Episode20【瑠璃と栗原】

【瑠璃と栗原】

━━━━【〝RURIルリ〟Point of vie視点w 】━━━━


 全ては語られた。 目の前に立つ、この男の悲痛の叫びが。


「……――」


 全てを明かし終えた時、栗原 聡は、ただ、窓の外の空を見ていた。


 その瞳が何を見つめているのか、私には分からない。


 “終わらぬ春を夢見る”。


 ──だがそれは、夢の話だ。


 栗原 聡が、全てを理解し、全てを受け入れたからこそ、“復讐”という感情が生まれた。


 そう、彼はもう、夢から覚めている。


 時より、現実から目を背けてみても、戻れぬことは、理解している。


 だが栗原 聡が見ているのは、昔も今も、あの春だ。


 その瞳はきっと、帰らぬ人を、見つめている。


 不意に、喪失感に似たものが、心の奥底で、小さな悲鳴をあげた。


 ──……ただ、空を見る。


 沈黙する空間。この空間を、どう補えばいい。


 心を、身体を、人生を、全てを壊した、戻らぬ過去を語った、この男。 そんな男に、私はどんな言葉を、かければいい?


 私などには到底理解に苦しむような、そんな感情を、この男は嫌な程、味わってきただろう。


 そんな人に、どんな言葉をかければいい?


 良かれと思ってかける言葉でも、その言葉はこの男にとっては、侮辱になるかもしれない。


 どうすればいい? ──駄目だ。私には、何の言葉も、出てこない……


 何だか凄く、遠い人……―─


「……――瑠璃……」


 すると栗原が私の名を呼んで、振り向いた。

 名前を呼ばれたけれど、誰に呼ばれたのか、よく分からない。 だって、遠い人のように、思えるから。


 そんなことを思いながら、栗原に視線を向ける。


 ──ねぇ栗原、冷静な表情、しているつもり?


 確かに、冷静そうな表情、作ってるみたいだけど……アナタの瞳、哀しげに泣いている……


 どうして、冷静な表情なんて作るの?


 泣き叫んでも、いいのに……この人は私の前では、泣いてくれないみたい。


「瑠璃、怒り狂い堕ちた俺は、お前の瞳にどう映る――……?」


 栗原が少し怖い表情をしながら、私に聞いた。


「……どうって……――」


「瑠璃は、お人好しだよな。 この世には、救いようもないほどに、恐ろしい邪念を持った人間もいる。 そのことを、瑠璃は知った方がいい」


「……――誰のことを、言っているの?」


 すると栗原は、自分を指差す。 自分のちょうど、赤い天使の紋章の位置を、指差した。


「……ウルフ……――いや、栗原 聡、アナタは……そんなんじゃないよ―─……」


 また、悲しいことを言うね──


「だから、お人好しなんだよ。 腐った俺の腹ん中、お前に全て見せれば、拒絶される自信がある」


 冷たい表情で、栗原は言う。何故だか私の心は、息苦しくなる。


「……拒絶なんてしないっ……! ……」


 何故かムキになって、強めに言った。

 自分の吐いた言葉、何の根拠なのかは、分からない。


「なぁ瑠璃、お前は、どこまで堕ちた世界を、知っている?」


「……――」


 突き刺さる、栗原の冷たい視線。


 どこまで堕ちた? ……──


 堕ちた世界を、私は見たことがあるだろうか……


 私が体験したことのある、最大限の堕ちた世界と、栗原の知っている、堕ちた世界……きっと、ぜんぜん、深さが違う……――


 つまり栗原は私に、“お前に何が分かる?”って、言いたいのかもしれない。


 やっぱり私には、遠い人だね。


 思った通り、無意識に吐いた言葉が、栗原にとっての、侮辱になっている。


「……――」


 何も言えずにいると、栗原が私の前まで来た。 そして、さっきよりは優しい表情で、言った。


「ついておいで。 俺の心に良く似た、“ある絵”を、見せてあげるから――……」


 そう言うと栗原は、私の前からスッと退いて、歩き出した。


 一度呼吸を整えてから、私は栗原について行く。


 ──そして、栗原に連れてこられたのは、美術館。


 栗原が作った、美術館だ。以前雪哉に言われて、訪れた美術館と同じ。


 栗原の後をついて、私は美術館の中を歩く。


 今日は、一般公開はしていない日なのか、美術館はしんと静まり返り、私たち二人の足音だけが、響く。


「……――」


 歩きながら、順番に並べられた、四季の絵を見る……―─


 桜吹雪の、絵……

 作者、MA……

 そのイニシャルは間違いなく、“松村 藍”……


 初めて来た時は、“綺麗”と思って、感激しながら見ていた、藍さんの絵……全てを知ってからその絵を見ると、不意に、涙が出そうになる。


 “桜吹雪”、躍動感を感じさせる絵なのに、何故か今は、止まって見えた。



 ──そして、たどり着くのは、初めて来た時も見とれた、大きな、白い天使の絵の前……


 この絵が、栗原の言っていた、“藍さんへの忠誠を表して、画家に描かせた絵”だったんだ……


 藍さんへの忠誠を表した絵が、こんなにも、美しい……


 この絵がこんなにも美しいのだから、栗原が藍さんを想った心は、もっともっと、美しく、愛で溢れていたのだろう……──


 貴方は本当に、本当に……藍さんのことが、大好きだったんだね。


 それを失った貴方の心が、どれだけ、悲鳴をあげたことか……―─



 ──その絵の隣には、ある扉がある。


 栗原はその扉へ近づき、ポケットから、扉の鍵を取り出した。


 ─―カチャ……――


 差し込んだ鍵が回り、小さな音を静かに響かせた。


「…………」


 ドアノブに手をかけて、栗原は、一呼吸おいたように思える。 そして、ゆっくりと、扉を開いた。


「……――こっちだ」


 栗原が、手招きをする。


 招かれた方へと、歩を進める。扉の中へ……──


 栗原は、扉の中の部屋へ入り、その部屋の中央で脚を止めた。

 栗原はその場所で、扉側の壁を、見上げている。

 私もソッと、栗原の隣で、脚を止めた。 そして、同じ方向を、見上げる。


「…………――」


 そこには、白い天使の絵とまったく同じ大きさの絵がある。 それは壁を挟んで、白い天使の絵と背中合わせの状態で、飾られていた。

 そこにあったのは、背筋も凍るような……世にも恐ろしい、赤い天使の絵……――


 そう、栗原は過去の話の中で、言っていた。 画家に、ある二枚の絵を、描かせたと……――

 一枚目は、藍さんへの忠誠を誓った、美しい白い天使の絵。 二枚目は、復讐を誓った、赤い天使の絵、だと……――


 その絵は恐ろしく、不気味な絵。 この世の“苦”の感情を、全て描いたような絵。 今にも、この絵から、悲鳴が聞こえてくるのでは―─……そう、思ってしまうくらい。


 これが、栗原の言った、“自分の心に良く似た絵”……――


 栗原はこの絵を見上げながら、空っぽな、何を見ているのか分からないような、目をしている。 そんな目をしたまま、栗原は口元だけに、微かな笑みを作った。


「赤い天使……――この絵はもはや、天使ではない。 堕天使か……それとも悪魔か……――だが俺は、この絵を見ると、落ち着く。 この恐ろしい堕天使が、自分に、似ているように思えるから」


「……――」


 込み上げる何かを抑えながら、私は栗原を見る。

 栗原もこちらを向いて、私を見た。 そして貴方は、空っぽの表情のまま、平然と、言うの……――


「俺の心、腐ってるだろ?」


 咄嗟に私は、片手を自分の口に添えた。

 私の表情は崩れる……――瞳から、何かが、溢れ出た。

 だって、傷付きすぎた、貴方の心に……―─触れてしまったから――……



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