専属パティシエール!?

第4話 専属パティシエール!?


 桜小路さんの小バカにした口調や、『バカ女』呼ばわりされたことに、気を悪くしてないと言ったら嘘になる。


 けれどそんなことよりも、なにやら知ってる風な口をきく桜小路さんの物言いや態度に、肝を冷やした。


 私が意識を失っていたこの三日間の間に、色々調べていて、全て承知で言ってるんじゃなかろうか、と。


 そして、極めつけだったのが、周りに『不利益をもたらす』という言葉だ。


 私ひとりが解雇されたくらいで不利益なんて生じないとは思うが、もし仮にその言葉が本当だとしたら、解雇が取り消されてしまう。


 そんなことになったら、当初の予定通り、牧本まきもと先輩が解雇されてしまう。そうなったら、ゆりちゃんがーー。


 牧本先輩とは、『帝都ホテル』に入社した頃からお世話になっていた先輩パティシエールのことで、ゆりちゃんはシングルマザーである牧本先輩の一人娘だ。


 実は、解雇者のリストに私は含まれていなかった。


 なんでも上の人(おそらくこの人たちのことなのだろう)の意向で、将来性のある若い人材は残して、今まで出勤率の低かった者や退職間近の年長者などから優先的に退職を促すというお達しがあったからだ。


 先月、そのことを所属するペストリー部門の部長から言い渡された時、牧本先輩のことが真っ先に頭を過った。


 それは常々牧本先輩が、保育園に通うゆりちゃんのことで、ちょくちょく遅刻や早退をせざるを得ないことを、仲間に迷惑がかかると言ってよく嘆いていたからだ。


 個別で呼ばれ、退職の意思があるかの確認をされた時、私は迷うことなく自ら退職を願い出ていた。


 シンママの牧本先輩よりも、身軽な私なら就活も少しはスムーズだろう、という安直な考えからだったけれど、後悔はしていない。


 二年前、製菓専門学校を卒業し、憧れだったパティシエールとしてホテルで働き始めたはいいが、時代錯誤も甚だしい年功序列の男社会で、体力的にも精神的にも、想像以上に厳しい世界だった。


 何度やめたいと思ったか分からない。


 そんな時、七つ年上の牧本先輩が陰でいつも励ましてくれていた。


 おかげで、腐ることなく頑張ることもできた。


 入社して一年くらいまで他の先輩たちから『半人前』と揶揄されていたのが嘘だったかのように、色々任せてもらえるようになった。


 今では、お客様の前でのクレープ・シュゼットなどの演出として、フランベやキャラメリゼなどのサービスを提供できるまでになれたのだ。


 ーー今の自分があるのは牧本先輩のお陰だ。後悔なんてする訳がない。


 先輩親子同様に母子家庭で育ったからなおさらだ。


 これくらいのことで怯んでなどいられない。


 何かを言われる前に追い払ってやろうと、渾身の一撃のごとく、これ以上にないくらい大きな声を放つのだった。


「今、『バカ女』って言いましたよね? 初対面のしかも怪我人に向かって、そんな失礼なことをいうような人が経営する会社でなんて、働きたくありませんッ! どうぞお帰りくださいッ!」


 ところが……。


 私の渾身の一撃に対して、笑止千万、片腹痛いわ、とでも言いたげに、ふたりが顔を見合わせると同時に、桜小路さんがフンと鼻を鳴らす素振りをしてすぐ。


 またまた予想だにしなかったモノが、桜小路さんの目配せにより指示された菱沼さんから返された。


「そうですか。藤倉菜々子様がそこまでおっしゃるのなら、私どもはこれ以上何も申しません」


 ーー諦めてくれたようで、良かった。


 意外な言葉にほっと安堵したのも束の間、菱沼さんが言葉を重ねてくる。


「ですが、新型ウイルスによるこの不景気で、天下の『帝都ホテル』までもが桜小路グループに泣きついてくるくらいです。伯母様の経営されている『パティスリー藤倉』も、ずいぶんと大変なようですしねぇ」


 しかも、何やら含みを持たせたような言い草だ。


「……何が言いたいんですか?」


 思わず問い返せば、菱沼さんがニヤリとした厭らしい笑みを浮かべたのがマスク越しでも分かった。


 嫌な予感がして、無意識にゴクリと生唾を飲み込んだ。


 するとそこへ、先制攻撃とばかりに軽いジョブが放たれたのだ。


「藤倉菜々子様の負担になるといけませんので、単刀直入に申し上げます。『帝都ホテル』のパティシエールは優秀な方ばかりだと窺っております。本来なら、これまで通り働いていただきたいところなんですが、事情がおありのようですので、誠に残念ではありますが……断念いたします」


 〝断念〟という言葉に安堵して良いものか、と思案する間もなく、菱沼さんがもったいぶるような口振りで痛いところを突いてくる。


「ですが、この不景気です。いくら老舗の『帝都ホテル』で働いていたと言いましても、転職なんて厳しいでしょうし。亡くなったお母様のお姉様である伯母様にも心配させたくはないでしょうしねぇ」


 私は絶句せざるを得なかった。


「……」


 そこへ今度こそ核心が投げてよこされたのだった。


「そこで提案なんですが、カメ吉を救っていただいたのもなにかのご縁でしょうし。なにより、藤倉菜々子様のパティシエールとしての腕を見込んで、是非とも桜小路創様の専属パティシエールとしてお迎えしたいのですが。いかがでしょうか?」


 表向きには、親切な提案のように聞こえるが、こんなの脅迫だ。


 ーー何が亀を救ったお礼だ。言うこと聞かないなら、解雇を取り消すぞ。嫌なら従え。そう言っているようにしか聞こえないんですけど。


 事故は偶然だったんだろうけど、やっぱり色々調べ上げて、全部承知で言ってたんだ。


 それに、ここぞとばかりに親代わりである伯母さんのことを持ち出してくるなんて、性格悪すぎだし。


 けれどこの不況下、新卒でもない限り就活なんて厳しいだろうし。なにより伯母夫婦に心配だけはかけたくなかったーー。


 悔しいけれど菱沼さんに言われたとおりだから、何も言い返せなくて、泣きそうになるのをギリと奥歯を噛みしめながらにこらえた。


 そうしてふたりのことを交互に見据え、最後に桜小路さんを渾身の強い視線で睨みつけ。


「よろしくお願いします」


 結局は、挑むような口調でそう答えるしかなかった。


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