第8話 『彼女』

 部屋に入ると、電気がついていて舞の姿は見えなかったが、シロの部屋から人の気配がする。


 ドアをノックすると、そっと扉が開き、制服姿の舞が顔を出した。

 不安気で、今にも消えそうなほど沈んだ顔だった。

「クロ。お帰り。遅かったね」

 精一杯いつも通り振舞おうとしているのが見て取れる。


「うん。どうした?」

「どうしたって、何が?」

「いや、なんかいつもと様子が違うから。シロと喧嘩でもした?」


 俺の脳裏には、今しがた外で見た光景が映し出されている。

 シロと、制服姿の見知らぬ女(女子高生)は、仲良さげに手を繋ぎ、ネオン街へと消えて行った。

 制服は知らない制服だった。

 顔は良く見えなかったが、全体的に大人っぽい雰囲気で、制服はあまり似合っていない。女子高生にしては擦れた印象だった。


「シロは? 仕事?」

 そう訊ねると、舞は首を傾げて口をぎゅっと一文字に結んだ。


「今日は休みのはずだったんだけど、さっき、誰かから電話がかかって来て、出て行った」


「そっか。お客さんかな」


 シロはホストだ。休みとはいえ、客に呼びされて外出する事は珍しくない。

「多分、そう」


 しかし、俺は見た。アパートの外で、電信柱にもたれかかり、女子高生らしき女と話すシロの姿を。


『よくここがわかったね。もしかしてつけたの?』

 と問いかけるシロの声は、迷惑そうではなく、どこか嬉しそうに弾んでいた。


『たまたまコンビニで見かけただけ。つけたわけじゃないけどね。うふふ』


 女は勝ち誇ったように笑いながらそう答えていた。

 高校生がホストクラブに出入りするとは考えにくい。店の客じゃないだろうと思っていたのだが――。


「そっか。しょうがないな」

 俺は何も知らないふりをした。


「クロ。ご飯は?」

「食べて来た」

「岡垣さんと?」

 ズキンと心臓に痛みが走ったが、当たり前みたいに俺はうなづいた。

「うん」

 

 テーブルの上には、二人分のおかずにラップがかかっている。

 ハンバーグに野菜サラダが添えてあって、ファミレスで食べたハンバーグより美味しそうだった。


「舞もまだ食べてなかったの?」

「ううん。私は食べた。それ、シロとクロの分」

「シロ、ご飯食べずに出て行ったの?」

「うん」

「そっか。明日から俺の分は作らなくていいよ」

「どうして?」

「彼女と食べて帰る事もあるだろうし、無駄になると悪いから」


 自分の口からナチュラルに『彼女』というワードが出た事が、なんだか気恥ずかしい。ずっと苗字で呼んでた友達を始めて下の名前で呼ぶような、変な感覚に尻がむずむずした。


 舞がどんな表情をしているのか、俺は見なかった。

 なんとなく、辛そうな顔をしているような気がして。

 

 もしかしたら、全然そんな事ないのかもしれないけれど、辛そうな顔をしていたらいいなという、俺の願望が打ち砕かれる事が怖かった。


 俺に彼女ができた事を、舞が悔やんでいたらいい。

 嫉妬でモヤモヤしていたらいい。


 そんな風に思ってしまう俺は、やはりどこか歪んでいたのだろうか。


 ◆◆◆


 部屋に入り、適当な部屋着に着替える。

 俺はさっそく椅子に腰掛け、ヘッドセットを手に取った。 

 PCの電源をオンにして、配信の準備に取り掛かる。


 光るキーボードを軽く叩き、画面に俺の姿がワイプで映し出されたのを確認した。


「さて、始めるか。っと、その前に……」


 概要欄を少しいじって、準備完了。


 いつもよりも30分ほど遅れてしまった。リスナーたちがすでに待機していることを確認して、配信をスタートする。

 今の所、同接1万弱だが、悪くない。

 配信を始めれば、自然と集まって来るだろう。


「お待たせ―。ごめん、遅くなった。今日も来てくれてありがとな。みんな聴こえてる?」


 いつも通りの挨拶をしながら、モニターに映るコメントをざっと目で追う。


「聴こえてるかな?」 

 リスナーたちが反応を示す。


『聴こえてる!』

『ばっちり!』

『待ってました!』

『クロスケキターーーー!!!』

『今日はどんなゲーム?』


「大丈夫? 大丈夫そう……だね。ありがとう。じゃあ早速、本題に入ります。

 今日は『ネクサス・クルセイダー』っていう新作のゲームやろっかなって思ってます。宇宙の惑星を舞台にしたオープンワールドのアクションRPGなんだけど、知ってる人いるかな?」


『知ってる』

『知ってるけどまだやってない』

『案件?』


「そっかそっか、案件じゃないんだよね。えっと、プレイヤーはサイバー騎士団の一員になって、いろんな星を旅してエイリアンと戦うって感じだな。まぁ、見りゃわかるか」


 画面には広大な宇宙がリアル映し出され、俺はコントローラーを操作する。

 馴れた動きでキャラクターを操りながら、ゲームの世界に入り込んでいく。


『なんで今日はサスクル?』


 適当に返しやすいコメントが目についたので拾い上げる。


「特に理由はないけど、単純にゲーム仲間におすすめされたの。オープンワールドのアクションRPGで、自由度も高くて、サイバーな世界観が面白いんだぜ、みたいな感じで熱く語られて」


 ゲームが始まれば、殆どコメントは見えなくなるので、勝手に喋る。


「俺はサイバーパンクっぽいゲームが好きだし、しかも、オープンワールドって聞いたら、やっぱり試さないわけにはいかないっしょ。

 今日はね、初プレイなんで、手探り状態でやっていきます!

 とりあえずチュートリアルをサクッとクリアして、その後にメインクエストとか、探索をちょっとやってみたいと思います。

 途中で難しそうなボスとか出てきたら、知ってる人いたら一緒に戦略考えながらやっていけたらなと思ってるんで、アドバイスも頼むよ!

 あと、もし俺がめちゃくちゃ下手だったら笑ってやってください。

 まあ、今日はのんびりやっていくんで、気軽にコメントしてくれると嬉しいです!」


『所見です、初めまして』


「所見さん、初めまして。フォローありがとう」


『全女子にモテる系統やな』500円の投げ銭。


「そんな事ないでしょ。スパチャサンキュー」


 しばし、コントローラーを操作しながら、コメントを読み上げる。コメントが落ち着いたころ合いを見て、雑談開始。


「あ、そうそう。今日ちょっとみんなに話したいことがあってさ」


 笑みを含んだ俺のセリフに、コメント欄は早速『何』『何かあった?』とざわつき始める。


『もしかしてDTじゃなくなった?』

『ふられたか?』

『子供でもできたか?』

『彼女できた?』

『この雰囲気は恋や』240円の投げ銭。


「ははっ。みんな鋭いね。あ、スパチャサンキュー。実はさー。そうなんですよー」


『グハッ』1000円の投げ銭

『おめでとう!』5000円の投げ銭

『マジで!?』3000円の投げ銭

『やったな!』10000円の投げ銭

『♥』


 すごいスピードでコメントが流れ、投げ銭が増えて行く。

 さっきからやたらハートマークだけを送って来るリスナーがいる。

 名前は『サエちん』。冴香だなと直感する。


『チッスはしたのか?』

『チッスの報告はよ』

『♥』


「こういうこと話すのも初めてだし、ちょっと恥ずかしいわ。チッスはまだです。手も繋いでないわ」


『かわよー』3000円の投げ銭。

『アオハルやー』1000円の投げ銭。

『ゆっくりでいいよ。相手を大事にしてね』

『老婆心いて草』

『青春は一度だけや。ガンガン行ったれ!』

『♥』


 コメント欄は、リスナー同士の煽り合いも始まり、どんどん勢いを増す。もう拾い上げる事すら困難だ。


「スパチャサンキュー」を連呼する。


「どんな子ってコメント多いから、ちょっとだけ彼女の話していい? いい? そう、ありがとう。んとね、もしかしたらみんなの中にも知ってる人いるかもしんない。ダンスやってる娘で、ちょっと言っていいかわかんないんだけど」

 と言った瞬間、サエちんのコメントが見えた。


『言っていいよ♥』

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