第6話 「手すりの高さが分からない建築家」
建築家Kは、AI設計士が全盛の時代に、建築家として活動している。
一昔前は、家を作るとなったら、設計事務所か、工務店、もしくはハウスメーカーに頼むのという3択であった。
地域に密着した工務店に頼めば、安く作ることができるし、何かあったら近所の大工が飛んできてくれる。ハウスメーカーに頼めば、高いけど、安心安全な保障の付きの家に住むことができる。設計事務所は、特別で、その依頼主の要望に最適な建築を作る。
設計事務所の中でも建築家と呼ばれる人に頼むのは特殊な事だ。
建築家は、一番の要望に応えるが、安く作るわけでもなく、便利に作るわけでもない。新しい時代を切り開く「試作品」を、依頼主のお金で作るのが仕事だからだ。
なので、世の中を進化させる最初の一歩は、どの時代も建築家だと言ってよい。
しかし、数十年に1度の奇跡の作品までは、すべて試作品、実験というわけだ…。
彼らは建物を作っているのではなく、社会を変える努力をしているのだ。
…というのは、昔の話。
今は、AI建築士が蹂躙している。
お客様の話を聞き、瞬時に提案。瞬時に見積もりを作り、図面も30秒で完成する。VRゴーグルで、建物の中を歩き、色を替え、間取りを替え、時間経過を体験し、納得の状態になっていく。図面を描くのに2カ月かかる工務店や設計事務所と比較にすらならない。
建物も窓を開けなくても換気ができて、防音、断熱は万全。窓の外の風景は、自由に選べ、雨が降っていても、快晴の風景を眺められる。最近は、冷蔵庫の中身が減ると自動で配送され、食用3Dプリンターを搭載した自動調理器が料理を提供してくれる。正直、人と会わずに何でもできる完璧な家だった。
さらに、AI建築士には給料も賞与も要らない。事務所家賃も、福利厚生も必要ない。多くの住宅を生業にしている建築士が転職せざるを得ない状況に陥った。そんな中、いまだに設計事務所を開いて仕事の集まるKという建築家は希少種といえる。
あるとき、高齢の女性Lから、家の改修の依頼を受けたK。Lは家の近所にできた、窓も扉もない黒い外壁の奇妙な家を見てAI建築士に不審感を抱いた。そして、時代と戦い、希望を叶える建築家というので、Kに依頼をしたのだ。
Lの第一の要望は「人が自然と集まる家」だ。思いついたことが口から出てしまう性格のLの周りには人があまり寄り付かなかったが、最近はさらに顕著にその傾向が続いている。でも、それは時代のせいだと思っている。
Lのもとに建築家Kが打ち合わせにやってきた。
Kはよく話を聞く。Lの若いころの話、友人との思い出、家に対する価値観。
毎回2時間よく話し、よく周囲を一緒に散歩した。
いざ、着工というときになって、高齢の施主Lは、不満を持っていた。時間が掛かったことは良い。バーチャルに体験もできなかったけど、改修だから概ね言っていること想像できる。でも、図面は簡単な平面図とスケッチが数枚であった。
高いお金を払っているんだからね!と言ってやったが、Kは笑顔でうなずくだけだった。
工事の始まったある日、仮住まいに引っ越したLは、工事中の家で打ち合わせがあるとKに呼びだされた。
K「おはようございます。 Lさん いい天気ですね。」
L「おはよう。 今日はなんの打ち合わせだい?」
K「トイレの手すりの高さを決めたくて来ていただきました」
L「え?そんなのいいよ、適当につけておいて」
K「じゃあ、床から30cmくらいですかね。」手すりの現物を床につきそうな位置に腰をかがめて取り付けようとするK。
L「え?何やってんの?そんなのじゃ使えないじゃない!もっと高い位置よ!」
K「じゃあ、天井から30cmくらいですかね?」手すりの現物を背伸びしながら取り付けようとするK。
L「そんな高さ届かないわよ!貸して!そうね、この高さかしら…」
K「ありがとうございます」メジャーでさっと高さを確認するK
L「まったくもう…そんなこともわからないのかしら…」
K「次は、縁側の高さを決めたいのですが…モックアップっていう原寸大の模型を作ったので座ってみてもらえますか?」
L「え!なにそれ、全然だめよ。良く話し相手になってくれているお向かいの人は背が低いからね。ちょっと呼んでくるわ!…まったく…見当違いもいいところね…」
向いの家からやってきた奥さんは小柄な女性だった。
向かいの奥様「そうね、座りやすいのはこれくらいかしら…」
さっとメジャーで数字を確認するK
K「では、キッチンも3Dプリンターで原寸大の模型を作りました。どうでしょうか?」
L「ちょっとまって、あなたは信用できない! お隣の奥様が料理上手なので、来てもらうわ」
K「ありがとうございます!」
次々に周囲の家から人が集まり、あ~でもない、こ~でもないと始まった。
K「本日は、ありがとうございました!この内容を反映し、工事を進めます」
工事中も、施主であるLは、自分が決めきれないと思うと、周囲の人を家に呼んで決めていった。
建物が完成した。
引っ越しを終えて、数週間が経ったよく晴れた日、ようやく引っ越しの片付けもひと段落して、落ち着いた日々がここから始まる。
Lは縁側に座って、この改修を振り返っていた。
L「まったくあの建築家…手すりの高さもわからないなんて、よく仕事が来るもんだわ…」
向かいの奥様「こんにちは、縁側いいわね。そっち行っていい?」
自宅の窓から身を乗り出し、向かいの奥様が、声をかけてきた。
L「来て、来て!ちょうどいい、Kという建築家の不甲斐なさについて話をしてたところなの」
向かいの奥様「あら、やっぱり座りやすいわね~この縁側。そうそう、お菓子持ってきたの!一緒に食べましょう!」
L「奥様に決めていただいてよかったわ。ホントちょうどいい!そうだ、お茶用意しますね。ちょっと待っていて」
お茶の用意をしようと縁側から立とうとしたとき、隣の料理が得意な奥様が窓から声をかける。
隣の奥様「なんか話し声がして…ちょうど、うちの窓から目に入るのよね。その縁側…そっち行っていい?」
L「もちろん!来て、来て!今、お茶にしようと思っていたの」
隣の奥様「そう、じゃあキッチン借りていい?うちのは全自動調理器にしたんだけど、やっぱり自分で作るのが楽しいからね。」
L「もちろん!キッチンの高さや配置を決めてくれたじゃない。使ってみて!」
三人の奥様「ホント、使えない建築家だったわ!私たちがいなければ、この家もどうなったのかわからない!!」
三人の笑顔が縁側に咲くことで、散歩する人も集まってきた。
近所の人達「今日はホント楽しかったわ。自分達が建てた家みたい!また来て良い?」
L「もちろん!大歓迎よ!毎日来ていいわ。それが私の要望だもの!」
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