第11話

役目が済んで職場に戻り、和家さんから渡された紙を広げる。

それには電話番号らしき数字だけが書いてあった。


「……どう、しよ」


和家さんに会いたい。

彼のおかげで帰国してからも頑張れた感謝を言いたい。

でも会ったら、今度こそ別れがつらくなるという確信があった。

なら、会わないほうがいい。

しかし……。

葛藤している間に、終業時間になっていた。

もう一度、紙を広げてその番号を見る。


……会って、お礼を言う。

これは、お世話になったんだから、義務だ。


自分にそう言い聞かせ、携帯を操作する。

すぐに繋がり、和家さんが出た。

迎えに行くと言われたが、あのリムジンは目立つのでやめてもらった。

彼のいる場所を聞き、そこへ向かう。


「李依」


待ち合わせの場所は和家さんのホテルであるハイシェランドホテルだった。

すぐに彼が私を見つけ、寄ってくる。


「お疲れ。

食事をしながら話そう。

腹、減ってるだろ」


私を連れて彼はエレベーターに乗った。


「帰ってからまともに食べているのか?

ハワイにいたときよりも痩せた気がする」


「そう、ですか……?

きっと気のせいですよ」


笑って答えてみせる。

和家さんは心配そうだが……まさかつわりで食べられないなんて言えない。


和家さんが入ったのは、フレンチの店だった。


「李依との再会に」


「……再会に」


彼がシャンパンのグラスを上げ、私も小さく上げる。

口に運んだが飲むフリをした。


「まさか枕を見に来るだなんて思いませんでした」


「だって李依が激推ししていたからな。

気になるに決まっているだろ?」


おかしそうに和家さんが笑い、カッと頬が熱くなる。


「まあ、枕はついで……というより口実?

送った荷物は住所不明で届かないし、李依の居場所のヒントが勤め先しかなかった」


「うっ」


結局、彼とは連絡先すら交換しなかった。

私の財布を人質に取っていたのでそこから個人情報を抜いたとしても、引っ越しして住所も変わっているし、携帯も前の彼との関わりは全部絶ちたくて番号を変えたので無理だ。


「ここにもいなかったらどうしようと不安だったが、まだ勤めていてよかった」


レンズの向こうから彼が真っ直ぐに私を見つめる。


「それに、もしかして僕は李依に嫌われてしまったんだろうかと……怖かった」


不安そうに揺れる瞳に、胸の奥がぎゅっと締まった。


「……嫌うなんて、そんな。

和家さんには感謝しています」


「よかった、李依に嫌われたわけじゃなくて」


眼鏡の奥で彼の目が泣きだしそうに歪む。

なにか言わなきゃと思ったタイミングで、前菜が出てきた。


「さあ、食べよう。

ここの料理は美味しいんだ」


「そうなんですね」


勧められてナイフとフォークを取る。

冷たい料理なのでにおいは薄いからそこはまだ大丈夫だが、オリーブオイルのかかったそれは食べられる気がしない。

それでもおそるおそる口に運んだものの。


「……うっ。

すみません、ちょっと」


「李依?」


怪訝そうな和家さんには悪いが、席を立ってお手洗いに駆け込む。


「うぇーっ。

やっぱり、ダメか……」


少し前から身体が食べ物を受け付けない。

食べなきゃダメだと無理に食べても吐いてしまう。

妊娠を誰にも話していない今、相談できる人がいなくて困っていた。


「李依……?」


お手洗いを出たら、和家さんが待っていた。


「大丈夫か……?」


傍にあるソファーに私を座らせ、その前で彼が跪く。


「ご心配をおかけして、すみません。

大丈夫ですので」


「大丈夫なわけないだろ、そんな青い顔で」


和家さんの手が心配そうに私の頬に触れ、返す言葉がなくて俯いた。


「すぐに病院へ行こう」


立ち上がった彼が、私を支えるように立たせようとする。

それをやんわりと振り払った。


「病気、ではないので」


「病気じゃないわけが……」


そこまで言って、彼の言葉が途切れる。

なにかに気づいたのか顔を上げ、私を見た彼の目はこれ以上ないほど大きく見開かれていた。


「……もしかして、……妊娠、しているのか」


それには答えられなくて、つい目を逸らしていた。


「そうなんだな」


「違います」


否定したところで、こんな態度ではバレバレだ。

それでも必死に首を横に振る。


「僕の子、だよな」


「違います」


「違わないだろ」


彼は苛ついて、私の手を引っ張り立たせた。


「とりあえず部屋に行こう。

話はそれからだ」


私を軽く支え、彼が歩きだす。

私の肩を抱く手は強く、振り払えない。

仕方なく彼が滞在しているであろうスイートへ連れていかれた。

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