第19話 夜明けの目覚め② 不滅の鎧

平地と自然に囲まれた街『ルミエラ』。その一角に、ひっそりと佇む小さな教会があった。


その一室では、ルカとノエルが夕食の準備を進めていた。


鍋でスープを煮込んでいるノエルに、ルカが後ろから声をかけた。


「なぁ、ノエル」


「なぁに?」


ルカは何かをノエルに切り出そうとするが、躊躇するように言葉を飲み込んだ。


「いや、なんでもない」


「そう」


ルカとノエルは、無言のまま支度を続けている。


やがて、ノエルが鍋をテーブルに運ぶと、二人は食卓に着いた。


会話のない空気に耐えかねたルカは、ノエルに他愛無い話を始めた。


「ノエルは、あのあとなにしてたんだ?」


「ん? 診療所のお手伝いだよ。怪我人も多いからね」


「そっか。そうだな」


「ルカは?」


「俺は……」


ルカは、森の中でのスズとの話を思い出していた。


「わかってるよ、ルカ」


「え……?」


「ルカとスズが、ついに男女の関係に……!」


「おい」


「あぁ……ルカが巣立って行ってしまうのは複雑な気持ちだよぉ……」


「そんなわけねぇだろ」


ノエルの軽口に、ルカが突っ込む。


「はは。冗談だよ。それで? なにか言っておきたいことがあるんでしょ?」


「んんん…………。実はな……」


ルカはノエルに話した。スズが親衛騎士団の出自だったこと。ルドガーがフォルスラン家の正統後継者ではないこと。フォルスラン家の正統な血筋の人間は、城に幽閉されていること。


「今夜、城に行ってくる」


「マナが、ほとんどない身体で?」


「戦闘はしない。奴の悪事のネタを探してくるだけだ」


「そっか。私はついていかなくて平気?」


「今回は隠れながらだから平気だ」


「ん、わかった」


ノエルの態度は、意外にも素っ気ないものだった。止められたり、同行を強く申し出てくるかとルカは予想していたが、杞憂に終わったようだ。


そうしている間に二人は食事を終え、食器を片づけた。


テーブルを拭き終えたノエルは体をほぐすように、大きく伸びをしている。そして、


「じゃあ私も、私にしかできないことをしてくるかな」


と、何やら外出の支度を始めた。


「お、おい! どこに」


「大丈夫だよ、ルカ。もし、ルカに何かあったときは――――」


「私がきっと迎えに行くからね」


ノエルはルカに微笑むと、外へ出て行ってしまった。


しばらくの間、ルカは呆けていたが、約束の時までに支度を進めておこうと自室へ向かった。







フォルスラン城の裏庭には、既にスズが到着して身を潜めていた。頭上では、少しだけ欠けた月が、頂を目指して昇っている。


「まだ少し早かったなぁ……約束したのは、月が昇りきった時。もう少し先かぁ」


スズが夜空を見上げながら、小さな声で呟く。


「まぁ、あたしは城に住んでるからギリギリでも良かったんだけどね……普段は幽閉されてるけど、姿を消せるからこうやって抜け出せるし」


スズは独り言を言いながら、約束の時を待った。ふと、無意識に手をさすった時、自分が指輪をはめていたことを思い出す。


「そういえば、ルカ君に返してもらったんだ。この指輪」


銀色の指輪には青く澄んだ宝石がついているが、ルカやノエルの時のように光ったりはしない。


「はぁ……あたしの時はやっぱり反応しないなぁ……」


「あの襲撃の時、ルカ君はノエルちゃんのとこにたどり着いたんだよねぇ。ってことはルカ君もノエルちゃんが運命の人だったんだなぁ」


「運命的には両想いってことかぁ。二人の間に好意があるかはわかんないけど。でもお似合いだもんなぁ」


しばらくスズは指輪を静かに眺めた。


「今夜一緒にルカ君と城を探索して絆が深まったりして、そしたら光ったりしないかなぁ」


スズは指輪の宝石を指で撫でた。


「まぁ、そんなうまいこといかないか。今はルカ君を待とう。今日は大事な作戦だ」


頭上の月は、まだ頂には届いていない。


「もう少し時間ありそうだな。城の内部は大体わかるから、侵入経路をおさらいしておこうかな」


その時、突然指輪が青く光り始めた。スズは急なことで困惑しながら、指輪をただ眺めていた。


「え? なんで? …………はっ!? もしかしてルカ君に反応してるんじゃ!?」


ニヤついた顔でスズは光の射す方へ視線を向けた。しかし、スズはその先を見て顔をしかめる。


「なんで城の方へ!? 中にはまだルカ君は侵入していないはず……」


すると、スズの頭の中にはもう一つの答えにたどり着いた。


「ルカ君じゃない……? だとしたら何を指してるの? この光は……」


もう一度、スズは夜空を見上げた。まだ月が昇りきるまで余裕がありそうだった。


「待ち合わせに遅れてくる女って思われたくないけど……ちょっと待っててね、ルカ君」


スズは、意を決して光の射す方へ走っていった。薄暗い城の中へ。








同時刻、ルミエラの北門から街道へ渡ろうとする馬車があった。


「随分遅くなってしまいましたねぇ。色々と手配もありましたし、これから王都に向かわなくてはならないなんて骨が折れますよぉ」


ミストの馬車は、ちょうど王都へ向かって出発するところだった。


「ん……? おや。こんな夜更けに可愛らしいお客様ですねぇ」


暗闇の中から現れたのはノエルだった。彼女は、ゆっくりとミストに近づいてくる。


「街の復興の件でしょうか? それでしたら既に手配済みでございますよぉ」


「それとも、私が菓子屋でプロデュースした新作スイーツの話でしょうか!? ふふふ、スイーツには無限の可能性を感じますねぇ」


「それとも――――」


ノエルは馬車に乗ったミストの前で立ち止まる。そしてミストは、そんなノエルを見下ろすように眺めていた。


「私について、でしょうか?」


仮面の穴が紫色に怪しく光っている。ミストの周囲を強大な覇気が渦を巻いていた。


「ふふふ。ノエル殿、久しぶりに見ましたよぉ。貴女のそんな顔」


ノエルは鋭い目でミストを見据えている。その灰色の瞳は、まるで凍りつくように冷たい。


「まるで、『女神の刃』として魔族を蹂躙していた、あの頃の目ですねぇ。いやはや懐かしい」


「なんでそれを?」


「腹を探っているのは貴女だけじゃないってことですよぉ」


「そう」


二人の間に緊張が漂い、静寂が続いた。その沈黙を断ち切ったのは、ノエルだった。


「魔族のお前が、なんでここまで人間の生活に関与するの?」


尋ねられたミストの覇気が一層強まるのを、ノエルは全身で感じた。


「そうですかぁ。そこまでは既に掴んだのですねぇ」


「その先もね」


「だったら、どうするんです?」


「戦いに来たんじゃないよ」


ミストの威圧感に一切屈することなく、ノエルは表情を変えずに話し続けた。


「話をしにきたんだ」








フォルスラン城の裏庭、月が頂に昇る時。


「もうすぐ約束の時間だな。ってか、裏庭ってどこらへんだよ。ちゃんと聞いておくんだったな」


ルミエラの街は外壁で囲まれているが、城もまた城壁で囲まれている。ルカは、城壁の内側の構造が分からず、裏庭にたどり着けずにいた。


「しょうがねぇな。どっか高いところから城内を見下ろせないかな」


しかし、フォルスラン城は堅牢な城だ。そのため、城壁の外から城内を見渡せるような場所などあるはずもなかった。


「弱ったな……裏門には兵がいるし、壁を登れなくもねぇけど……さすがに音で気づかれるしな……」


建物の陰から裏門へ目をやると、兵士が二人警備についていた。強行突破は騒ぎになってスズを危険にさらす。かといってこのままスズ一人にするのも危険だ。


だが、その時、城内から兵士の大声が聞こえてきた。


「ん? なにかの騒ぎか?」


そして、それは嫌な予感に変わっていく。


「まさか……スズの奴が先走って見つかったのか……?」


ルカは額に手を当て、わずかに眉をひそめる。そして、ため息をつくと、気を取り直して門へ近づいた。


やはり、今の騒ぎで警備の兵士も気を取られていた。兵士が騒ぎの様子を伺おうと、若干持ち場を離れた隙を見計らって、ルカは素早く門から城内へ侵入した。


「城は堅牢でも、兵は間抜けだな……けど、助かった。騒ぎの方へ向かうか」


やがて、兵士と女性が争う声が城内の敷地に響き渡った。なにか揉めてるようだ。そして、女性の声はスズのものだとルカは確信した。


「もう捕まっちまったのか……これって罪は重いんじゃ……ん? でもあいつは城の人間だからいいのか?」


スズの複雑な事情に頭を悩ませながら、騒ぎの場所までたどり着いた。しかし、その光景は予想に反して、血の気が引くような事態だった。


スズは首枷によって捕縛され、地面に伏していた。鉄の首枷が強く彼女の喉元を締め上げている。そして、その先にはあの男が立っていた。


「ルドガー・ダールケイン……」


ルドガーは、兵士を多数引き連れながら、捕縛したスズを踏みつけるように立っていた。


「その家名で我を呼ぶということは……ランスヴィエールの小娘の入れ知恵か……」


首枷に繋がれた鎖が無情に引っ張られる。スズは、苦しそうにもがきながらも必死に抵抗をしていた。


「ふん。小娘が城を抜け出して何をしようとも、何も変わらない。むしろ、哀れな様を見て楽しんでおったのだが……」


ルドガーは冷たくスズを見下ろすと、踏みつけた足に体重をゆっくり乗せていく。


「最近は鬱陶しくなってきた。放し飼いを楽しむのも、潮時だな」


ルドガーの冷たい視線は、スズからルカに移る。


「貴様の影響か。教会に住む小僧」


貴族相手だ。剣を抜くのはまずい。ルカは、せめて奇襲だけは警戒するように神経を尖らせた。


「貴様がそんな優秀な剣士に見えないのだがなぁ。あの魔物も、賊も、こいつがやったとは思えん」


ルドガーは顎を指で撫でながら、品定めをするようにルカを覗き込んできた。


「……ふむ。貴族には簡単に剣を向けてこないか……もっと愚鈍な輩だと思っていたんだがなぁ」


「死罪になるからな」


「ふ……。では面白いことを教えてやろう、小僧」


ルドガーは首枷に繋がれた鎖を強く握ると、口元に嫌な笑みを浮かべた。


「この小娘はな、我に剣を向けたんだ」


そう言うと、足元のスズを見下すように話を続ける。


「本来なら、小僧の言う通り死罪だ。だが、こいつは親衛騎士団の血筋」


「そこで、もっと面白いことを思いついたんだ。小僧分かるか?」


ルドガーは、ルカに視線を戻すと歪んだ顔で楽しそうに言った。


「こいつを他の貴族に奴隷として売り払うことにした」


ルカは目を見開いてルドガーを睨んだ。必死に感情を抑えても、手が徐々に剣へと伸びていく。


「ル……ルカ。だめだ……。こいつの挑発に乗らないで……」


「一応は由緒正しい血筋だ。きっと物好きどもが高値で買ってくれるに違いないぞ。なぁ、小僧」


ルカの指先が剣に触れる。


「奴隷は買われるとき、皆同じ顔をするんだ」


「自分の尊厳や積み重ねてきたものが全て崩れ落ちて、絶望し、諦めた顔をな」


「この小娘のその瞬間が楽しみで仕方な――」


ルカの剣が、ルドガーを目掛けて疾走した。


「ルドガァァァ!!!」


しかし、ルカの目には、怪しい笑みを浮かべたままのルドガーが映る。この一瞬で、ルカは何かがおかしいと感じた。


「小僧ォ。我に敵意の剣を向けたな!!! 馬鹿者がァ!!」


ルドガーが叫ぶと同時に、ルカの頭を目掛けて何かが飛んでくるのがわかった。


あのまま、突進していたら死んでいただろう。一瞬の違和感がルカを救ったのだ。寸前のところで、身を反らして、なんとか避けることができた。


飛んできたかのように思えたものは、よく見ると振り下ろされた刃だった。そして、その刃を握る巨大な影が、ルカの前に立ちはだかった。


ルカの目の前で仁王立ちしていたのは、ボロボロの鎧だった。人ではなく、鎧そのものだ。この類の魔物を見るのは初めてだったが、特徴からしておそらくは――――。


「リビングアーマーか……。しかも、誰かの魂が呪縛で繋がれてやがる……」


ルカはふと、あることに気が付いた。リビングアーマーに向かって、どこからか青い光が射している。そういえば、この鎧は特徴的な剣を両手に握っていた。長く鋭い片刃の剣。


「もう……やめてよ……」


スズの声がかすかに響いた。


「じいちゃん……」

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