最終話『約束』

 黒い風の吹き抜ける荒野に男は立っていた。此方こなたには闇をまとい崩れかかった城がそびえ立っている。男はまっすぐ歩みを進めた。胸元の牙が振り子のように揺れた。


        ◇


 木々の間に、それを隠れ蓑にするようにテントが立ち並んでいた。大勢の兵士たちがたき火を囲み、できる限りの贅沢を酒の肴に宴に興じていた。傍らのテントに積まれた装備には、" Ernest " と打たれていた。

 数々のテントのうち、中央に居を構えるものの中にはひと際目立った鎧を身に着けた男が鎮座している。


 その御前で、背筋を伸ばした男が声を張り上げて進言していた。

「偵察班よりザイン隊長へご報告いたします!先の戦いにより敵軍は消耗、現在もその状況は変わっておらず、奇襲による討伐が可能であるとみられます!」


 その報告にネオン・ザインは口角を吊り上げた。

「そうか、ご苦労だったな。今晩は警戒を解き、宴に興じて英気を養うと良い」

 失礼します!と偵察班長は安らいだ表情でテントを出た。


 それと入れ違うように平服を着た男がテントに入った。

「失礼いたします、隊長。クラウス・ブルースカイです。隊長におかれましては、この宴楽しんでおられますでしょうか」

 その姿を見たネオンは先ほどとは違い、柔らかい笑みを浮かべた。

「おおクラウスか・・・・!そう堅苦しいのはやめろよ、俺たちは兄弟みたいなものじゃないか!」


 それを聞いたクラウスの真面目な態度を一変させ、後ろ手に持っていたグラスをネオンに差し出した。

「・・・・それもそうだよな。どうだ、一杯やろうぜ」


「いいねぇ、お前とやるのは何時ぶりだったかな。せっかくだから、度数の高いのをいこうじゃないか」グラスに酒が注がれた。二人は乾杯してグラスを傾けた。


 しばらく酒を楽しんでから、クラウスが戦況について問うた。


「ああ、このまま行けば勝利は間違いないだろう。唯一懸念すべきは、敵主将の、魔族の能力が未知数であることだが・・・・どうだ、クラウス。お前はどう見る」


 その問いに対して、クラウスは僅かに思案して答えた。

「そうだな・・・・一見して大した技量はないようだった。力ではまず俺たちアーネスト隊の敵ではないだろう」


「そうか。お前がそう言うなら間違いないだろう。さすが、俺のナトリが見初めただけの事はある」


「いいや、ただの白兵の戯言さ。

 ・・・・なあ、一つあの魔族のことで気になることがあるのだが・・・・」

 クラウスはそう言ったきり押し黙った。


「どうした」


「・・・・いや、なんでもない。ただの考えすぎだな。それじゃあ、俺はもう休むよ」

 そう言うと、クラウスはグラスを持って背を向けた。

 その背中に、ネオンは声を掛けた。

「クラウス。妹を、幸せにしてやってくれ」


「ああ」とだけ言って、クラウスはテントを出た。


        ◇


 城内に踏み入る。王宮を目指し進む道中には、黒く煤けて息絶えた兵士や、小高い山のように積もった灰があちこちに見受けられた。

 重苦しい扉の前に立つと、それはひとりでに灰を巻き上げ、開いた。広間に男の背後から光が差した。


        ◇


「――魔族よ、貴様はもはやここまでだ!

 我々アーネスト隊がここで打ち滅ぼしてくれる!」

 ネオンは玉座に鎮座する魔族の者に剣を突きつけた。広間にはネオンとクラウスの二人。イビルコアとの決戦に臨んでいた。


「ファファファ・・・・威勢は良いが、それがどこまで続くかな?」

 その者は妖しく笑った。


「征くぞッ クラウス――!」

 二人は剣を構え、敵に向かって駆け出す。

二つの叫びと共に振り下ろされた閃光は敵を切断した。


 甲高い絶叫と共に魔族の体内から闇が溢れ出す。その傍で二人は顔を覆った。溢れ続けた闇は滞留し男たちの足の間を通り抜けた。やがて噴出が止まり、それは黒い煙の中に倒れ伏した。

 男たちは煙が引くのを待った。魔族は死ぬと灰になる。それを確かめるまでは気は抜けなかった。


完全に煙が引き切った後、そこに倒れていたのは、"ナトリ"だった――


        ◇


 その男は形容できない闇をまとい、玉座に鎮座していた。

「クラウス・・・・ お前にはさぞ楽しかっただろう。尻尾を巻いて逃げた先で過ごした数日間は。」

 二人は相対し、睨み合いながらも笑い合った。

「ああ、おかげ様で。あんたが持っていったものと釣り合うほどにはな」


「ナトリを見捨ててでもかッ!」ネオンが左腕を天に掲げると、手のひらから溢れた闇は天井を穿ち、崩落がエストを襲った。


 飛び退き、それを回避する。男にはあらゆる身体操作が容易だった。もはや男の右足は体の一部となって癒着したかのようであった。

「あんたらしくないな。憂さ晴らしなんてのは」


 ネオンは左手に残った闇を握りしめ、笑った。

「・・・・そうだ。そうやって俺はこの力を完全に支配したのだ」


        ◇


 ネオンの手から剣が零れ落ちた。甲高い金属音が、空気の乾いた広間に響き渡った。戦いを終えた兵士たちが、傷だらけになりながらも遠く駆け付けていた。膝から崩れ落ちたネオンは、かの妹を抱き上げ、涙を流す。クラウスの方を振り返った。

「クラウス・・・・?どうして、ナトリが、ここにいるんだぁ・・・・?

 こいつが何して、彼女は・・・・死んだのか?」

 クラウスは目を背けた。直視しがたい現実を、見ないように努めた。


「お前・・・・ 知ってたのか・・・・?知っててここまで・・・・」

 男はその亡骸を強く抱きしめ、嗚咽を漏らした。

「・・・・約束したじゃあないか。ナトリを・・・・幸せにしてやれって」

 その言葉を皮切りに、周囲に滞留していた闇がネオンに集まり始めた。


「お前は、裏切ったんだ・・・・!ナトリも、俺も・・・・!」

 男は抱えていた腕を亡骸から離し、右手で顔面を抑えながら、左手をクラウスへ向けた。かざされた左手の闇は速度を伴い、直線となって彼を襲った。


 瞬間、クラウスは飛び退くも、その右足は跡形もなく消し飛んだ。後方にいた兵士たちも成す術なく消し飛んだ。男の悲痛な叫びが王宮に響いた。

 クラウスは反撃に出るも、振り下ろした剣は歯が立たず、無残にも真っ二つに折れた。


 次なる闇が打ち出される数瞬の間、クラウスは懐から取り出したものを天に掲げ、闇が通り過ぎた後、その軌跡に男の体など少しも残されてはいなかった。


        ◇


 因縁の戦いは、防戦一方であった。放たれた闇を避ける、さらに放たれた闇をまた避ける。その繰り返しであった。そういった状況で、ただ一人ネオンだけがそのいたちごっこを楽しんでいた。次第に宮内の闇が濃くなっていくのを感じる。


 深い霧に視界を奪われ、眼前に迫る闇の閃光。飛び退きも空しく、それは左足に直撃し、男は石造りの地面に伏した。


 仰々しい笑い声が四方から響く。

「ついに貴様との因縁も果たされる時が来たようだな」

闇を晴らしながらエストの前に降り立つ。終わりだ、と手をかざし最後の一撃を放った。


――その時、エストの胸元から碧色の光があふれ出し、彼を包んだ。


「な、何をした・・・・ッ!?

 貴様何をッ――!」

 焼けるような痛みに悶える間もなく、ネオンの腹部を何かが貫いた。その先には折れた剣の先から光が直線となって発されていた。


「――生きて帰ると、約束したんだよ。あいつと、ジュリアとな・・・・」


「そんな約束に何の意味が有るというのだ・・・・!そんなものは、私の闇で無に帰してやる・・・・!」

 ネオンの体から溢れ出した闇は、悪魔の形を模してエストを襲った。

『絶望をもって我を受け入れよッ!』


 エストは瞼を閉じて、女の姿を思い浮かべた。紡錘形の瞳。尾の先を抱えた腕。

男の体は、闇を拒絶した。その体に触れた闇は、浸食され崩れ落ちていく。

「何・・・・故だ・・・・絶望に、足りうるはず・・・・が・・・・」


 男の右手から剣が滑り落ち金属音を響かせる。それと同時に、男はネオンの傍らに倒れ伏した。


 ステンドグラスを通して、彼らに光が差していた――

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