第29話 夢、現実

 誰かが俺の名前を呼んでいる。

 泥の底から引き上げられるように、俺は目を覚ました。


「おい、ギン!」

「……キャスパー」


 周りに視線をやる。

 拠点のリビングだ。

 どうやらソファで座ったまま寝ていたようだ。


「お前、こんな時に呑気に寝てんじゃねえよ」

「……こんな時?」


 キャスパーが呆れたように顔を歪める。


「なに寝ぼけてんだ。あの女、お前の管轄かんかつだろ。なのに放ったらかしやがって」

「ああ……」


 そうだった。

 俺はようやく、現実に戻ってくる。


「昨日は寝れなかったのか?」

「うるさい」


 虫を払うような仕草をしながら、俺は立ち上がる。

 キャスパーの指摘通り、昨日はろくに眠れなかったから、血に鉛が混じったように体が重かった。


「……なに怒ってんだよ。まさか本当にさらうことになるとは思わねえだろ。そもそもお前が不用意に……」

「わかってる」


 キャスパーの露悪的な軽口は、今に始まったことじゃない。


「悪いのは俺だ。俺のせいで、こんなことになったんだ」

「……別にお前を責めてるわけじゃねえよ」


 キャスパーはハッと鼻を鳴らした。


「お前は命令されただけだろ。責任は全部アマンダにある。だから気にすんなよ」

「…………」

「そもそも他の連中に任せたらよかったんだ。それなのに、自分から実行犯に名乗り出やがって」

「だから、うるさいって言ってるだろ。キャスパーには関係ない」

「だったらなんでそんな攻撃的なんだよ」


 指摘されて、俺はバツの悪い思いをする。

 完全に八つ当たりだった。


「……夢を見てたんだ」

「夢?」


 キャスパーは片方の眉を持ち上げた。


「悲しい夢だったのか?」

「なんで?」

「泣いてるぞ、お前」

「…………」


 ほおに手をやると、指先が温かく濡れた。


「……いや、幸せな夢だった」


 俺はリビングを出て、拠点の、ある一室に向かった。

 扉を開けると、部屋の中央に置かれた椅子に、一人の少女が縛り付けられていた。

 昨日友達になったばかりの——

 そして今日、俺が自分の手で攫ってきた少女。


「ギン……これ、ほどいてよ」

「悪いな、春奈。それはできないんだ」

「どうして?」

「そういう命令だから」


 彼女の顔が見れなかった。

 目を閉じると、まぶたの裏にジローの姿が浮かんでくる。

 あれだけ優しかったジローが、責めるように俺を睨んでいた。

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