそのまま送信ボタンをクリックする。すぐに、自分の書いたメールが返ってきて、「送信できませんでした」とエラーのメッセージ。

 やっぱりダメか、とも思いながら今度は適当なメールアドレスを打ち込んでメッセージを送信してみる。しかし、これも失敗。

 それでも諦めることなく送信を繰り返しているうちに、部屋のドアが叩かれる。

「御飯の時間よ、早く降りていらっしゃい」

 母の声に、少年はダメ押しの一通を送り、パソコンを離れた。

 どうか、僕の声が届けばいいのに。

 そう願った少年の一通のメッセージは、広大なインターネットの海に投げ出された。


 ****


 しばらくして、少年のパソコンに一通のメッセージが届いた。

 少年は飛び上がるほど喜んで、そのメッセージを開く。すると文面にはこう書いてあった。


「---- ・-・-・ -・-・ ・・-・ -・・・  -・・・ --・-・ ・・ -・・・- -・・- --・-・ ・-・--  -・-・・ ・・-・- -・・・  ・・-・ -・-・・ ・・- ・・-- --・・- ・・-・・  ・-・-- ・・ ---・- ・-・・ 」


 記号だ。少年は目を丸くする。これは一体なんだろうかと一人で考えて、ハッとする。

「……もしかして、モールス信号?」

 少年はもう一度文面を見る。微妙なスペースや文字の配列を見て、「やっぱりそうだ」と呟くと、少年は慌てて本棚にあった本を取り出す。

 昔から暗号通信について興味のあった少年は、シーザー暗号やモールス信号を密かに研究していたのだ。まさかそれが今役に立つとは思っていなかったが、少年は画面を凝視してその文章を解読しようと試みた。

「……こんにちは、はじめまして、きみは、ちきう、の、ひと、ですか……?」

 ちきう、とは地球ということだろう。少年は、解読してみて益々不思議な気持ちになる。

 何故、地球の人かどうかを聞くのだろうか。しかも、モールス信号でメッセージを送信してきているのも謎だ。普通なら英語とか日本語とか、そういう言語で送ってきても良いはずなのに……。

「まさか……宇宙人、とか?」

 そんな馬鹿なと思いながらも、もしそうだったらどうしようという興奮が勝った。少年は慌てて椅子に座り、パソコンとにらめっこ。手元の本を頼りに、モールス信号で返信をすることにした。

「ぼくは、ちきゅうの、ひと、です。よければ、ともだちに、なって、くれません、か……」

 少年はモールス信号を打ち終わると、それを送った。ドキドキしながら待っていると、返信は思ったよりもすぐに返ってきた。


「・・-・・ -・・-・ -・ ・・ ・・-・  ・- ・- --  -・- -・ --・-・ -・・-・  ・・-・ -・-・・ ・・- ・・--  ・・-・・ -・・-・ -・ ・・ ・・-・  -・・ --・-・ ・-・・ -・ 」

 ともだち いいよ わたしも ちきうの ともだち ほしかた


 少年は信号を解読すると、やったー!と声を出した。

 そこから、少年と謎のモールス信号を送ってくる相手とのやり取りが始まった。少年が自分の名前や得意なことを教えると、相手は「自分達には個人を識別する名前がない」事や、「得意不得意などのない、全てが平等な種族」であることを代わりに教えてくれた。やはり、相手は宇宙人なのだ。

 少年は沢山の事を質問し、相手もまたそれに答えた。孤独な子供の好奇心を、宇宙人という存在が癒していったのである。

 少年が食事や日常を忘れてメッセージ交換に没頭すると、母から二度目の叱咤が飛んだ。一体そんなに何をしているのと問いただされても、父に聞かれても、本当のことは言わなかった。自分だけの秘密にしたかったのだ。

 今日は怒られちゃったよ。と少年が送ると、相手もまた同じだと言った。お互いのやりとりに夢中になって、二人して怒られる。何だかそれがくすぐったくて、楽しい。

「君に会いたいなあ」

 そんな話をすると、「私も君に会いたい」と確かな言葉が返ってくる。どうにかして会えないのかな。そんな風に考えていると、メールがまた送られてくる。

「二十年後、大きな宇宙船が完成したら必ず会いに行くよ」

 文面を見て、少年は少し言葉に詰まる。

 二十年後。僕はそれまで生きていられるのだろうか。僕の命は、それまで持つのだろうか。

 ある夜に、母がリビングで泣いていたのを少年は知っていた。「あの子と、あと数年しかいられないなんて」と震える母の肩を抱く父の悲しげな背中を知っていた。

 少年は、自分の余命を今になって実感する。メッセージの交換によって忘れていた現実を突きつけられ、言葉に迷った。

 少年はどう答えるか悩んだ末に、ただ一言返した。

「必ず、会いに来てね」


 ****


 必ず会いに来て……そう告げてからすぐだった。

 少年の体調がみるみるうちに悪くなり、ついに自宅から病院に戻ってしまったのだ。

 少年は「病室にパソコンを持ってきて欲しい」と無理のあるワガママを言った。父が首を横に振ると、少年は苛立ちと焦りから叫んだ。

「どうせ僕はもう死んじゃうんだから、いいじゃないか!」

 その言葉を聞いた瞬間、父の顔色が変わる。しかし、怒鳴るわけでもなく、ただ泣きそうな顔で少年を見つめた。少年は、自分がとんでもない事を言ったのだとそこで自覚した。

 病室が重苦しい空気に包まれる。何かを堪えるように黙り込んでしまった父に、少年は俯いたまま言った。

「……友達が出来たんだ。その子と、二十年後会おうって、約束した。僕は……死にたくないよ……死にたくなんてない……ッ」

 膝の掛け布団を握りしめ、少年が呻いた。未来の見えない悲しみに嗚咽を漏らし、涙がこぼれる。その背中を父が優しくさすった。

「大丈夫だ。絶対、会える。だから……希望は捨てちゃいけない」

 父の優しい言葉に少年は涙に濡れながら頷いた。

 しかし、その願いも虚しく。夜になると、少年の容態が一気に急変する。意識が朦朧となり、ベッドから起き上がることもできなくなった。

 看護師や医師が慌ただしく病室を出入りする。父や母が少年を呼ぶ声が何処かから聞こえる。少年は苦しみに侵されながらぼんやりと天井を見ていた。

 ……ふいに、ツー、ツー、と医療機器の音に紛れて何かが聞こえた。少年は、遠のく意識を掻き集めて窓の外を見る。

 気づけば夜空に、星が降り注いでいる。流星群だった。美しい光景がまるで自分の最期を予見しているように感じ、少年は意識を手放す覚悟を静かに決める。

 少年が、ついにと覚悟を決める直前。星空が発光した。大きな発光体が、窓の外に現れる。少年は目を瞠った。

 白熱電球のような発光体から、小さな光が一つ分離する。分離したその光は、病室の窓からゆっくり入って来た。

 人形を模した光が、少年の横たわるベッドへと向かってくる。

「来て、くれ、たんだ……」

 少年が息も絶え絶えに言う。眩い光はそっと少年の頬を撫で、静かに微笑んだ。

 少年の瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。


 ****


「……という事が、昔にあったんだよ」

 とあるマンションにて。鹿又の作ったコーヒーを片手に、話を終えた真木野が小さく笑った。

 真木野の話を聞き、鹿又は「まるで海外のSF映画みたいな話ですね」と言った。隣りにいた吉田は「センセー、それマジな実話なの?」と真木野に尋ねる。

「あはは。まあ、信じられない話ではあるだろうね。僕も自分のした体験については半信半疑さ。あれから父と作ったパソコンはすぐに壊れてしまって証拠もなくなったし、病室で見たのも幻覚だったかもしれない」

 真木野が立ち上がる。ベランダの方に立つと、カーテンを少し開けて窓の外を見た。

「それでも……今もね、流星群が見えると思うんだよ。彼が星の光の中から、また僕に会いに来てくれるんじゃないかってね」

 頬を優しく撫でてくれた光を、待ち焦がれている。真木野が静かに、指先で頬をなぞった。

「……ところでさあ、真木野先生ってインドカレーって好き?」

 唐突な吉田の質問に、真木野が振り返る。鹿又は「しんみりしてるんだから空気読めよ」と無言で吉田に視線を送るが、吉田は気がついていない。すると真木野が言う。

「インドカレー……僕はあんまり食べたことないね。美味しいのかい?」

 いや、そこ乗っかるのか。鹿又は吉田と真木野に突っ込みたくなる。昔話でしんみりとしたムードがインドカレーによってぶち壊されると、吉田が「いや! 最近気になってるカレー屋があってえ……」とウキウキで話し出す。

 真木野は窓辺から離れて椅子に座り直し、吉田のインドカレーの話を聞き始める。鹿又は呆れて何も言えなくなった。

 孤独だった少年の日常を、あの光は今も見守っているのだろうか。カーテンの隙間から輝く、あの星空の中で。

 少年を愛した美しい星々が、涙のように輝き流れていく。

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