砂漠の月
@kohama_minato
第一章 幼少
第1話 望まぬ縁談
アイラ「嫌よ! 絶っ対、嫌! 私 草馬(そうま)帝国へお嫁になんか行かない!」
砂漠のオアシス国家 碧沿(へきえん)王国の第一王女アイラは、父である王に断固抗議していた。
十七になる彼女は、両手を腰に当てて仁王立ちになり、茶色い瞳をひん剥(む)いて 父を睨みつけた。
彼女は、この地方独特の少しエキゾチックな顔立ちをしていて、長い黒髪を後ろで一つに編んでいた。
生成りの上質な透け感のある麻のブラウスに、やはり薄く透けたターコイズブルーのジャンパースカートが、黄色(おうしょく)の肌によく映えている。
王はため息をついた。
予想通りの反応が、気難しい娘から返ってきた為だった。
東西交易路の要衝として栄えるこの国は、二つの大国に挟まれ、古(いにしえ)から その勢力争いに翻弄されてきた。
その国の王であるアイラの父は、五十九歳のややくたびれた風貌の中年男性で、即位以来の断続的な心労により、年齢よりずっと老けて見えた。
顔色は悪く、ごま塩頭がハゲかかっている。
疲れ切った王は、力なく娘に告げた。
王「アイラ、お前の意思は関係無い。向こうがそう決めたのだ。我々に選択の余地は無い。国のためだ、行ってくれ」
この二階の広間には、重臣達が集まっていた。
草馬(そうま)帝国出身の城の常駐役人達は、優越的な立場にうっすらと笑み、もう一つの大国である江(ごう)国出身の常駐役人達は、苦い顔で聞いていた。
アイラの両斜め後ろには、アイラ付きの護衛リワンとエイジャが跪(ひざまず)いて控えていた。
リワンは、アイラの三つ上の二十歳(はたち)になる見目麗しい青年で、長い金髪を高い位置でまとめていた。
黄色(おうしょく)の肌に緑がかった瞳を伏せ、その理知的な瞳は どこまでも冷静だった。
もう一人の護衛エイジャは、アイラと同じ十七で、野生の豹(ひょう)のような印象の少年だった。
小麦色の肌に 巻き毛の黒髪、掘りが深く、瞳は色素の薄い茶色で 金色(きんいろ)に見えた。
二人はアイラの後ろに控えながら、リワンは硬い表情で、エイジャは下を向きつつも 目はそっぽを向いて不真面目に、親子の話を聞いていた。
アイラ「絶っ対、嫌! 母さま、草馬(そうま)へ行って死んでしまったじゃない! 母さまを殺した国なんか…、大嫌いなんだから!」
アイラは母を思い出すと、涙がにじんだ。
王「殺されたんじゃない、…病死だった」
アイラ「何の病気よ! 元気だったのに…! あんな…、あんな野蛮な国…!
…それとも父さまは…、母さまだけでなく、私まで死んでも良いっていうの?!」
アイラは怒りで震えながら言った。
王「そんな訳なかろうが! だが、これ以外に この国が生き残る道はない。儂は父である前に王であり、お前は娘である前に王女なのだ」
アイラ「そんな…! 王女なのは私が決めた事じゃないわ!」
王「アイラ、わがままを言うな」
アイラ「わがまま? これがわがままだっていうの? どうして私の結婚を、他の人に決められないといけないのよ! 私は王女である前に、一人の人間よ!
…私…、私…!」
王「…何だ?」
アイラは大きく息を吸い込んだ。
アイラ「好きな人がいるの!!」
広間の重臣達は、ポカンと口を開けてアイラを見た。
アイラ「私…」
アイラはまた大きく息を吸った。
アイラ「リワンが好きなの! リワンと結婚する!!」
言い終わる前に、右斜め後ろに控えていたリワンが突然 激しくむせた。
リワンの隣のエイジャは、それを見て吹き出した。
広間の一同は、呆気にとられてリワンを見た。
リワンは咳き込みながら驚いたように顔を上げ、目を見開いて 斜め前に仁王立ちしている主人(あるじ)を見た。
アイラは、恥ずかしさのあまりリワンを振り返れず、耳まで赤くなり、握りしめた手は小刻みに震えていた。
エイジャ「くっ! 今…、ククク、今ここでですか!」
アイラ「…今言わないと私、どうなるか分かったもんじゃないわ」
王「護衛との恋か…」
王は、一瞬だけ見せた感傷的な目を伏せ、口の中でボソリと言った。
アイラ「え?」
王「何でもない。…父としてお前の気持ちも叶えてやりたいが、それは来世に期待してくれ」
王の言葉を聞くと、リワンは再び目を伏せ、いつもの冷静な表情に戻った。
エイジャはニヤニヤと、横に居るリワンを見た。
アイラ「来世なんてあるもんか! 適当なこと言って、私を丸め込もうったってそうはいかないんだから!」
アイラは、斜め後ろに控えるリワンを恐る恐る振り返った。
リワンも顔を上げた。
アイラはリワンを追い詰められた瞳で震えるように見つめると、この崖っぷちへ来て、ど真ん中へ直球を投げた。
アイラ「リワン…。私 あなたが好き。小さい頃からずっと、あなたのことが大好きだった。あなたと結婚したい!」
リワン「姫…」
二人は ほんの少しの間 見つめ合った。
リワンの目に映るアイラは、周囲の圧力に対し、陥落前の最後の抵抗をするような弱々しさと、よりにもよって皆の前で求婚した恥ずかしさの為に、崩れてしまいそうだった。
リワンは、やや苦しそうに目を伏せて言った。
リワン「姫…。姫様のお気持ち、私には身に余る光栄です。ありがとうございます」
彼は下を向きながら、僅かに困ったように はにかんだ。
リワン「私は姫の事は、何よりも大切に思っております。あなたが四つの頃 お会いしてから、十三年間ずっと…」
アイラは、全身が心臓になったみたいに鼓動がうるさい中、もしかしたらという小さな希望を抱いて、彼の言葉に集中した。
リワン「ですが…、ですが私は…」
リワンは その緑がかった瞳で一瞬アイラを見据えると、視線を床に落とし、首(こうべ)を垂れて静かに言った。
リワン「私は臣下として、あなたをお慕いしております」
アイラは呆然となった。
フラれた。
アイラは、崖っぷちの足元が ガラガラと崩れた気がした。
リワンの横に控えていたエイジャは、また吹き出した。
エイジャ「ククククク…。リワン、お前って意外と手厳しいな。そういうのは二人だけの時に言えばいいだろ。わざわざ公開処刑しなくたって」
アイラは呆然としながら、弱々しく立ち尽くして言った。
アイラ「いいのよエイジャ…。私が先に仕掛けたんですもの…」
アイラは万策尽きたといった体(てい)で、ぎこちなく再び父の方へ向き直り、父と目を合わせずに力無く言った。
アイラ「…父さま、わかったわ…」
父は、言葉とは裏腹に、まるで娘にそう言ってほしくなかったかのように、残念そうに言った。
王「そうか…。それなら良い」
アイラは父の言葉を聞きながら、何日か前に聞いた、同じ立場であり友人であるリファの言葉を思い出していた。
<回想>
アイラ「そんな…?! じゃあ私達にどんな道があるのよ?!」
リファ「逃(のが)れられないわ。大人しくお嫁に行くか、病気か何かで死ぬか…」
<回想終わり>
不意に、アイラはボソリと呟いた。
アイラ「死んでやる…!」
アイラは絶賛 思春期、反抗期 真っ盛りだった。
この状況で、自らの反意を通す方法が、他に見つからなかった。
広間にいた一同は、その小さな声にもかかわらず、全員がそれを聞き取り、ギョッとしてアイラを見た。
アイラ「死んでやる! どうせ向こうで殺されるんなら、ここで死んだ方がまだマシよ!」
王「な、何を申すか! 生きたお前を差し出す事に、意味があるんじゃろうが!」
アイラ「私は屠殺場に送られる牛じゃないのよ! 意思があるんだから! 父さまも皆も、どうせ私のこと、人間として見てないんじゃない! 政治の道具だわ!」
王「アイラ。お前も王家に生まれたのなら、民のために…」
アイラ「役に立ってから死ねって言うんでしょ?! 嫌よ! 役になんて立ってやるもんか! 私を利用しようったって、そうはいかないんだから!この際、こんな弱っちい国なんて、滅びちゃえばいいのよ!」
それを聞いた王は、つかつかとアイラの傍(そば)までやって来ると、パァン! と平手で娘の頰を打った。
王「お前というやつは、どこまでワガママなんだ! お前が居ることで、この国の民が救われるとは思わんのか!」
アイラは左右に首を大きく振りながら、目に涙をいっぱいに溜めて叫んだ。
アイラ「そんなの一時的なことじゃない! 人質を送った所で、何年かしたらまた戦争が起きて! 弟が取られ、母さまが取られ、次は私! こんなの、一体いつまでやるつもりなの?!」
王は苦し気に答えた。
王「ぐっ…。大国に挟まれておるこの国の立場上、仕方なかろうが…! 王家が他国に渡る事は、平和の楔(くさび)じゃ。
それに、例えほんの何年か何十年かでも、民が血を流さずにおられるのだ。良いと思わんのか?!」
アイラ「思わないわ! だって私は…! この人生でまだ何もやってないのよ? 自分のことは諦めて人柱になれっていうの?! 私には やりたいことがあるの!」
王「何がやりたいんだ?」
アイラ「……分からないけど…!」
一同はコケそうになった。
王「では草馬(そうま)へ行って存分にやれ。リワンの事は、残念だが諦めろ。リワンの意向も、今 聞いたであろう」
アイラは、また大きく息を吸い込んだ。
アイラ「やだ!!」
後ろに控えていたリワンは、下を向きながら目を白黒させた。
王「アイラ!!」
アイラ「私は、思った通りに生きたい!
私、死ぬ時に、あぁ 全部やりたい事できたなぁ! 楽しかった! って言って、東の空から昇る赤い太陽を見ながら、大満足で死ぬって決めてるんだから!
自分が満足してないのに、人の為になるなんてできない!
まず私が幸せになったら、他の人の事も考えてあげるわよ!」
アイラは、普通は隠すであろう至極当然ながら、利己的と言われそうな本心をぶちまけた。
王「お前というやつは…!」
王は口をひん曲げて、再び娘に手を上げた。
その時、後ろで控えていたリワンがいつの間にか立ち上がっていて、アイラと王の間に入り素早く彼女を庇ったが、父は構わずリワン越しに娘の黒髪を両手で引っ掴んだ。
アイラもリワン越しに、父のハゲかかったごま塩頭を容赦なく引っ張った。
その後は、見苦しい親子喧嘩となった。
王「なぜそんなに自分の事しか考えられんのだ?! 儂が甘やかしすぎた! このできそこないが! 役に立つつもりがないのなら、お前なんて死んでしまえ! 民の作った麦を食(は)みながら、国の役に立たんとは何事か! この穀(ごく)潰しめ!」
アイラ「できそこない? 自分の子育ての結果を私になすりつけないでよ! 産んだのはそっちの都合でしょうが! 私、王女になりたいなんて言って生まれてきた訳じゃないから! 人質に行くなら、自分が行けばいいでしょ!」
王「なにをぉ?! 黙って聞いていれば、こん…の、できそこないのバカ娘が!」
揉み合いの中、親子の間に居るリワンも、何度か理不尽に肘鉄や張り手を食らう羽目になった。
エイジャは、後ろで跪(ひざまず)きながら、大変面白そうに親子の取っ組み合いを観戦していた。
リワンは少し息を上げながら、湯気の出る親子を引き分けた。
父と娘は、共に髪がボサボサになっていた。
殊(こと)王に至っては、禿げ散らかした頭部が もはや一国の王としての威厳とは程遠い様相で、後ろで見ていたエイジャや一部の楽天的な性格の従者にとっては、状況の悲哀さと 目の前の珍景とのギャップに、笑いを堪(こら)えるのが極めて困難だった。
王はその、実験を失敗した博士のような頭で、息荒く叫んだ。
王「リワン! 止めるな! こやつは言葉で言ってもわからん!」
リワン「王様どうか…! 姫様も苦しいお立場です」
王「くっ…!」
王は腹立たしげにゼーゼーと息をした。
アイラも リワン越しに同じく息を上げながら、父を睨みつけた。
王「フン!」
睨み合いの末、父は娘に背を向け 踵を返して王座へ戻り、不機嫌にドスンと座った。リワンは密かに安堵のため息をついた。
王「あ…、たたたた」
王は座ると同時に、胃を抑えて丸くなった。側近が心配げに言った。
側近「王様…! 大丈夫ですか…?」
アイラはツンとそっぽを向いたまま、父を見もしなかった。
王は唸(うな)った。
王「うぅ…、問題ない…。よいか! 出発は半月後だ。この決定は覆らん。心しておけ!」
王は胃痛に顔を歪めながら一同にそう言い放つと、今度はリワンとエイジャを指さした。
王「それからお前達!」
リワンとエイジャは、顔を上げて王を見た。
王「アイラを厳しく見張っておけ! 何をしでかすか分からん!」
リワンはやや沈んだ様子で、エイジャは下を向きながらもそっぽをむいて
リワン・エイジャ「はっ」
と答えた。
王は娘に、ダメ押しの釘を刺した。
王「アイラ! 何か起こしてみろ! た、だ、じゃ、おかんからな!〈胃を抑えて〉あ…たたたた」
王は胃に当てていない もう片方の手で、頭も抱えた。
アイラは唇を噛んだまま何も言わなかったが、興奮して涙ぐみ、息荒く目を逸(そ)らした。
彼女の瞳は暗く、爆弾を抱えたような様子だった。
リワンとエイジャは、気の荒い主人(あるじ)の様子を、そっとうかがった。
・・・・
アイラとリワン、エイジャの三人は、二階の広間を出て、日干し煉瓦の廊下を歩いた。
アイラの少し後ろに、リワンとエイジャが続いている。
エイジャが、前を行く主人(あるじ)の ボサボサになった髪を見ながら、頭の後ろで手を組んで話しかけた。
エイジャ「てぇことは? べったり張りついとかねーとダメなんかな? 見、張、り。ちょいちょい安否確認する、とか?」
リワンが淡々と続けた。
リワン「……。宜しいですか? 姫」
アイラ「……。」
アイラは何も言わずに 先を歩いた。
その不穏な後ろ姿を見て、護衛の二人はチラと目を合わせた。
エイジャは場を取り持つ感じで、軽口をたたいた。
エイジャ「なぁアイラ、何も好きな男に振られたからって、死ぬこたねぇだろ? あっちの王もさ、実は〈リワンを親指で差して〉こいつよりずっと良い男かもしんねーじゃん?」
アイラは、無言のまま歩いた。
リワン「エイジャ…」
リワンが 茶化すような事じゃないといった体(てい)で、嗜(たしな)めた。
エイジャ「ちげーって! そうじゃなくて、死ぬなっつってんの!〈口を尖らせてボソッと〉俺らが罰 食らうだろが。
おめーらみたいな金持ちにはわかんねーんだろうがなぁ、生きてるだけで丸儲けだろ! おい、聞いてんのかアイラ! 死なねーって約束しろ!」
アイラは、ふと足を止めた。
後ろから付いて来ていた二人も、おっ、と つんのめる感じで足を止めた。
アイラは、沈んだ声でまたボソリと呟いた。
アイラ「…ごめん…」
エイジャ「あっ?」
アイラは今度は、しっかりとした声で言った。
アイラ「ごめん」
エイジャ「……。ごめん、って…、オイ! 何がごめんなんだよ! 意味わかんねーし!
おめーさぁ、こればっかりは しゃーねーだろ、職業王女なんだから。おい、聞いてんのかよ?!」
エイジャはアイラの腕を乱暴に掴みこちらを向かせると、アイラはボロボロに泣いていた。
エイジャ「ゲッ?!」
アイラはエイジャの手を振り解き、再び前を向いた。
エイジャはため息をつきながら、何だかもう 彼の方が投げやりになってきて言った。
エイジャ「おめーさぁ、とりあえず飯食えれば、何だっていーだろーが。あっちの国行ったって、側室待遇なら、何不自由なく暮らせるって!」
アイラ「良くない! 嫌なものは嫌!」
エイジャは一瞬ムッとしたように黙ると、また切り返した。
エイジャ「嫌…っつーかさぁ…!
あんなぁ、はっきり言うけどよ、おめーに一体何人の命がかかってると思ってる訳?
だし、今まで何でおめーのこと護(まも)って来たと思ってんの? まさかお前の事を好きだからとか可愛いからとか思ってる訳じゃねーだろが?! こ、の、た、め、だろが!」
リワン「エイジャ…!」
エイジャは、勢いで思ってもいない言葉が出てきて、自分でも言いすぎたと思った。
アイラはドロドロの顔で、いきなりエイジャを振り返った。
アイラ「このため、って何よ?! 無事"出荷"する為って訳?!
あんたまで…あんたまでそんな事言うなんて…! あんたにとって、私は人間じゃなかったのね! 知らなかった! ずっとずっと、あんたの事、勘違いしてた!」
エイジャ「はぁ?! 何 意味分かんねー事言ってんだよ! 立場上しょうがねーだろっつってんの!! そんくれー分かれよ、バカ!」
アイラ「他人事(ひとごと)だと思って! あんたが私だったらどう思うのよ!」
エイジャ「俺はどこにいたってメシさえ食えれば良いんでね! 誰かさんみたいにワガママ言わねーし!」
アイラ「ワガママ…?」
エイジャは、アイラがいきなり言い返して来なくなったので、つっこけそうになった。
アイラは 止めどもなく涙が溢れる中、小さく首を振りながら、悲しそうに二人を見つめた。
アイラ「…そう…」
彼女は、ゆっくりとまた前を向いた。
アイラ (リワンが私と向き合ってくれたのは、臣下として。
エイジャも、私の事は王女だから、これまで一緒にいてくれた。
こんなに長く一緒に居た二人でさえ、そうだった…。
…当然じゃない。
その他に、一体何を期待していたというの?)
アイラは自嘲した。
アイラ(あぁ、誰も私を ただの一人の人間として、見てくれてはいなかったんだわ。
いっそ、王女なんて肩書きが無かったら良かったのに。
私の事を…、王女ではないただの私を…、愛してくれる人は、居なかったの…?
私は利用価値が無ければ、愛されるに値しない人間なの…?)
アイラは愕然とした。
そして、これまでこの国で過ごしてきた日々が、何もかも馬鹿らしく思えて、悲しくて、涙が止まらなかった。
アイラは前を向いたまま、静かに言った。
アイラ「ごめんね…」
エイジャ「あ?」
アイラ「こんな主人(あるじ)で…、ごめんね…」
エイジャは口をとんがらせた。
エイジャ「……。んだよ いきなり…」
エイジャは、苦しい立場の相手に対して言い過ぎたと思い、バツ悪く目を逸らした。
アイラ「迷惑かけて…申し訳ないと…、思ってる」
アイラの言葉は、何かもう、観念したような声色だった。
リワン「…!」
リワンはハッとして目を見開くと、咄嗟に彼女の腕を掴もうとした。
が それは一瞬間遅く、彼の指の間を 彼女の細い腕はすり抜けてしまった。
アイラは走り出していた。
エイジャ「?! オイ!」
護衛二人は、驚いて追いかけた。
アイラは すぐ目の前の自室へ走って入ると、バタンと勢いよく扉を閉め、鍵をかけた。
扉の前で エイジャが叫んだ。
エイジャ「オイ! 何だよお前いきなり…」
エイジャがそう言っている横で、リワンはガンガンとドアを蹴ったり体当たりをし始めた。
アイラはバルコニーまで行くと、下をのぞいて立ちすくんだ。
ガンガンと扉が蹴破られそうな音がする。
アイラ (もうすぐ蹴破られてしまうわ。どうしよう…)
アイラは目の下の湖を見ながら、迷った。
状況は絶望的だった。
アイラ (母さま…)
アイラは、可愛がってくれた母を思い出した。
母は、唯の自分を見てくれたのではなかったか。
母は毎朝、舞を教えてくれた。
優しくて、素晴らしい舞い手で、大好きだった母。
もしも母が生きていたら、こんな事をしたら きっと悲しむに違いない。
でもその母も、もう居ない…。
ドアが蹴破られ、リワンが一足飛びに走って来た。
それは本当に、僅かの時間だった。
アイラは咄嗟にバルコニーを跨(また)いで その外側に足を掛け、叫んだ。
アイラ「来ないで!」
乾いた暑い風が、彼女の青緑色のジャンパースカートをヒラヒラと揺らした。
リワンは止まった。エイジャもすぐ横に来ていた。
エイジャ「ちょっと待て! オイオイオイ、おめーよぉ、ふざけた事やってんじゃねーぞ?!」
リワン「黙ってろ!」
リワンが鋭く言った。
彼はじりじりと距離を詰めた。
アイラとリワンの距離は、手を伸ばせば届く程だった。
リワン「姫、危ないです。こちらへ…」
リワンは、ゆっくりと手を差し出した。
アイラは首を振った。
リワン「あなたが死んでしまったら、困ります」
アイラ「そうね、困るわね」
リワン「あ…、そうではなくて…!」
その時、アイラの足元の土煉瓦の端がボロボロっと崩れた。
アイラ「〈悲鳴〉」
アイラは足を踏み外し、落ちた。
ところを、リワンが彼女の手首をすんでの所で掴んだ。
アイラは、二階のバルコニーから宙吊りになった。
湖は低地になっており、小高い丘の上の城とは かなりの高低差があった。
宙吊りのまま下を見ると、アイラは恐ろしさに背筋が凍った。
リワンはバルコニーから身を乗り出すようにして、アイラを掴んでいた。
どうかすると、彼まで落ちてしまいそうだった。
エイジャが、リワンの身体を後ろから掴んでいた。
アイラ「離して!」
リワン「嫌です」
アイラ「どうしてよ! 優しくしてくれたのは、王女だったからでしょ?」
リワンはハッとした。
そして、なぜか悲しかった。
そんな事ないと言いたかった。
いや、そうだったのだろうか…?
リワンの集中力が途切れ、繋いだ手が緩んでしまった。
二人の手は離れた。
アイラ「〈悲鳴〉」
ばっしゃーん…
大きな水音が聞こえた。
エイジャ/リワン「!!」
エイジャもリワンの横に身を乗り出して、下の湖を見た。
水面(みなも)には白い小さな無数の泡と、波紋ができているのが見えた。
エイジャ「あんの…! クソバカ…!!」
エイジャ口から、驚愕と共に悪態が漏れた。
その時には既に、リワンは部屋の出口へ向けて 走り出していた。
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