Episode 12【失った宝─Miyuki & Yukiya─】

【失った宝 1/2 ─ Miyuki ─】

━━━━【〝Miyukiキャット〟Point of vi視点ew】━━━━


 小さな小さな、赤子の頃……私は、両親の元を離れた。


 私の生まれ町は、夕方の綺麗な町だったんだって……雪哉が言っていた……


 雪哉と見た夕方を、あんなにも美しく、懐かしく感じたのは、そのせいだろうか……?


 小さな赤子だった私には、あの町で見た夕方の記憶がない。


 けれどきっと、忘れているだけなのだろう……――


 美しい夕方を見て、あんなにも、懐かしく感じたのだから……──


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─────


*──*──*──*──*──*──*──*


 夜の町にうごめく、数人の影……──


 道の真ん中を、一人の男が、ウロウロと歩いている。

 その男は腕を組みながら、不機嫌そうに、ゆっくりと八の字を描くように動く。


「畜生! なんだってこんな場所で、俺らがずっと、待ってなきゃいけねぇんだよ!!」


 その男は不機嫌に、一緒にいる数人に怒鳴り付けた。

 どうやら、ここにいる数人の男たちには、待ち人がいるらしい。

 待つことに耐えられないこの男は、先程からイライラとしながら、八の字を描くようにウロウロとしていたのだ。


「仕方ねーだろう? 総長からの命令なんだからな」


 それに答えた一人の男。

 男たちの身にまとった特攻服には、【黒獅子クロシシ】の文字。

 “黒獅子”とはかつて、紫王、黄凰、白麟に肩を並べていた族の名だ。


「だからって! もう何時間待ってんだよ! 三時間だぞ! 三時間!」


 男は指を三本立てて、言い張る。


「仕方ねぇーだろう! こうやって、を待ち伏せしているが……“アイツ”は今や、立派ぶってる会社員さんなんだからな?」


 他の男が可笑しそうに、フッと笑う……


「調べた時間通りに、俺らが待ち伏せしていても、ムダッてか? ……言えてるぜ。 “お仕事は時間通りに終わりません”ってか?」


 小馬鹿にしたようなその言葉に、他の男たちもゲラゲラと笑い出す。


 その待ち伏せている人物を嘲笑い、盛り上がる男たち。


 暫くの間、男たちは“その男”のことを馬鹿にして、笑い続けていた。そして、それから20分程たった頃……──


 相変わらずゲラゲラと笑う男たちの前に、一人の男が現れる。

 質の良いスーツを身にまとった男。 その男は背が高くて、端麗な顔立ちをしていた。


 ゲラゲラと笑っていた男たちは、一瞬にして、笑うのを止める。男たちの表情は一気に、冷たいものへと変わった。

 地面に座り込んでいた男が、ゆっくりと立ち上がった。


「ようやく来やがったな? 随分、待たせてくれるじゃねぇか……家族の為に、頑張って残業ってか?? ……笑わせんじゃねぇーよ」


 このスーツの男こそ、黒獅子の男たちが待ち伏せしていた人物だった。

 黒獅子の男は、その男を侮辱するように、地面に唾を吐く。


 するとスーツを着た例の男も、口を開く。


「黒獅子、俺に何か用か?」


 スーツの男は、なんとも思っていないかのように冷静な面持ちのまま、ケロッと黒獅子に問いかけた。


「あ゛? “族をやめた”からって、俺ら黒獅子が、テメーを狙わないとでも思ったか?」


「あー、そういうことな」


 やはりスーツの男は、落ち着いた様子で冷静に返答する。


「平和ボケするのは、まだ早いぜ? “五月女”……──黒獅子は、青狼セイロウの元総長だったテメーを、見逃したりはしねぇ……」


 青狼も黒獅子同様、かつて紫王、黄凰、白麟に肩を並べていた族だ。


 “五月女”と呼ばれたスーツの男は、面倒臭そうに、男たちから視線を反らす……


「総長からのめいで、テメーを潰しにきた。覚悟しろ。五月女──」


 黒獅子の男が、鉄の棒へと手を伸ばす……──


「なんだ、その鉄の棒……テメーら、汚ぇーぞ」


 黒獅子の持つ鉄の棒を見て、五月女の表情はますます曇る。


「うるせー黙れ! 俺らだって暇じゃねぇーんだ! コレあった方が、手早いんだよ!」


「……そうか。なら、仕方ねぇ――」


 五月女の瞳の在り方が、強いモノへと変わった。何かを決心したような、そんな瞳だ──


「……――」


 〝五月女は、元、青狼の総長〟。そしてこの男たちは、黒獅子の下っ端に過ぎない。


 五月女の強い目を見て、黒獅子側に緊張が走る……──


 五月女はゆっくりと、男たちとの距離を縮める。


 この状況で、自ら近づいてくる五月女……──


 不利なのは明らかに五月女なのに、黒獅子の方が明らかに、五月女に恐れおののいている。


「テッテメー! この状況で近づいてくるとは、いい度胸だ! 馬鹿にしやがって! ……」


 黒獅子の男が、五月女に思い切り、鉄の棒を振り下ろす……――

 ──だが、いとも簡単に、五月女はその鉄の棒を片手で受け止めていた。

 鉄の棒を掴んだまま、五月女がその男を睨み付ける。

 その迫力に、黒獅子の男は、息を飲む。

 五月女はうっすらと、口元に笑みを浮かべた。


「仕方ねぇーから……――」


 五月女は掴んだ鉄の棒を、そっと離す。


 黒獅子は、五月女の威厳に未だ恐れおののき、緊張状態だった。


 次の瞬間五月女は、サッと男の横を通り過ぎる……──


「仕方ねぇーから……――!!」


「「「「「?!!」」」」」


 黒獅子の男たちは、拍子抜けをしポカンと口を開けた。

 そして五月女はその言葉通り、颯爽と駆け抜けてゆく……――


「あ?! なんだと?!」


「五月女ッ?! ……ふっふざけやがって!?」


「おい! 追うぞ!!」


 一瞬、呆気に取られていた黒獅子だが、すぐに、五月女を追い始めた。

 逃げながら五月女は、少しだけ後ろを振り向いた。

 黒獅子が追ってくる……──


「ぅわ~……追ってきやがる。……メンドくせぇ~……」


 逃げながら五月女は、迷惑そうにしながら、表情を歪める。


「待てコラ! 五月女ッ! 逃げるなんて、テメーらしくねーー! 平和ボケもいいところだぞッ!」


 あれだけ恐れおののいていたくせに、黒獅子はついてくる……


「うるせぇ連中……」


 走りながら、五月女はため息をつく。そして小さく、呟いた……――


「暴力沙汰なんて、起こせる訳ねぇーだろう? ──だって俺には、“家族”がいるんだ……――」


 五月女は微かに、優しい笑みを浮かべた。


 そう暴力沙汰なんて、起こせる訳がない。

 彼が逃げたのは全て、家族の為だった。


****


 勢いよく、扉を開いた……──


「ただいまっ……――」


 どうかに無事に家へ辿り着いて、玄関へと座り込んだ。走り続けて乱れた呼吸を、整える。


「おかえり」


 家の奥から笑顔で、一人の女が玄関まで駆けてきた。 二人は夫婦だ。

 玄関へ辿り着いた妻は、不思議そうに、夫を見ている。


「玄関に座り込んで、どうしたの? 呼吸も荒いわ……」


「……アイツら撒くの、大変だったぁ……すげぇ疲れた……」


「え?? まく??」


「あ……いや、なんでもねぇよ? ――ただ全力疾走で、家まで帰って来たから……」


 妻は座り込んだ夫に、手を差し伸べる。

 その手を掴み、立ち上がった。


「あなたって、面白いわね? 全力疾走って……子供みたいだわ」


「あ? なに言ってんだよ。お前が待つ家へ全力疾走で帰って、何が悪いんだ?」


 妻は頬を赤らめながら、クスクスと笑った。


「まぁた、そんなこと言って──」


「言ってもいいだろう?」


「まぁねぇ」


 二人は仲良く寄り添う。

 次の瞬間、夫は優しく、妻の額にキスをする。

 そのお礼にと、妻もキスを返す……

 幸せそうに、二人は微笑み合った。


「なぁ、雪哉と美雪は?」


「さっき、眠ったところよ」


 二人は、ベビーベッドで眠る小さな我が子を、優しく見つめた。


「俺の子、可愛すぎる……」


「あなたったら、デレデレなんだから」


「美雪は本当、お前に似てる」


「私の子ですもの? 雪哉は、あなたにそっくりよ」


「あぁ。コイツは“俺に似て”、イケメンだ」


「また、そんなこと言って」


「美雪もお前に似て、美女だ」


「またそんなこと言ってぇ♪」


 顔を見合わせて、微笑み合った。


 最愛の人と、天使のような我が子との、幸せな日々……──


 暖かな暖かな、幸せな家庭。


 そんな幸せが、いつまでも続くと、思っていた――……


──────────

──────


 そして次の日……──

 辺りはもう、日が沈み暗くなる。


 会社からの帰り道でのこと。歩く脚を止めた。道を阻む影……──


「またかよ……」


 会社からの帰り、またしても、黒獅子と遭遇した。また、待ち伏せをしていたらしい。


「よぉ、五月女……よくも昨日は、逃げてくれたな?」


「……――」


 五月女は不機嫌な面持ちで、一通り、敵の集団を見渡して眺める。

 数は昨日より、明らかに多い。昨日は数人だったが、今日は十数人はいる……


テメー五月女、真っ当な人間のフリなんて、さっさと止めたらどうだ? 似合ってねーよ。 テメーには、血生臭い冷酷な喧嘩が、お似合いだぜ?」


 男が嫌みに笑う……


「……――ぅるせぇよ……」


「あ? 何か言ったか?」


「うるせぇって言ってんだよ! 俺はもう……――殴らねぇ……」


 五月女からは、しっかりとした意志が伝わってくる。

 その様子に、黒獅子の男が舌を打った。


「なら力ずくで、その気にさせてやる……─―」


 その言葉を合図に、黒獅子の男たちが五月女へと襲いかかる……


 ──襲い来る敵……――


 けれど“家族の為”……──その決心は、変わることはない。意地もプライドも、捨てる覚悟だ。彼の意志は、決して揺らがないのだった――……


*****


「ただいま……――」


「おかえり」


 その日も、家へと帰宅。

 いつものように妻が家の奥から、笑顔で駆けてくる。

 夫の元へと来た妻は、驚いた表情をする。


「……その傷、どうしたの?」


 夫の口元から、血が滲んでいた。


「なんでもねぇーから……」


 夫はどこか、元気がないように見える……

 妻は心配そうに、顔を歪めた。


「大丈夫じゃないわよ。傷を見せて?」


 妻は夫の頬に片手を添えて、心配そうに、傷を眺めていた。


「早く、こっちへ来て? 傷口を洗って、消毒しましょう?」


 妻は夫の手を引いた。



 ──消毒液のついたコットンで、傷口を消毒する。


「この傷……――まさか、喧嘩? ……」


 夫はうつむく。


「…………」


「何があったの? ……」


「……――オレは……手、出してねぇ……」


「…………」


「……信じてくれるか? ……オレはもう……――」


 夫が話し終える前に、妻は夫を抱き締めた。


「そんなこと、分かっているわ。アナタを信じる」


「信じてくれて、良かった……ありがとな――……」


 夫も妻を、強く抱き締め返した。


 お互いが落ち着くまで、暫く、二人は抱き締め合っていた。


「心配かけてごめんな?」


「そんなことは気にしないでいいの……ただ、理由を聞かせて……何があったの? ……」


「……――分かった。……後で、話すから」


 『約束よ』と言って、妻は心配そうな顔をする。すると夫は、ポンと、妻の頭に撫でる……──


「お前には、ちゃんと言うよ。だから、そんな顔するなよ? 風呂入って、メシ喰ったら、話すから……」


 そう言って夫は、バスルームに向かう──


 バスルームへと向かう途中、ベビーベッドのある部屋へと寄った。


 いつも通り、二人の我が子は、可愛らしい表情で眠っている。


 寂しげな表情で、我が子を眺めていた……─―


 その時、寝ていた美雪の表情が、クシャッと歪む。

 美雪は目が覚めたのか、少しずつ、声をあげて、グズリ出した。


 寂しげだった表情が、優しい父親の表情に変わる……──


「美雪? なぁにグズってるんだよ? 腹減ったのか?」


 泣き出した美雪を優しく抱き上げて、あやす。


「よしよし。……いい子だから……――」


 だが美雪は、泣きやまない。


「………」


 一度、眠っている雪哉へと視線を向けた。そして再び、泣き声をあげる美雪を見る。


「これじゃ、雪哉も起きちまうな。……──よしよし、美雪? え~と……ミルクがほしいのか? ……」


 美雪は、もっと大きな声で泣き出す……


「みっ美雪……お前、すごく声デケェな?! ……雪哉が起きちまう」


 少し不安げに、再度雪哉を見た。だが……


「…………」


 雪哉に起きる気配はなし。


「あぁ~大丈夫そうだ。アイツ、まったく起きねぇ……図太ぇ奴だな」


 暫く、美雪をあやし続けた。すると、ようやく美雪は、泣き止む――

 父親は、安心したように、優しく微笑んで、美雪を、高く抱き上げた……


「……――」


 抱き上げた美雪を眺めながら、父親は不意に、寂しげな表情を作る……


「あ~あぁ……なぁ、美雪……オレって、ダメな父親だよな? ……お前らを、守っていかなきゃならねぇのに……オレは過去の代償に囚われて……口元に、こんな傷をつけて……ダメな、父親だな……──」


 美雪はただ、黒くて丸い瞳を、父親に向けていた。父の言葉の意味も、分からぬまま……―─


****

 ──その後、約束通り、妻には本当のことを話した。


 夫が元青狼の総長だったことは、もちろん妻も知っている。


 青狼に敵対していた黒獅子……──その黒獅子に襲われたこと、昨日も待ち伏せされていた事なども、全て妻に話した。


 その話しをすると、やはり妻は優しく、夫を抱き締めるのだった。



 ──そして次の日から、あの帰り道は使わなくなった。出来るだけ、人通りの多い道を使うことにした。


 その選択が良かったのか、あれから、黒獅子と会うことはない。


 ──だが最後に黒獅子に会った日から、1ヶ月ほど経った、ある日のこと。会社からの帰り、偶然、黒獅子と出くわしてしまう。

 その日に会ったのは、黒獅子の総長である“五刀田ゴトウダ”という男だった。 さらに五刀田と一緒に、幹部を含む、何人かのメンバーもいる。


 嫌な予感がする。偶然とはいえ、会ってしまったらどうなるのか、予想がつくから。案の定、五刀田は五月女を見て、口角をつり上げた――……


****


 そしてその頃家では、何も知らない妻が、夫の帰りを待っていた。


「フフ……二人とも、とってもいい子ね。もうすぐ、パパが帰って来るからね?」


 妻は我が子に向かって、優しく微笑む。


 だが、いつも帰ってくる時間になっても、夫は帰って来ない……

 子どもたちにミルクをあげながら、妻は首を傾げる。


「おかしいなぁ……帰って来ないね? ……雪哉と美雪も、早くパパに会いたいわよね? ……」


 我が子に向かって、語りかけていた。

 その時、玄関の方で、物音がした……──

 その音を聞いて、妻は笑顔になる。


「あっ! 帰って来たかな? ……少し行ってくるね? いい子に、待っているのよ?」


 抱っこしていた我が子をベッドに寝かせて、玄関へと向かった。


 妻はいつも通りの笑顔で、玄関へ駆けて行く。そして、扉を開いた……


「おかえり、遅かったわ……――」


 “遅かったわね? ”、そう言おうとして、妻は途中で、言葉を止めた。


「…………」


 そこにいたのは、夫ではなかった。冷酷な目をした、大柄の男。……その後ろにも数人がいて、そのうちの一人は、女だった。


「……誰? ……ですか? ……」


 その集団を見て、その集団の醸し出す冷たさに、恐怖が沸き上がった。

 特に一番前に立つ男は、情の一つもないような、そんな冷酷な顔をしていた。


 この集団こそが、黒獅子だった。黒獅子の総長と、幹部たち……──


 すると、一番前にいた五刀田が、家の中を見渡しながら、口を開いた……──


「そこまでして、守りてぇ家庭ってか? ……――」


「……え? ……」


 妻には、五刀田の言葉の意味が、分からなかった。何の話しをしているのか、分からない。


「……――なっ何の用ですか? ……」


 恐怖を感じながら、五刀田へ聞いた。

 すると、五刀田の視線が、こちらに移る。

 視線が自分へ向いて、余計に恐怖を感じた。

 五刀田は、不気味に口角を上げる……──


「どんなもんか、ちょっとした見物をしに来ただけだ。 何がそんなに大切なのか……――オレからしたら、不思議で仕方がないからな」


「……――」


 やはり妻には、五刀田の言っている意味が、よく分からない。


「不思議だよな? ……――俺と五月女は、似た者同士だったんだ。俺もアイツも、ろくな人間じゃねぇ……──けどアイツは、変わった」


「…………」


 五刀田が、こちらを指差す……──


「お前に出会ってから、アイツは変わった」


「…………」


「……だからだ。……――アイツが、気に喰わねぇんだよ……!!」


 五刀田の声色がガラリと変わり、その表情も、憎しみを表すような……──そんな表情へと変わった。


 その様子を前に、肩を震わした。そしてようやく、理解する。こいつらが、“黒獅子”なのだと。こいつらは、“危険”なのだと。

 幼い我が子の姿が、頭に浮かんだ……――こいつらを、家の中に入れるわけにはいかない。


「帰って下さいっ……!! ……」


 そう必死に言い張り、叫んだ。

 咄嗟に扉を閉めようとして、扉へと手を伸ばす……──だが、閉まらないように、扉を掴まれる。

 必死に扉を閉める方向に、力をくわえる。だが、掴まれている為、扉はビクともしない。

 五刀田は涼しげに、必死に扉を閉めようとするのを眺めてくる。


「そう追い返そうとするな。見物ついでに、届け物がある……――」


 五刀田の話しなど、耳に入らない……――

 必死に、扉を押し続けた……──


「……いつまで必死そうにしてんだ? そんな行動、無意味だ」


 ─―ガッ!!


「キャッ……――」


 五刀田が思い切り、扉を開いた。

 扉を開かれた衝撃で、前のめりに転んだ。膝と手が、地面についている。

 その様子に五刀田は、鼻で笑う……

 すると一人の幹部の男が、目の前にしゃがんで、顔を覗き込んできた。


「……――」


 その男を、脅えるように睨んだ……

 男はじっと、こちらを見てくる。そして、言った……――


「お前、いい女だな?」


 口角を上げながらそう言った男に、嫌な汗をかく……


「なぁ総長、この女、貰ってもいいか?」


「好きにしろ――……」


 すると、幹部の男に、腕を掴まれた……――


「嫌っ! ――離してよッ!! ……――“助けてッ”……――」


 その時、五刀田がフッと笑った。


「さっき、何て言ったんだ? 『助けて』だと? ……笑っちまうな。一体、誰に助けてもらうつもりだ? ……――」


 震えながら、五刀田に視線を向ける……


「……――」


 すると五刀田は、離れた位置にいた部下を、手招きをした。


「……――」


 その部下は、何かを担いでいて……――

 目の前で足を止めた……


 ──ただ、目を見開いて、固まる自分……


「ホラな? だから“届け物”があるって言ったんだ。テメーに、返してやるよ」


 五刀田が、嫌な笑みで笑う。


 ─―ドカ! ……――


 その部下が、担いでいたものを目の前へと下ろす――


 次第に、目に涙が溜まってくる……

 目の前には、傷だらけで意識のない夫の姿が、あったから。

 絶望の叫びを上げた。

 必死に、夫に呼び掛ける……


「分かっただろう。誰も、助けてくれねぇよ? 馬鹿だよな、ソイツ。やり返してこねぇんだ。つまらねぇんだよ。下らねぇ――……」


 五刀田が、気を失っている夫のことを蹴った。

 妻はキッと五刀田を睨み付ける。


「酷いッ……――何てことしたのよ……こんなにッ――……」


「その目はなんだ? 女……――」


「あんたなんてッ……!!」


 泣きながら、怒りながら、立ち上がる……──


「許さないっ!!」


 感情任せに、五刀田に掴み掛かった。


「は? お前に“許されない”ことなんて、痛くも痒くもねぇ」


 するとそこで、先程の幹部が、五刀田に掴みかかる妻の体を引き寄せて、五刀田から引き離した。


「ホラ、総長に掴みかかるなんて……やめとけ。お前は俺の方に来いよ?」


 グッとまた引き寄せられて、幹部の男と、やたらと近い距離になった。


「うるさいっ! 離してよ!! アンタたちッ……絶対に許さない!! ……――」


 依然、妻は気を荒らげる。


「そんなに怒らなくてもいいだろう? なぁ……――」


「うるさい! 離してよッ!」


 咄嗟に、幹部の男を突き飛ばす……──その際に、爪でその男の頬を引っ掻いてしまった。

 男の頬から、血が滲む。


「痛ッ! この女ッ?! 何するんだよ!」


「キャッ……――」


 カッとなったその男に、引っぱたかれた。


 ─―ガタンッ……


 その衝撃で、思い切り扉へぶつかる。


「ぅ……」


 そうして、夫と寄り添うように玄関へと倒れ、そのまま、気を失ってしまった……――


 幹部の男は、血が滲んだ自身の頬に触れる。


「いってぇ……――せっかくいい女だったのにな……だが、引っ掻くような女は、ゴメンだぜ?」


 幹部の男は、すっかり興味が削がれたらしく、以降は何もしてこなかった。


 倒れている夫婦を見下ろしながら、また五刀田が不機嫌な表情を浮かべる。


「仲良く寄り添いながら、ぶっ倒れてやがる……馬鹿が――……いつまでも、ソコで寝てやがれ」


 そして黒獅子のメンバーたちは、家の中へと足を踏み入れた。

 ──その時……――家の中から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた……


「あ? ……ガキが泣いてやがる」


 すると幹部の女が、興味を惹かれたように、にっこりと笑った。

 その女が泣き声のする部屋へと、いち早く向かう。

 その後をついていく、他のメンバー。


「あ~! いたいたぁ! ……赤ちゃん!」


 女は宝物でも見つけたかのように、目を輝かせた。


「お前、なに喜んでるんだ?」


 女は、泣いている美雪を抱き上げる。


「え? だって、可愛いじゃない?」


 女のはしゃぎ様に、呆れる他のメンバー。“五月女に絶望を与える為にやって来たと言うのに、なに赤ん坊など可愛がっていやがる”と、他のメンバーたちは、そう言いたいのだ。


「わー……可愛い。赤ちゃん抱っこしたの始めてだ……あっホラ見てよ! 私が抱っこしたら、泣き止んだ!」


 嬉しそうに言う女。

 その時五刀田が、女から美雪を、無理に奪う……


「あ゛っ総長! 何するのよ!!」


 当然美雪はまた、大声で泣き始めた……


「…………」


 そして五刀田は、じっと美雪を眺める。


「五月女――……テメーは幸せになんて、なれねぇよ。 ──もしもそうなれたなら、幸せなんてモノ、俺がぶっ壊してやる……――」


 そう言うと再び、五刀田は女へ美雪を預けた。


「引くぞ。……――“そのガキも、連れてこい”……――」


 五刀田の言葉を聞いて、女が嬉しそうに笑った。そして女は、雪哉にも手を伸ばした。だが……──


「女の方だけ、連れて行く」


「……えー? ……――分かったわよ」


 仕方なく、女は手を引っ込めた。


 そして、黒獅子は立ち去る。美雪を連れたまま……――


****


 そして、数時間が経ち……──


 徐々に意識を取り戻す。

 うっすらと瞳を開く……ぼやける視界……はっきりとしない意識……──。

 だがだんだんに、ぼやけて二重三重に見えていた視界が、一点に戻っていく……──


「……――――」


 目の前には、何も変わらない光景がある。目の前には、気を失ったままの、夫の姿……


 意識が鮮明に戻ってくると、ハッとして、すぐに身体を起こした。


 胸に込み上げる、不安と恐怖と寂しさ……混乱、焦り……──


 頭の中が混乱状態で、もう何が何なのか、訳が分からない。混乱状態の思考では、どうしたらいいのか、なかなか答えを探せなかった。

 ただ直ぐ様、反射のように、夫の上半身を抱き起こして、抱き締めた。


「……――どうしちゃったの? ……――どうして、こんなことに……――どうすればいいの……――」


 泣きながら、混乱の言葉を呟いている。


「訳、分からない……――頭、可笑しくなっちゃった――……」


 涙は溢れるばかり……──


「ただ、ただ……――怖いよ……――」


 消え去らない恐怖と不安、ショックで、俯いたまま、涙をボロボロと溢した。

 その時、大きくて温かい手が、優しく、頭を撫でた。


「……?! ……――」


 泣いていた顔を上げると、大好きな人が、いつも通りの、優しい表情をしていた。頭を撫でてくれたのは、他でもない、意識を吹き返した夫だった。


「「……――――」」


 意識を取り戻した夫を見て、安心したように、また、泣いた。その胸で、泣いた。


「……――あぁ……良かった……私……――」


 安心したのか、妻は一気に、体の力を抜いた。その体を全て、夫へ預けた。


 そして、ゆっくりと、夫も口を開く……


「……――悪りぃ……また、心配かけた……」


「いいから……そんなこと、いいから……ただ……良かったッ……」


 強く、抱き締めた。


「ごめんな……――」


 夫も強く、妻を抱き締め返した。


 夫は傷だらけではあるけど、元気そうだった。

 ようやく二人に、うっすらと、安堵の笑みが浮かぶ。

 悲しみも、痛みも、全て――……二人一緒なら、乗り越えられると、思っていた――


 妻は立ち上がり、夫へと手を差し伸べる。


 二人は向かい合う。


 苦しみは忘れて、励まし合い、いつも通りに戻ろうと……──“していた”。


 ──するとその時部屋から、雪哉の泣き声が聞こえてくる……


「あっ! 私、どれだけ寝ていたの?!大変っ放っておかれて、雪哉が怒っているわ! ……」


「あぁ。そうだな……──とりあえず、俺の怪我は後でいいから。雪哉が先だ……」


 泣いている赤ん坊と、生傷だらけの夫……──夫の事も気掛かりであるけれど、夫は意識もしっかりとしている。今は、雪哉が先だ。


 急ぎ足で、雪哉と美雪の元へと向かう──


 こうして“いつも通り”……いつも通りの日常に、戻る筈だった――


 ベビーベッドの部屋へ、すぐに駆けて行った。そして……


「……え……――?」


 扉を開き、ベビーベッドを見つめたまま、身体の全神経まで動きを止めてしまったかのように、凍り付く……――……――


 まだ、自分からベッドを出れる訳がなかった。

 美雪が消えた理由を、すぐに頭が、理解する……──頭の中で、連想される言葉…………


 目の前の光景が、また一気に、絶望へと突き落としてくる。


 ──瞬間、その恐怖と絶望に呑まれ、大声で、泣き叫んだ。まるで、その背を押され、奈落の底へでも、突き落とされたかのように……──


 妻の絶叫を聞いて、血相を変えながら、すぐに夫も駆けつける。そしてすぐに、その叫びの理由を理解した……──

 膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えて、既に崩れ落ちている妻の肩を抱く。『大丈夫だ……』と、揺れる声で言い聞かせると、すぐに美雪を探し始めた……──


 二人狂ったように、家中を捜し回る……── 外へと出て、その名を、呼び続ける……―――


 けれど、まだ自分では歩けぬ筈の我が子の姿は、どこにもなかった……──


 2人で膝から、崩れ落ちた。力なく、地面に座り込む、無力な若き夫婦……――


 それは、ある春の夜のこと。ある夫婦が、愛する娘を失った夜……――


****


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