第10話
「問題あるよ。嫌だ。戻ってきて。というか絶対行かないで」
涙を堪えて必死に言う。ふと気配を感じて反射的に視線を向けると、谷向くんが私の右隣に立っていて焦ってるような表情を浮かべていた。
「おい。俺がお前をいじめてた理由が知りたいなら死ぬなって命令したこと、忘れたのかよ?」
「俺を追い詰めるためだろ? もう知った。だから思い残すことはもう何もない」
「まっ、待て! そうだけどそうじゃなくて」
「意味分かんねぇ……」
七瀧くんは心底呆れたようなため息をつく。
「駄目。死なないで。言ってなかったけど、私の生きる希望は、私にとってのヒーローは、七瀧くんなんだよ」
「……ヒーローって?」
尋ねつつ七瀧くんは私の手を引き剥がそうとしている。飛び降りる気満々だ。死なせてたまるかと両腕と手に力を込める。
「小四の時に、担任の先生が『最近、不審者を見かけたりしてないですか? もし声をかけられたら、すぐに防犯ブザーを鳴らして、大声を出して逃げて子ども110番の家に駆け込んでください。その後、必ずおうちの人や先生に報告してくださいね』って言って……。それを聞いた時、私はそういえば一昨日不審者っぽい人に会ったなぁって思った。念のため報告しておこうと思って、挙手した」
「小四って、確か同じクラスだったよな?」
七瀧くんが私の話を聞こうとしていたから少しだけ安堵して頷く。
「うん。……その後、私はみんなの前で、不審者って言うのかどうか分からないけど、高校生の男子が、私の後ろを通り過ぎた時に、お尻を軽く触ってきたことを打ち明けた……。私の話を聞いた先生は、それは何時頃の話なのか、場所はどこなのか、質問攻めした。私は、夕方の五時四十分ぐらいで文房具屋の公衆電話の前だって正直に言った。それから、友達が家にいるお母さんに迎えに来てって電話してるのを待っていた時に、触られたことも付け加えた。……報告すれば、何とかしてくれるって期待してたけどその期待は外れた。先生は……私を叱りつけた。『そんな遅い時間までそんなところにいたからだ。これからはまっすぐお家に帰りなさい』って。確かに寄り道してお喋りしてたけど、それってそんなに悪いことかな? 何で私のことだけ叱るんだろうってショックを受けて、そんな時だった。七瀧くんがかっこいい声で発言したのは」
「かっこいい声? 思い出は美化しがちっていうけど本当みたいだな」
七瀧くんが呆れたような声で言ってきたから妄想だと誤解される前に言う。
「ホントにかっこいい声だったんだってば! 『痴漢の被害を受けた生徒をお前が悪いって叱って終わりって、おかしくないですか? 天寿から詳しい話を聞いたのは別に間違ってないですけど、真に叱るべきは加害者である高校生の方だと思います』って言った時。……そういえば、小四の時までは天寿って下の名前で呼んでくれてたのに、小五の頃から苗字呼びに変えたよね? どうして?」
「小学校中学年までは、クラスメイトを苗字で呼ぶ方が珍しかっただろ」
「それはそうだけど……。下の名前で呼んで欲しい」
「今更呼べるか」
ばつが悪そうな声で却下されてしまった。でも、別にいい。私は七瀧くんの背中に頭をこすりつけながら、
「呼ばなくていいから……一生のお願い。大好きだから死なないで」
告白した。
好きな人に呼ばれるのは嬉しかったけど、私は天寿という名前が、心底嫌いだった。
天から授かった子供。天から授かったと、信じるわけないし、その子供が幸せな人生を歩めるかどうかは誰にも分からない。
現に、愛して欲しい母親から嫌われていることを苦に、私は十代のうちに自殺することを切望している。
天寿。なんて、残酷な名前だろう。
私のことを嫌っている母親がつけるわけがない。これは父親がつけてくれた名前だ。
娘が欲しいと思った父親は、二人目を作りたいと頼んだけど、母親は要らないと即却下した。
それでも、諦めずに何度も必死に頼んだ結果、母親の方が折れたらしい。
一人目の兄曰く、父親は私には甘いらしいけど、私はそう感じたことがあまりない。
「一生のお願いをこんなところで使うなよ」
「今、使わないでいつ使うのって感じだよ。七瀧くんが死んだら生きる意味失うから。天寿も天寿を全うするから、七瀧くんも天寿を全うしてよ」
ダジャレだ。くだらないって鼻で笑って、生きることではなく、死ぬことが馬鹿馬鹿しくなって欲しかった。
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