忘れられない夜②

 昔から生真面目で面白みがないと揶揄されてきた穂乃香は、いわゆる優等生タイプだ。しかも一度こうと決めたら譲らない頑固なところがあった。


 大学を卒業し新卒で入社して以来、秘書課に勤務しているというのに、周囲の華やかな同僚とは違って、機能重視でチョイスした黒・紺・グレーのカチッとした地味なスーツをローテーションで着回している。


 メイクも薄化粧だし、一度も染めていない黒髪ロングストレートを団子にひっつめただけのシンプルなスタイルを貫いてきた。


 秘書は上司を陰でサポートするのが仕事であって、綺麗に着飾って上司に取り入る必要なんてない。


 そんな考えとある事情から、穂乃香は秘書にしてはいささか地味なスタイルを徹底してきた。


 今日は仕事上がりだったので、グレーのジャケットにタイトスカートというお決まりの地味な装いだ。


 優しい暖色系の灯りが仄かに灯るバーのカウンター席。そこに腰を落ち着けた穂乃香は、若いバーテンダーが作ってくれた色鮮やかなカクテルを静かに味わっていた。


 バーに一人で来たのは初めてだが、気後れしていたのも最初のうちだけ。


 カクテルに詳しくない穂乃香のためにお薦めのカクテルを作ってくれたが、どれもこれも甘くて美味しくて、何杯でもいけそうだ。

 だからって調子に乗って飲みすぎるのは危険だという認識はあった。


 けれど酔いたい気分だった穂乃香は、速いピッチでグラスを豪快にクイッと煽っては、お薦めのカクテルを作ってもらっていた。


 五杯目を飲み干した頃には、もうすっかり酔いも回っていたように思う。


 穂乃香はふわふわとした夢心地の中を漂いながらカウンターに寄りかかるように身を委ね、バーテンダーの見事なシェーカー捌きをとろんとした眼差しでぼんやりと眺めていた。


 そんな穂乃香の隣に見知らぬ男性が腰を落ち着け、馴れ馴れしい口調で話しかけてくる。


「お姉さん、ひとり?」

「……ええ、ひとりで飲みたい気分なんです。そっとしておいてください」


 冷たくあしらった穂乃香が近づくなオーラを醸し出しているというのに、空気の読めない男はしつこく絡んできた。


 終いには、バーテンダーの目を盗んで「一緒に遊びに行こう」と強引に腰を抱いて穂乃香を店から連れ出そうとする。


 元婚約者の身勝手な言動に腹を立てていたのもあり、その男と元婚約者の姿とが重なってしまう。カチンときてしまった穂乃香は、飲みかけだったグラスの中身をナンパ男めがけてぶちまけた。


 そう、そのはずだったのだ。


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