第9話 レッドヘルム
「……やべぇっ!」
視界の向こうでグリズリー達に迫られている王子達を見てティムが叫ぶ。駆けつけるにはまだ距離が遠い。
「アルマ!」
「うん!」
「『
ティムが魔法を詠唱すると緑色の魔力がアルマを包み込んだ。アルマは加速してティムを置き去りにすると一挙に敵との距離を詰めていく。
アルマは地面を思いきり蹴って跳躍した。放物線を描いて落下していくその先にはグリズリーの背中が見える。アルマは長剣を持ち替えて両手で逆手に持つと、怪物の背中の中心目がけて深く突き刺した。
「グオアアアアッ!」
物凄い叫び声を上げながらグリズリーは暴れだした。アルマはまるでロデオを行うようにうまくバランスを取りながら獣の背中に乗り続ける。そして握った長剣に力を込めるとさらに深く突き刺していく。
ティムが追いつくのとグリズリーが倒れるのとがほぼ同時に起こり、大きな音を立てて倒れた怪物の背中からアルマが飛び下りてきた。
「王子!」
駆け寄るとオルフェンも王子も既に瀕死の状態だった。王子は意識がなく、眠るように瞼を閉じている。背中の傷跡が痛々しい。
「わ……私はいい、先に王子を……」
オルフェンが絞り出すような声で訴える。ティムは躊躇した。二人とも今すぐ治療が必要な状態だ。しかし今のティムにはほとんど魔力が残っていない。このままではどちらも助けられないかもーー最悪の可能性が頭をよぎる。
「ティム」
振り向くとそこにはレンドンが立っていた。息を切らしていて額からは汗を流している。「僕、いてもたってもいられなくてーー」
「ティム!大丈夫か!」
そこにピーターと騎士達が駆けつける。その背後には修道士の姿もあった。ティムは思わず笑みを浮かべる。「いいぞ。これなら何とかなる」
「王子、オルフェンーー」
二人の無惨な姿を見てピーターは絶句した。レンドンの目に再び絶望の表情が浮かぶ。
「レンドン、お前が王子を治すんだ」
ティムの声にレンドンはびくっと反応すると、身を震わせ始めた。「で、できないよ僕。だってーー」
ティムはレンドンの耳元で囁く。「自分のやっちまったことは自分で乗り越えないと、後でひどく後悔することになるぞ」
レンドンは弾かれたようにティムを見つめた。
「ど、どうしてそれを」
やっぱな、とティムは笑った。「森に入る前から普通じゃなかったぜ、お前」
「ティム。誰が王子を治療してくれるのだ?」
「ああ。このレンドンがやってくれるよ」
「ティム!」
「レンドンは修道士の中でもかなりの使い手だ。安心して任せていいと思う」
ピーターはしばらくレンドンをじっと見つめていたが、やがて歩み寄ると手を取った。
「頼むぞ、レンドン。王子の命はお前の腕に懸かっている」
レンドンは瞳孔を開いたままピーターをしばらく見つめ返していたが、やがて覚悟を決めたかのようにグレンの傍に近寄ると治療を開始した。
「あらかたグリズリーは退治出来たのか?」ティムは辺りを見回しながらピーターに訊く。
「ここに来るまでに何頭か倒したが、まだ残っているかもしれん」
「あ、あと一頭は確実に残っている」
治療を受けていたオルフェンが体を起こした。
「さっきまで近くにいたが、お前達が来る前に姿を消してしまった」
「それじゃあそいつが最後ーー」
「きゃああああっ!」
アルマの悲鳴が森中に響き渡る。彼女の指差す先を見ると目を覆いたくなるような光景がそこにはあった。
そこには二頭のグリズリーがいた。一頭はおそらくオルフェンの言っていた普通のグリズリー。もう一頭はそれよりもさらに巨大な体躯をしており、全身を鮮やかな赤い体毛で覆っていた。赤毛の熊は両手に騎士の生首を下げている。傷だらけのその顔には苦悶の表情が浮かび上がっていた。
「レ、
「何だそのレッドヘルムってのは」
レンドンは震えながら続ける。「グリズリーの王にしてこの森の食物連鎖の頂点。奴によって今までどれだけの近隣の村が滅ぼされてきたか」
「つまり、とんでもなくやべぇ奴だってことか」
「お前達!王子とオルフェンを後方へ運んで避難しろ!」
ピーターは部下達に指示を出すと抜剣した。騎士と修道士が数名残り、ティム達の横で武器を構える。
空から何かが舞い降りてきてオルフェンは思わずまばたきした。
「ゼファー」正体は相棒の鷹だった。ゼファーはオルフェンに顔をすりつけるような仕草をして甘える。「今までどこへ行ってたんだ、お前?」
しかし、ゼファーはすぐに全身を震わせ始めた。「どうした、ゼファー?」問いかけても鷹は答えない。ただじっと、赤毛の熊をそのよく見える眼で凝視し続けている。
まさか、ゼファーはあいつに恐怖を感じてーー?ゼファーは鷹狩りの為に長年訓練を受けてきた勇敢な鳥だ。例え相手が魔物だろうとそうそう怯むことはない。そのゼファーが体裁など構わず怯えている。オルフェンの背中に冷たい汗が流れていった。
レッドヘルムは騎士達の生首を傍らに投げ捨てると四足歩行で突進してきた。虚を突かれた前衛の騎士達の反応が僅かに遅れる。その間に猛スピードで接近してきたレッドヘルムはもう騎士の目と鼻の先だった。
「くっ!」
すっかり動揺した騎士は避けずに真正面からレッドヘルムの顔面に剣を振り下ろす。「馬鹿者!逃げろ!」ピーターの言葉は騎士の耳を通り抜け、レッドヘルムは左の前足を上げると騎士に向かって鋭い爪を振り下ろした。
森の中に騎士の悲痛な叫び声がこだました。怪物の爪はやすやすと騎士の鉄製の兜と鎧を切り裂いて、深い傷を負った騎士は顔を押さえて叫び続けている。
「ジェイスンーー」ピーターが乾いた声でつぶやく。
「くそっ!」
修道士が背後から怪物に向かって光弾を発射した。しかし、無防備な背中に命中したにも関わらず、レッドヘルムに意に介した様子はない。
「何てことーー」
戦慄した表情の修道士に怪物の腕が振り下ろされた。
レッドヘルムの攻撃が命中すると中空に鮮血と肉片が飛び散った。五メートル近くも撥ね飛ばされた修道士の顔面はもはや原型を留めておらず、地面に転がったまま微弱な痙攣を続けていた。
「ロイバン……」ティムの声は消え入りそうに小さかった。
レッドヘルムはこちらを振り向くと血の滴る爪先を舐めた。そして四足のままのしのしとこちらに向かって歩いてくる。
「こっちは我々に任せろ!お前達はもう一頭を退治するんだ!決して王子には近づけるな!」
ピーターは左手をかざして部下に指示を送る。数名の騎士と修道士達がもう一頭のグリズリーの方へ移動していった。
「さて、ここからが正念場だ」ピーターは剣を握り直すと刃を返した。
「ピーターさん、あんたならこんな奴ら、何度も相手にしたことあるんだろ?」
ティムが訊くとピーターは首を振って笑った。
「悪いな。ゴブリンやコボルドぐらいならわけないが、こんな大物にお目にかかったのは初めてだ」
「……来るわ!」
レッドヘルムは無表情のまま、再び地面を蹴って突っ込んできた。
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