壱
「……さぁ? 何のことだか、あたし、分かりません」
決定的な場面を押さえられていながら、
何もかもを知っていると強張った表情は物語っているにもかかわらず、金櫻はあくまで『何も知りません』という主張を崩そうとはしない。そうでありながら
「何でこんな酷いことするんですか?
「今更、取り繕ったところで意味なんてないよ」
だがどんな感情を向けられようとも、
「僕、君の顔に見覚えがあるんだ。三、四年前まで、
何も感じないまま、
その瞬間、金櫻の顔からスルリと表情が消えた。
「姿を見かけなくなったから、てっきり処分されたのかと思っていたけど。まさかこんな場所に潜り込んでるなんてね」
「……何の、話です?」
表情を取り繕うことをやめた金櫻は、
そうでありながら語調は先程から一切変わらず、恐怖に震える哀れな娘そのものなのだから大したものだ。
「お前が、
だがその認識に反して、煙が完全に抜けた今、
曖昧な部分は、もちろんある。忘れている部分もあるだろう。
だが
「僕が無事に
──やっぱり、
だが、今回だけは例外だった。
【お前が勝手に隠した、あたしの『秘剣』が見つかったらしい】
あの甘ったるい煙が充満した闇の中で。
煙よりも甘ったるくて、聞くだけで総毛立つような痛みを思い起こさせるあの声が己の耳元で囁いた言葉を、今の
【お前が覚えているかどうかは知らないが。お前自身が、かつてあたしに約したことだ】
お前があの子を越える秘剣になる。だからあの子を見逃してやってくれ。
その約束をお前が果たしたのか、確認をしなければね?
【ツケは利子も揃えて返す。常識だよな?】
その言葉とともに、『
「当初は
『
十年前。満月が深々と月光を注いでいたにもかかわらず、その光を蹴散らすかのように雨が降り注いでいた中。
紅の婚礼衣装を纏っていたのは、
霜天商会の武力の頂点。
三幇主が一人、蓮。
あの日がなければ『リーファ』はただの『花』のままで、『
婚礼衣装を纏う、幽鬼のごとき暗殺者。
その称号は、彼のものになるはずだった。
「……何の話なのか、あたしには分かりかねます」
──
かつての
そんな
【僕が
何人もいた
彼だけが、あの地獄を生き延びてしまった。
【
そんな中で、一番幼かったあの子だけが。
あの子だけが『君も痛いの?』と、小さな手で
あの子はそれを理解した上で、言ってくれた。
『一緒に逃げよう』と。『あんなに痛い場所にいちゃダメだよ』と。
……その温もりだけで、十分だった。
あの子は、誰もあると思っていなかった
あの煙と闇に支配された世界の中で、あの子の傍にいる時だけ、自分は己の胸に彼と同じ温もりがあることを実感できた。
だから今度は、自分の番。
【
──その取り決めを守ってもらえるとは、……もちろん、思っていなかったけども。
あの日、後に『
その時に
だが
──拾われた先が霜天商会じゃなかったら、きっとあの子はとうの昔に
あの時、
その
──でもこの因果も、もうおしまい。
一連の黒幕の頭は金櫻だ。これまで潰してきたネズミ達も一様にそう証言している。
──ここで金櫻を消して、乗り込んでくる
一大
今の
「お前の計画は、ここで
「僕は蓮を殺さない。
だがいくら下がったところでその先にあるのは壁と窓だ。金櫻の身体能力では窓から逃げようと身を翻した瞬間に命が終わる。
「お前を殺して、姻寧に入り込んでいるネズミも全員
低く宣言し、最後の瞬間を与えるために呼吸を測る。
その瞬間、恐怖で引き攣っていたはずである金櫻の口元に、不自然な笑みが浮いた。
「ご存知ですか?
暗殺者としての
その隙間にスルリと挟み込むかのように、金櫻は囁くような声音で言葉を紡いだ。
「蓮
「……どういう、……っ!?」
脈絡のない金櫻の発言の意図が分からず、
だが次の瞬間、
──まさか、そんな……っ!?
金櫻は表情で
表情は、この部屋にいなければ知ることはできない。だが会話の声は、壁を隔てた向こう側からだって聞くことができる。
今の会話を外から音だけ聞いていれば、第三者は金櫻を『被害者』だと判断するだろう。
「あなたに拾えない音も、蓮
「
その瞬間、金櫻の声を掻き消すかのように荒々しく部屋の扉が開かれた。ハッと振り返ればそこには、全身をしとどに濡らした蓮が、肩を上下させながら立っている。
「っ、……!」
その表情だけで、分かってしまった。
──聞かれていた。
心臓が氷塊に置き換えられたかのように、胸から全身が冷えていく。
「蓮
その冷たさは、
「助けてください、蓮
蓮の腕は、金櫻を庇うように金櫻の背中に回る。
それが、蓮の答えの全てを表していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます