Episode 12【失った宝─Miyuki & Yukiya─】
【失った宝 1/2 ─ Miyuki ─】
━━━━【〝
小さな小さな、赤子の頃……私は、両親の元を離れた。
私の生まれ町は、夕方の綺麗な町だったんだって……雪哉が言っていた……
雪哉と見た夕方を、あんなにも美しく、懐かしく感じたのは、そのせいだろうか……?
小さな赤子だった私には、あの町で見た夕方の記憶がない。
けれどきっと、忘れているだけなのだろう……――
美しい夕方を見て、あんなにも、懐かしく感じたのだから……──
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*──*──*──*──*──*──*──*
夜の町にうごめく、数人の影……──
道の真ん中を、一人の男が、ウロウロと歩いている。
その男は腕を組みながら、不機嫌そうに、ゆっくりと八の字を描くように動く。
「畜生! なんだってこんな場所で、俺らがずっと、待ってなきゃいけねぇんだよ!!」
その男は不機嫌に、一緒にいる数人に怒鳴り付けた。
どうやら、ここにいる数人の男たちには、待ち人がいるらしい。
待つことに耐えられないこの男は、先程からイライラとしながら、八の字を描くようにウロウロとしていたのだ。
「仕方ねーだろう? 総長からの命令なんだからな」
それに答えた一人の男。
男たちの身にまとった特攻服には、【
“黒獅子”とはかつて、紫王、黄凰、白麟に肩を並べていた族の名だ。
「だからって! もう何時間待ってんだよ! 三時間だぞ! 三時間!」
男は指を三本立てて、言い張る。
「仕方ねぇーだろう! こうやって、あの男を待ち伏せしているが……“アイツ”は今や、立派ぶってる会社員さんなんだからな?」
他の男が可笑しそうに、フッと笑う……
「調べた時間通りに、俺らが待ち伏せしていても、ムダッてか? ……言えてるぜ。 “お仕事は時間通りに終わりません”ってか?」
小馬鹿にしたようなその言葉に、他の男たちもゲラゲラと笑い出す。
その待ち伏せている人物を嘲笑い、盛り上がる男たち。
暫くの間、男たちは“その男”のことを馬鹿にして、笑い続けていた。そして、それから20分程たった頃……──
相変わらずゲラゲラと笑う男たちの前に、一人の男が現れる。
質の良いスーツを身にまとった男。 その男は背が高くて、端麗な顔立ちをしていた。
ゲラゲラと笑っていた男たちは、一瞬にして、笑うのを止める。男たちの表情は一気に、冷たいものへと変わった。
地面に座り込んでいた男が、ゆっくりと立ち上がった。
「ようやく来やがったな? 随分、待たせてくれるじゃねぇか……家族の為に、頑張って残業ってか?? ……笑わせんじゃねぇーよ」
このスーツの男こそ、黒獅子の男たちが待ち伏せしていた人物だった。
黒獅子の男は、その男を侮辱するように、地面に唾を吐く。
するとスーツを着た例の男も、口を開く。
「黒獅子、俺に何か用か?」
スーツの男は、なんとも思っていないかのように冷静な面持ちのまま、ケロッと黒獅子に問いかけた。
「あ゛? “族をやめた”からって、俺ら黒獅子が、テメーを狙わないとでも思ったか?」
「あー、そういうことな」
やはりスーツの男は、落ち着いた様子で冷静に返答する。
「平和ボケするのは、まだ早いぜ? “五月女”……──黒獅子は、
青狼も黒獅子同様、かつて紫王、黄凰、白麟に肩を並べていた族だ。
“五月女”と呼ばれたスーツの男は、面倒臭そうに、男たちから視線を反らす……
「総長からの
黒獅子の男が、鉄の棒へと手を伸ばす……──
「なんだ、その鉄の棒……テメーら、汚ぇーぞ」
黒獅子の持つ鉄の棒を見て、五月女の表情はますます曇る。
「うるせー黙れ! 俺らだって暇じゃねぇーんだ! コレあった方が、手早いんだよ!」
「……そうか。なら、仕方ねぇ――」
五月女の瞳の在り方が、強いモノへと変わった。何かを決心したような、そんな瞳だ──
「……――」
〝五月女は、元、青狼の総長〟。そしてこの男たちは、黒獅子の下っ端に過ぎない。
五月女の強い目を見て、黒獅子側に緊張が走る……──
五月女はゆっくりと、男たちとの距離を縮める。
この状況で、自ら近づいてくる五月女……──
不利なのは明らかに五月女なのに、黒獅子の方が明らかに、五月女に恐れおののいている。
「テッテメー! この状況で近づいてくるとは、いい度胸だ! 馬鹿にしやがって! ……」
黒獅子の男が、五月女に思い切り、鉄の棒を振り下ろす……――
──だが、いとも簡単に、五月女はその鉄の棒を片手で受け止めていた。
鉄の棒を掴んだまま、五月女がその男を睨み付ける。
その迫力に、黒獅子の男は、息を飲む。
五月女はうっすらと、口元に笑みを浮かべた。
「仕方ねぇーから……――」
五月女は掴んだ鉄の棒を、そっと離す。
黒獅子は、五月女の威厳に未だ恐れおののき、緊張状態だった。
次の瞬間五月女は、サッと男の横を通り過ぎる……──
「仕方ねぇーから……――逃げる!!」
「「「「「?!!」」」」」
黒獅子の男たちは、拍子抜けをしポカンと口を開けた。
そして五月女はその言葉通り、颯爽と駆け抜けてゆく……――
「あ?! なんだと?!」
「五月女ッ?! ……ふっふざけやがって!?」
「おい! 追うぞ!!」
一瞬、呆気に取られていた黒獅子だが、すぐに、五月女を追い始めた。
逃げながら五月女は、少しだけ後ろを振り向いた。
黒獅子が追ってくる……──
「ぅわ~……追ってきやがる。……メンドくせぇ~……」
逃げながら五月女は、迷惑そうにしながら、表情を歪める。
「待てコラ! 五月女ッ! 逃げるなんて、テメーらしくねーー! 平和ボケもいいところだぞッ!」
あれだけ恐れおののいていたくせに、黒獅子はついてくる……
「うるせぇ連中……」
走りながら、五月女はため息をつく。そして小さく、呟いた……――
「暴力沙汰なんて、起こせる訳ねぇーだろう? ──だって俺には、“家族”がいるんだ……――」
五月女は微かに、優しい笑みを浮かべた。
そう暴力沙汰なんて、起こせる訳がない。
彼が逃げたのは全て、家族の為だった。
****
勢いよく、扉を開いた……──
「ただいまっ……――」
どうかに無事に家へ辿り着いて、玄関へと座り込んだ。走り続けて乱れた呼吸を、整える。
「おかえり」
家の奥から笑顔で、一人の女が玄関まで駆けてきた。 二人は夫婦だ。
玄関へ辿り着いた妻は、不思議そうに、夫を見ている。
「玄関に座り込んで、どうしたの? 呼吸も荒いわ……」
「……アイツら撒くの、大変だったぁ……すげぇ疲れた……」
「え?? まく??」
「あ……いや、なんでもねぇよ? ――ただ全力疾走で、家まで帰って来たから……」
妻は座り込んだ夫に、手を差し伸べる。
その手を掴み、立ち上がった。
「あなたって、面白いわね? 全力疾走って……子供みたいだわ」
「あ? なに言ってんだよ。お前が待つ家へ全力疾走で帰って、何が悪いんだ?」
妻は頬を赤らめながら、クスクスと笑った。
「まぁた、そんなこと言って──」
「言ってもいいだろう?」
「まぁねぇ」
二人は仲良く寄り添う。
次の瞬間、夫は優しく、妻の額にキスをする。
そのお礼にと、妻もキスを返す……
幸せそうに、二人は微笑み合った。
「なぁ、雪哉と美雪は?」
「さっき、眠ったところよ」
二人は、ベビーベッドで眠る小さな我が子を、優しく見つめた。
「俺の子、可愛すぎる……」
「あなたったら、デレデレなんだから」
「美雪は本当、お前に似てる」
「私の子ですもの? 雪哉は、あなたにそっくりよ」
「あぁ。コイツは“俺に似て”、イケメンだ」
「また、そんなこと言って」
「美雪もお前に似て、美女だ」
「またそんなこと言ってぇ♪」
顔を見合わせて、微笑み合った。
最愛の人と、天使のような我が子との、幸せな日々……──
暖かな暖かな、幸せな家庭。
そんな幸せが、いつまでも続くと、思っていた――……
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──────
そして次の日……──
辺りはもう、日が沈み暗くなる。
会社からの帰り道でのこと。歩く脚を止めた。道を阻む影……──
「またかよ……」
会社からの帰り、またしても、黒獅子と遭遇した。また、待ち伏せをしていたらしい。
「よぉ、五月女……よくも昨日は、逃げてくれたな?」
「……――」
五月女は不機嫌な面持ちで、一通り、敵の集団を見渡して眺める。
数は昨日より、明らかに多い。昨日は数人だったが、今日は十数人はいる……
「
男が嫌みに笑う……
「……――ぅるせぇよ……」
「あ? 何か言ったか?」
「うるせぇって言ってんだよ! 俺はもう……――殴らねぇ……」
五月女からは、しっかりとした意志が伝わってくる。
その様子に、黒獅子の男が舌を打った。
「なら力ずくで、その気にさせてやる……─―」
その言葉を合図に、黒獅子の男たちが五月女へと襲いかかる……
──襲い来る敵……――
けれど“家族の為”……──その決心は、変わることはない。意地もプライドも、捨てる覚悟だ。彼の意志は、決して揺らがないのだった――……
*****
「ただいま……――」
「おかえり」
その日も、家へと帰宅。
いつものように妻が家の奥から、笑顔で駆けてくる。
夫の元へと来た妻は、驚いた表情をする。
「……その傷、どうしたの?」
夫の口元から、血が滲んでいた。
「なんでもねぇーから……」
夫はどこか、元気がないように見える……
妻は心配そうに、顔を歪めた。
「大丈夫じゃないわよ。傷を見せて?」
妻は夫の頬に片手を添えて、心配そうに、傷を眺めていた。
「早く、こっちへ来て? 傷口を洗って、消毒しましょう?」
妻は夫の手を引いた。
──消毒液のついたコットンで、傷口を消毒する。
「この傷……――まさか、喧嘩? ……」
夫はうつむく。
「…………」
「何があったの? ……」
「……――オレは……手、出してねぇ……」
「…………」
「……信じてくれるか? ……オレはもう……――」
夫が話し終える前に、妻は夫を抱き締めた。
「そんなこと、分かっているわ。アナタを信じる」
「信じてくれて、良かった……ありがとな――……」
夫も妻を、強く抱き締め返した。
お互いが落ち着くまで、暫く、二人は抱き締め合っていた。
「心配かけてごめんな?」
「そんなことは気にしないでいいの……ただ、理由を聞かせて……何があったの? ……」
「……――分かった。……後で、話すから」
『約束よ』と言って、妻は心配そうな顔をする。すると夫は、ポンと、妻の頭に撫でる……──
「お前には、ちゃんと言うよ。だから、そんな顔するなよ? 風呂入って、メシ喰ったら、話すから……」
そう言って夫は、バスルームに向かう──
バスルームへと向かう途中、ベビーベッドのある部屋へと寄った。
いつも通り、二人の我が子は、可愛らしい表情で眠っている。
寂しげな表情で、我が子を眺めていた……─―
その時、寝ていた美雪の表情が、クシャッと歪む。
美雪は目が覚めたのか、少しずつ、声をあげて、グズリ出した。
寂しげだった表情が、優しい父親の表情に変わる……──
「美雪? なぁにグズってるんだよ? 腹減ったのか?」
泣き出した美雪を優しく抱き上げて、あやす。
「よしよし。……いい子だから……――」
だが美雪は、泣きやまない。
「………」
一度、眠っている雪哉へと視線を向けた。そして再び、泣き声をあげる美雪を見る。
「これじゃ、雪哉も起きちまうな。……──よしよし、美雪? え~と……ミルクがほしいのか? ……」
美雪は、もっと大きな声で泣き出す……
「みっ美雪……お前、すごく声デケェな?! ……雪哉が起きちまう」
少し不安げに、再度雪哉を見た。だが……
「…………」
雪哉に起きる気配はなし。
「あぁ~大丈夫そうだ。アイツ、まったく起きねぇ……図太ぇ奴だな」
暫く、美雪をあやし続けた。すると、ようやく美雪は、泣き止む――
父親は、安心したように、優しく微笑んで、美雪を、高く抱き上げた……
「……――」
抱き上げた美雪を眺めながら、父親は不意に、寂しげな表情を作る……
「あ~あぁ……なぁ、美雪……オレって、ダメな父親だよな? ……お前らを、守っていかなきゃならねぇのに……オレは過去の代償に囚われて……口元に、こんな傷をつけて……ダメな、父親だな……──」
美雪はただ、黒くて丸い瞳を、父親に向けていた。父の言葉の意味も、分からぬまま……―─
****
──その後、約束通り、妻には本当のことを話した。
夫が元青狼の総長だったことは、もちろん妻も知っている。
青狼に敵対していた黒獅子……──その黒獅子に襲われたこと、昨日も待ち伏せされていた事なども、全て妻に話した。
その話しをすると、やはり妻は優しく、夫を抱き締めるのだった。
──そして次の日から、あの帰り道は使わなくなった。出来るだけ、人通りの多い道を使うことにした。
その選択が良かったのか、あれから、黒獅子と会うことはない。
──だが最後に黒獅子に会った日から、1ヶ月ほど経った、ある日のこと。会社からの帰り、偶然、黒獅子と出くわしてしまう。
その日に会ったのは、黒獅子の総長である“
嫌な予感がする。偶然とはいえ、会ってしまったらどうなるのか、予想がつくから。案の定、五刀田は五月女を見て、口角をつり上げた――……
****
そしてその頃家では、何も知らない妻が、夫の帰りを待っていた。
「フフ……二人とも、とってもいい子ね。もうすぐ、パパが帰って来るからね?」
妻は我が子に向かって、優しく微笑む。
だが、いつも帰ってくる時間になっても、夫は帰って来ない……
子どもたちにミルクをあげながら、妻は首を傾げる。
「おかしいなぁ……帰って来ないね? ……雪哉と美雪も、早くパパに会いたいわよね? ……」
我が子に向かって、語りかけていた。
その時、玄関の方で、物音がした……──
その音を聞いて、妻は笑顔になる。
「あっ! 帰って来たかな? ……少し行ってくるね? いい子に、待っているのよ?」
抱っこしていた我が子をベッドに寝かせて、玄関へと向かった。
妻はいつも通りの笑顔で、玄関へ駆けて行く。そして、扉を開いた……
「おかえり、遅かったわ……――」
“遅かったわね? ”、そう言おうとして、妻は途中で、言葉を止めた。
「…………」
そこにいたのは、夫ではなかった。冷酷な目をした、大柄の男。……その後ろにも数人がいて、そのうちの一人は、女だった。
「……誰? ……ですか? ……」
その集団を見て、その集団の醸し出す冷たさに、恐怖が沸き上がった。
特に一番前に立つ男は、情の一つもないような、そんな冷酷な顔をしていた。
この集団こそが、黒獅子だった。黒獅子の総長と、幹部たち……──
すると、一番前にいた
「そこまでして、守りてぇ家庭ってか? ……――」
「……え? ……」
妻には、五刀田の言葉の意味が、分からなかった。何の話しをしているのか、分からない。
「……――なっ何の用ですか? ……」
恐怖を感じながら、五刀田へ聞いた。
すると、五刀田の視線が、こちらに移る。
視線が自分へ向いて、余計に恐怖を感じた。
五刀田は、不気味に口角を上げる……──
「どんなもんか、ちょっとした見物をしに来ただけだ。 何がそんなに大切なのか……――オレからしたら、不思議で仕方がないからな」
「……――」
やはり妻には、五刀田の言っている意味が、よく分からない。
「不思議だよな? ……――俺と五月女は、似た者同士だったんだ。俺もアイツも、ろくな人間じゃねぇ……──けどアイツは、変わった」
「…………」
五刀田が、こちらを指差す……──
「お前に出会ってから、アイツは変わった」
「…………」
「……だからだ。……――アイツが、気に喰わねぇんだよ……!!」
五刀田の声色がガラリと変わり、その表情も、憎しみを表すような……──そんな表情へと変わった。
その様子を前に、肩を震わした。そしてようやく、理解する。こいつらが、“黒獅子”なのだと。こいつらは、“危険”なのだと。
幼い我が子の姿が、頭に浮かんだ……――こいつらを、家の中に入れるわけにはいかない。
「帰って下さいっ……!! ……」
そう必死に言い張り、叫んだ。
咄嗟に扉を閉めようとして、扉へと手を伸ばす……──だが、閉まらないように、扉を掴まれる。
必死に扉を閉める方向に、力をくわえる。だが、掴まれている為、扉はビクともしない。
五刀田は涼しげに、必死に扉を閉めようとするのを眺めてくる。
「そう追い返そうとするな。見物ついでに、届け物がある……――」
五刀田の話しなど、耳に入らない……――
必死に、扉を押し続けた……──
「……いつまで必死そうにしてんだ? そんな行動、無意味だ」
─―ガッ!!
「キャッ……――」
五刀田が思い切り、扉を開いた。
扉を開かれた衝撃で、前のめりに転んだ。膝と手が、地面についている。
その様子に五刀田は、鼻で笑う……
すると一人の幹部の男が、目の前にしゃがんで、顔を覗き込んできた。
「……――」
その男を、脅えるように睨んだ……
男はじっと、こちらを見てくる。そして、言った……――
「お前、いい女だな?」
口角を上げながらそう言った男に、嫌な汗をかく……
「なぁ総長、この女、貰ってもいいか?」
「好きにしろ――……」
すると、幹部の男に、腕を掴まれた……――
「嫌っ! ――離してよッ!! ……――“助けてッ”……――」
その時、五刀田がフッと笑った。
「さっき、何て言ったんだ? 『助けて』だと? ……笑っちまうな。一体、誰に助けてもらうつもりだ? ……――」
震えながら、五刀田に視線を向ける……
「……――」
すると五刀田は、離れた位置にいた部下を、手招きをした。
「……――」
その部下は、何かを担いでいて……――
目の前で足を止めた……
──ただ、目を見開いて、固まる自分……
「ホラな? だから“届け物”があるって言ったんだ。テメーに、返してやるよ」
五刀田が、嫌な笑みで笑う。
─―ドカ! ……――
その部下が、担いでいたものを目の前へと下ろす――
次第に、目に涙が溜まってくる……
目の前には、傷だらけで意識のない夫の姿が、あったから。
絶望の叫びを上げた。
必死に、夫に呼び掛ける……
「分かっただろう。誰も、助けてくれねぇよ? 馬鹿だよな、ソイツ。やり返してこねぇんだ。つまらねぇんだよ。下らねぇ――……」
五刀田が、気を失っている夫のことを蹴った。
妻はキッと五刀田を睨み付ける。
「酷いッ……――何てことしたのよ……こんなにッ――……」
「その目はなんだ? 女……――」
「あんたなんてッ……!!」
泣きながら、怒りながら、立ち上がる……──
「許さないっ!!」
感情任せに、五刀田に掴み掛かった。
「は? お前に“許されない”ことなんて、痛くも痒くもねぇ」
するとそこで、先程の幹部が、五刀田に掴みかかる妻の体を引き寄せて、五刀田から引き離した。
「ホラ、総長に掴みかかるなんて……やめとけ。お前は俺の方に来いよ?」
グッとまた引き寄せられて、幹部の男と、やたらと近い距離になった。
「うるさいっ! 離してよ!! アンタたちッ……絶対に許さない!! ……――」
依然、妻は気を荒らげる。
「そんなに怒らなくてもいいだろう? なぁ……――」
「うるさい! 離してよッ!」
咄嗟に、幹部の男を突き飛ばす……──その際に、爪でその男の頬を引っ掻いてしまった。
男の頬から、血が滲む。
「痛ッ! この女ッ?! 何するんだよ!」
「キャッ……――」
カッとなったその男に、引っぱたかれた。
─―ガタンッ……
その衝撃で、思い切り扉へぶつかる。
「ぅ……」
そうして、夫と寄り添うように玄関へと倒れ、そのまま、気を失ってしまった……――
幹部の男は、血が滲んだ自身の頬に触れる。
「いってぇ……――せっかくいい女だったのにな……だが、引っ掻くような女は、ゴメンだぜ?」
幹部の男は、すっかり興味が削がれたらしく、以降は何もしてこなかった。
倒れている夫婦を見下ろしながら、また五刀田が不機嫌な表情を浮かべる。
「仲良く寄り添いながら、ぶっ倒れてやがる……馬鹿が――……いつまでも、ソコで寝てやがれ」
そして黒獅子のメンバーたちは、家の中へと足を踏み入れた。
──その時……――家の中から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた……
「あ? ……ガキが泣いてやがる」
すると幹部の女が、興味を惹かれたように、にっこりと笑った。
その女が泣き声のする部屋へと、いち早く向かう。
その後をついていく、他のメンバー。
「あ~! いたいたぁ! ……赤ちゃん!」
女は宝物でも見つけたかのように、目を輝かせた。
「お前、なに喜んでるんだ?」
女は、泣いている美雪を抱き上げる。
「え? だって、可愛いじゃない?」
女のはしゃぎ様に、呆れる他のメンバー。“五月女に絶望を与える為にやって来たと言うのに、なに赤ん坊など可愛がっていやがる”と、他のメンバーたちは、そう言いたいのだ。
「わー……可愛い。赤ちゃん抱っこしたの始めてだ……あっホラ見てよ! 私が抱っこしたら、泣き止んだ!」
嬉しそうに言う女。
その時五刀田が、女から美雪を、無理に奪う……
「あ゛っ総長! 何するのよ!!」
当然美雪はまた、大声で泣き始めた……
「…………」
そして五刀田は、じっと美雪を眺める。
「五月女――……テメーは幸せになんて、なれねぇよ。 ──もしもそうなれたなら、幸せなんてモノ、俺がぶっ壊してやる……――」
そう言うと再び、五刀田は女へ美雪を預けた。
「引くぞ。……――“そのガキも、連れてこい”……――」
五刀田の言葉を聞いて、女が嬉しそうに笑った。そして女は、雪哉にも手を伸ばした。だが……──
「女の方だけ、連れて行く」
「……えー? ……――分かったわよ」
仕方なく、女は手を引っ込めた。
そして、黒獅子は立ち去る。美雪を連れたまま……――
****
そして、数時間が経ち……──
徐々に意識を取り戻す。
うっすらと瞳を開く……ぼやける視界……はっきりとしない意識……──。
だがだんだんに、ぼやけて二重三重に見えていた視界が、一点に戻っていく……──
「……――――」
目の前には、何も変わらない光景がある。目の前には、気を失ったままの、夫の姿……
意識が鮮明に戻ってくると、ハッとして、すぐに身体を起こした。
胸に込み上げる、不安と恐怖と寂しさ……混乱、焦り……──
頭の中が混乱状態で、もう何が何なのか、訳が分からない。混乱状態の思考では、どうしたらいいのか、なかなか答えを探せなかった。
ただ直ぐ様、反射のように、夫の上半身を抱き起こして、抱き締めた。
「……――どうしちゃったの? ……――どうして、こんなことに……――どうすればいいの……――」
泣きながら、混乱の言葉を呟いている。
「訳、分からない……――頭、可笑しくなっちゃった――……」
涙は溢れるばかり……──
「ただ、ただ……――怖いよ……――」
消え去らない恐怖と不安、ショックで、俯いたまま、涙をボロボロと溢した。
その時、大きくて温かい手が、優しく、頭を撫でた。
「……?! ……――」
泣いていた顔を上げると、大好きな人が、いつも通りの、優しい表情をしていた。頭を撫でてくれたのは、他でもない、意識を吹き返した夫だった。
「「……――――」」
意識を取り戻した夫を見て、安心したように、また、泣いた。その胸で、泣いた。
「……――あぁ……良かった……私……――」
安心したのか、妻は一気に、体の力を抜いた。その体を全て、夫へ預けた。
そして、ゆっくりと、夫も口を開く……
「……――悪りぃ……また、心配かけた……」
「いいから……そんなこと、いいから……ただ……良かったッ……」
強く、抱き締めた。
「ごめんな……――」
夫も強く、妻を抱き締め返した。
夫は傷だらけではあるけど、元気そうだった。
ようやく二人に、うっすらと、安堵の笑みが浮かぶ。
悲しみも、痛みも、全て――……二人一緒なら、乗り越えられると、思っていた――
妻は立ち上がり、夫へと手を差し伸べる。
二人は向かい合う。
苦しみは忘れて、励まし合い、いつも通りに戻ろうと……──“していた”。
──するとその時部屋から、雪哉の泣き声が聞こえてくる……
「あっ! 私、どれだけ寝ていたの?!大変っ放っておかれて、雪哉が怒っているわ! ……」
「あぁ。そうだな……──とりあえず、俺の怪我は後でいいから。雪哉が先だ……」
泣いている赤ん坊と、生傷だらけの夫……──夫の事も気掛かりであるけれど、夫は意識もしっかりとしている。今は、雪哉が先だ。
急ぎ足で、雪哉と美雪の元へと向かう──
こうして“いつも通り”……いつも通りの日常に、戻る筈だった――
ベビーベッドの部屋へ、すぐに駆けて行った。そして……
「……え……――?」
扉を開き、ベビーベッドを見つめたまま、身体の全神経まで動きを止めてしまったかのように、凍り付く……――美雪が、いない……――
まだ、自分からベッドを出れる訳がなかった。
美雪が消えた理由を、すぐに頭が、理解する……──頭の中で、連想される言葉……黒獅子……
目の前の光景が、また一気に、絶望へと突き落としてくる。
──瞬間、その恐怖と絶望に呑まれ、大声で、泣き叫んだ。まるで、その背を押され、奈落の底へでも、突き落とされたかのように……──
妻の絶叫を聞いて、血相を変えながら、すぐに夫も駆けつける。そしてすぐに、その叫びの理由を理解した……──
膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えて、既に崩れ落ちている妻の肩を抱く。『大丈夫だ……』と、揺れる声で言い聞かせると、すぐに美雪を探し始めた……──
二人狂ったように、家中を捜し回る……── 外へと出て、その名を、呼び続ける……―――
けれど、まだ自分では歩けぬ筈の我が子の姿は、どこにもなかった……──
2人で膝から、崩れ落ちた。力なく、地面に座り込む、無力な若き夫婦……――
それは、ある春の夜のこと。ある夫婦が、愛する娘を失った夜……――
****
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