第5話 作戦
王は青い顔をしてわなわなと震えたかと思うと、ツカツカとアイラの傍(そば)まで来た。
エイジャは急いで主人(あるじ)を王から引き離そうと、彼女の腹に横から手を駆け、自分の方へ引き寄せた。
が、間に合わなかった。
王はアイラの傍(そば)まで来ると、いきなりパァン! と娘の頬を打った。
エイジャ「!」
エイジャは思わず、顔色の悪い主人(あるじ)を見た。
アイラは、叩(はた)かれた方へ顔が向いていたため、その表情は見えなかった。
間髪入れず、往復でもう一発飛んできた。
今度はエイジャが庇(かば)って、ビンタはエイジャの頭に当たった。
エイジャ「っ…」
王はエイジャを跳ね除けると、アイラの両肩をがしりと掴み、
王「お前というやつは…! お前というやつは…!!」
と言いながら、ガクガクと娘を前後に揺さぶった。
エイジャは後ろから彼女の胴体に手をかけて身体を引き寄せ、王から離そうとした。
前方からは父に両肩を掴まれ、後方からはエイジャに胴を引っ張られ、アイラは軽い綱引きのようになっていた。
エイジャ「王っ様…! 大事なお立場の姫君です!」
王は聞く耳を持てない程、追い詰められていた。
借金取りに返す金が、そっくり無くなったような恐怖だった。
王「こ…の、出来損ないが! 釘を刺したばかりというに!」
王はエイジャの事をも睨みつけた。
王「お前達も! 何をしておったのじゃ!!」
エイジャ「〈頭を下げて〉大変申し訳ございません!」
王は怒りが収まらず、またアイラの肩をガクガクと揺らした。
王「おいアイラ! お前も何か言うことが無いのか!!」
アイラは瞳を凍らせて、されるがままになっていた。
世界がぐるぐると回り、気が遠くなってきた。
エイジャは力ずくで、アイラを王から引き離した。
エイジャ「王様! お叱りは私がお受けします。今は何卒ご容赦を…!
姫は湖に落ちた後、何度か意識を失っています! もしものことがあっては…!」
王はハッとして、目を瞑(つぶ)ってぐったりとエイジャにもたれかかっている娘を見た。
彼は、震える指で娘を指差した。
王「お前というやつは…! じっ…、自分が何をしたか、分かっておるのか?!
このことがもし 草馬(そうま)に知れたら、どっ…、どういうことになるのか…、十七にもなって分からんというのか…?!」
アイラは目を伏せたまま、何も言い返さなかった。
というか、目が回り唇が痺れて、言い返せなかった。
王「儂(わし)が…、儂がどんな思いでお前を嫁に出すのか…、〈涙声〉分からんというのか…!? お前は一体、どこまでバカなんだ!」
王は青い顔で、震えながら涙ぐんだ。
アイラは無言のまま、目眩(めまい)の中で奥歯を噛み締めた。
王は腕で目元をさっと拭(ふ)くと、
王「良いか! こっ、今度こんな事をしてみろ!? お前の監視役の責任を問うて、こ奴らを八つ裂きにしてくれるからな!」
エイジャはギョッとして 一つ瞬(まばた)きをした。
アイラは目を瞑ったまま、何も言わなかった。
王「エイジャ! 分かったか! リワンにも伝えておけ!」
エイジャ「はっ」
王は扉を荒く閉めて部屋を出て行った。
扉は閉めた勢いで少し空いた。
扉の前で待っていた王の側近と護衛が、戸の隙間から中の様子をチラと見て、王の後に続いた。
エイジャは 彼らが去ると、やれやれといった体(てい)で出入口からアイラへ視線を移した。
ぐったりとしたアイラは、両頬を赤く腫らし、目を瞑ったまま、声も無く その腫れた頬に幾筋も涙が伝っていた。
エイジャは天井を見上げると、困ったように言った。
エイジャ「泣くなよ…」
廊下から声が聞こえる。
城に常駐する江(ごう)国出身の役人 リュウが、慇懃(いんぎん)に王に話しかけている。
リュウ『おや、これはこれは王様。こんな所でどうされたのです?〈わざとらしく〉あぁそうだ、確かこちらのお部屋にアイラ姫が移ったとお聞きしましたなぁ』
王は力無く答えた。
王『あぁ…』
リュウ『いやぁ、しかしお輿(こし)入れ前に、なぜお部屋を変わられたのでしょうなぁ。よもや、姫に何かあったのでは…?』
王『いや、何でも無い。最後は中庭が見える部屋にしたいという事で、変えてやったまでだ』
リュウ『そうでしたか。ホッホ。
しかし何ですなぁ。我々 江(ごう)国がお守りできなくなった途端、草馬(そうま)に翻(ひるがえ)るとは、〈笑いながら〉これまた何ともお尻の軽い事で。
こちらには、王様のご子息、アイラ姫の弟君のゼダ君(ぎみ)もおられるのですぞ? 立派に成長されているという、もっぱらの噂ですぞ』
王『そうか…。それは何よりだ…。貴国と事(こと)を構えたい訳ではない。貴国の内乱が終わって、この田舎まで また手が回るようになったら、また仲良うさせて貰いたいと思っておる』
リュウ『そうですか。まぁ、我が国も今は、辺境まで手が回りませんので、心苦しい事です』
王『いや、宜しく頼む。…もう…、よろしいか』
リュウはまた慇懃(いんぎん)に微笑むと、黙って道を開けた。
エイジャは 廊下の人の気配が消えるのを待って、アイラに話しかけた。
エイジャ「…大丈夫か?」
エイジャは、アイラの上半身を壁に寄りかからせると、ゆっくりと手を離した。
アイラは唇を噛み締め、項垂(うなだ)れていた。肩が震えている。
エイジャは一つ息をついて、アイラの横にドサっと座った。
エイジャ「なぁ…、しょうがねーって。確かにお前のやったことは やべぇ事だったから…。
国同士で約束した貢物(みつぎもの)が無くなっちまうのは、まずいだろ。なぁ。
生身(なまみ)のおめーが行くから、お前がこの国の王の娘だから、草馬(そうま)の奴らは攻めて来ねーんだぜ?
な、そこはいくらバカでも、自分のやったことは引き受けるしかねーだろ」
アイラ「……。」
エイジャ「ビンタで済んだんだから良いじゃねーか。〈笑いながら〉八つ裂きに遭うのはこっちだっつーの!」
アイラは肩を震わせて、何も言わずに泣いていた。
エイジャは困った。
エイジャ「なぁ…、泣くなよ…」
アイラ「そうじゃなくて…」
エイジャ「あ?」
アイラ「行かなきゃいけない立場だって、わかってる」
エイジャ「え? そうなん? 初耳なんだけど…」
アイラ「父さまが苦しい立場だって事も、わかってる」
エイジャ「おー」
アイラ「沢山の人の命がかかってる事も…、わかってる」
エイジャ「ん…」
アイラ「わかってる…!」
アイラは壁に寄りかかりながら、声を殺して泣いた。
エイジャは堪(たま)らずアイラの肩を抱いた。アイラのクラクラする頭は、エイジャの逞(たくま)しい肩に乗せられた。
エイジャ「なぁ、泣くなって。俺、泣いてる女見ると、どうしたら良いか分かんねーから。
あーぁ、ったく、俺らがもっと強かったら、お前をこんな目に遭わせずに済むんだがなぁ…。
クソ、お前も俺も、何でこんな ちっこくて弱ぇ国に生まれちまったかなー」
アイラ「〈手の甲で涙を拭きながら〉どんなに国を大きく強くしても、争いは絶えないわ」
エイジャ「じゃ、どうすんだよ?」
アイラ「違う事に集中しないと」
エイジャ「違う事って何だよ?」
アイラ「もっと 何かこう…、違う事よ。楽しいこととか…」
エイジャ「はぁ?」
アイラ「一度 美味しい物を食べたら、二度と不味(まず)い物を食べようとは思わないじゃない。
一度 豊かで、自由で、平和な生活を知ったら、二度と戦争したいなんて 思わないんじゃないかしら?
今の満足した生活を守るために、友好的に解決したいと思うんじゃないかしら?」
エイジャ「うっわ、金持ちっぽい考えだな。お前それ、路上で暮らして死ぬほど腹空かしてても言える事かね?
持ってる奴から盗(と)らねーと生きてけねーのよ。
持ってねーから、友好的にできねーのよ」
アイラ「確かに…、苦しい立場になってみないと…分からないのかも…」
その時、ほんの少しドアが軋(きし)む音がしたかと思うと、空いている隙間から、リファが話しながら入って来た。
リファ「アイちゃん? ここアイちゃんの新しいお部屋…? あ…」
リファは、エイジャがアイラの肩を抱いているのを目にすると、立ち尽くした。
アイラは、急いでエイジャを力無く押しやると、また壁にもたれかかった。
リファ「〈真っ赤になって〉ご、ごめん! 開(あ)いてたから…。その…、ノックもしないで…。
あの、私…、こ、これ、目眩(めまい)に良い薬湯なの。良かったら飲んでみて?
お、お邪魔しました!」
リファは泣きそうな顔で、持ってきた薬湯をそそくさと寝台の脇の机に置き、帰ろうとした。
エイジャはすかさず、帰ろうとするリファの白く細い手首を掴(つか)んだ。
ビクリとしたリファを、余裕の笑みを浮かべながらエイジャが言った。
エイジャ「丁度良かった。今から作戦 立てる所だったんだ。お前も手伝えよ」
リファは、掴まれた手首を真っ赤になって見た。
リファ「さ…、作戦…?」
エイジャ「〈リファの手首をパッと離して〉そ。あと半月で、お前の兄貴とこいつをくっつけて、いい思い出作りましょう作戦」
アイラは、何だその作戦名? という顔になった。
リファ「わ…、私もそれ、さっきアイちゃんと話してたの。エイジャもそう思う?」
エイジャ「おう。去り行く友に、できるだけのことはやっとかねーとな!」
アイラ「リワン、私の事 好きじゃないって言ってたわ」
エイジャ「好きじゃなくても、男はできる!」
女子二人は、驚いてエイジャを見た。
アイラ、リファ「そうなの?」
エイジャ「〈ニヤニヤして〉そうなんだなぁ。あれだろ? あいつがどう思っていようが、最後までやりたい、ってことで良いんだろ?」
リファ「最後…」
リファは固まった。
アイラ「…産むならリワンの子が良いの」
リファ「〈ボソッと〉アイちゃん…。だから、それはダメだって…」
エイジャ「…は? 何の話?」
アイラ「草馬(そうま)王の子供は産みたくないの。産むなら好きな人の子が良い」
エイジャは少しの間 意味が分からず、口を開けたままだったが、やっと理解して 開いたままだった口を動かした。
エイジャ「お前さ、本っ物のバカだろ? あいつの子 身籠って、あっち行ってどうするつもりなん?! 生まれた瞬間 母子ともに殺されっだろうが!」
アイラ「リワンの子って分からないかも…」
エイジャ「ぜってー分かるだろ!! あいつ金髪だろが! 顔付きだって草馬(そうま)人と全然ちげーし! どんな突然変異だっつの!」
アイラは再び黙り込んだ。
エイジャ「えー! ちょっと待て、うそーん、女ってこえーな。そんな事考えてんの?! キモっ! 俺、自分のガキだと思ってたら、俺のじゃないかもしれないってこと?!」
アイラ「あんたが恨まれるような事しなければ、そんな事まず無いって。
〈思い詰めたように〉草馬(そうま)王の子を産むのは絶対嫌」
エイジャ「いや無理だから! お前そういう役回りで行くんだからさ、嫌だから産まないとか、無理!! つかそれ、むしろ詐欺だろ!」
アイラ「どこが詐欺なのよ!」
エイジャ「だって そーだろ!? 初めから側室の一人になるって事で行くのに、実はそんな気 無いんですー とか、話違わねぇ?!」
アイラ「私、草馬(そうま)王の側室になりたいなんて、一言も言ってない!」
エイジャ「お前が言ってなくても、国としては、そういう事で送り出す事になってんだろが! そんでそこにガキでもできれば、両国の絆が深まりましたっつー事になるんだろが!」
アイラ「そんなのそっちの都合じゃない! 勝手に決められただけだから!」
エイジャ「いや、そういう事じゃねーだろ?! お前さ、そういう立場で 今までメシ食って来たんじゃねーの?!」
アイラ「王女になりたいなんて、一言も言ってない! 私が決めたんじゃない!」
エイジャ「は?! ガキか! バカ!!」
アイラ「バカはそっちよ!! あ…う…〈頭を抑える〉」
リファ「アイちゃん…?! ちょっと、二人とも落ち着いて?」
エイジャは、くしゃくしゃと癖っ毛の頭をかいた。
エイジャ「ああもう! 何の話だった?! バカな事言うから…。あぁそうだ、作戦だよ作戦!
とりあえず、リワンの子供は絶対却下だ。問題が大きくなっちまう」
アイラは不機嫌に口をつぐんだ。
エイジャ「ま、ベタな所で裸だな」
リファ「は…、裸?」
リファは、一人でポッと赤くなった。
エイジャ「そ! 男はさ、裸の女には抗(あらが)えないもんよ」
アイラ「〈半目になって〉…それってあんただけじゃないの?」
エイジャ「失敬な! 全世界、全人類だって!」
アイラ「…そうかな…」
リファ「あの…、水を差すようだけど、兄には、裸はあんまり響かない気がするわ…」
遠慮がちに言ったリファに、アイラとエイジャが目を向けた。
リファ「あ、ごめんねエイジャ、せっかくの提案だったのに。でも、兄は、よく遺体の解剖をやっていて、裸は男女共に見慣れてるっていうか…」
エイジャ「えっ?! あいつ、そんなことしてんの? 変態じゃん」
アイラ「い…、医者だから当たり前じゃないの!」
エイジャ「え、じゃあお前さ、妹の目から見て、あいつ、どんなのにぐっと来る感じなのよ? 胸でかいとか、年上とか、状況とか…」
リファ「えっ? 兄の好きなタイプってことよね? んー、生きてる人でしょ?〈アイラとエイジャ、ちょっと引く〉今度聞いておくわね」
エイジャ「じゃあ聞いてる間に、裸(はだか)案も練っとかないとなー。どーすっかなー、どこで脱ぐのが効果的なんだろなー。水場で鉢合わせるか」
アイラ「リファが、初めに説得するって言ってたわよ?」
エイジャ「…説得?」
リファ「じゃあ…、兄さまが水浴びしてる時に説得して、ダメだったら、アイちゃんが脱ぐってこと?」
エイジャ「どんな状況だよ、それ?! 何て説得するつもりなんだよ?! その状況で何言われても、頭入ってこねーだろ!」
リファ「確かに、ムードが無い気がするわ…」
エイジャ「男はさ、言葉とかあんま要らないから! とにかく脱げば意図は伝わるから!」
リファ「勉強になるわ…」
リファは小声で真面目に言った。
アイラ「……。」
アイラは横目でリファを見た。
エイジャ「〈機嫌良く〉いやぁ、しかし兄妹(きょうだい)が味方に居るってのは、最強に強ぇな! アイラ! 大船に乗ったつもりでいろ! 必ずくっつけてやっから!」
リファ「私も最善を尽くすわ」
アイラ「……。うん…、ありがとう…」(泥舟な気がするのは気のせいかな…)
アイラはフワフワする視界の中、半目になって思った。
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