最終章 私は一生、あなたのもの

第24話

「御津川様、どうぞ」


受付を済ませたら、そのままスムーズに診察室へ案内された。

そもそも待合室にはよくある大病院のように、ひしめきあって待っている患者すらいない。


「どうぞ」


「しつれいしまーす……」


勧められて椅子に座る。

まさか、診察室まで特別仕様とかないよね? なんて思っていただけに、普通で返ってほっとした。


「それで、今日は……」


「ええっと……」


今日、私がヒルズにある病院に来たのには理由がある。

いや、自分でやろうと思ったらできることなのだけれど、……やっぱり、怖くて。

なんだかんだいってあれは、ちょっとトラウマになってるんじゃない? とか御津川氏を恨んでしまった。


「ありがとう、ございましたー」


処置が終わり、病院をあとにする。


「気づいて、くれるかなー」


無意識に耳を触りそうになるが、我慢、我慢。

少しだけ期待に胸を膨らませ、レジデンスへ帰った。


「ただいま、李亜」


帰ってきた御津川氏の唇が私の唇に触れる。


「おかえりなさい」


「今日の晩メシはなんだ?

もう腹、ペコペコだ」


笑って彼が、食卓に着く。

私もキッチンに立ってご飯をついだ。


夏原社長と再会して一週間。

あれから特になにもなく、過ごしている。


……ううん、嘘。


私は夏原社長に、すぐにでも復帰して働きたい旨、連絡を入れていた。

彼も喜んでくれ、近いうちに一度会って、打ち合わせをすることになっている。

でも、その前にやっておかねばならないことがあるのだ。


「やっぱり、李亜のメシは旨いな」


本当に美味しそうに、にこにこと笑いながら御津川氏はごはんを食べている。

あまりに嬉しそうだからいつも、もっと喜ばせたいなって頑張っちゃうんだよね。


食後はソファーで並んで、一緒にコーヒーを飲む。


「……これ」


そっと彼の目の前に、準備していた小箱を滑らせる。


「李亜から俺にプレゼント!?

マジか!?

ありがとう!」


「ぐえっ」


背骨の破壊も辞さない勢いで抱きつかれ、思わず変な声が漏れた。


「あ、すまん……。

開けて、いいか」


人差し指で少し赤くなった頬をぽりぽりと掻きながら、彼は箱に手をかけた。


「どうぞ」


なんだか見ている私まで恥ずかしくなって、つい視線を外してしまう。


「……!」


箱を開けた彼は、中身と私の間に視線を何往復かさせた。


「そろそろ、セカンドピアスに変えられそうだって言っていたので……」


私の処女を奪って痛い思いをさせた代わり、とか言って私にピアスを開けさせてからもう、ひと月半ほどが過ぎようとしている。

本当はもう少しだけ早く渡せたのだが、思いついたことがあってそれから一週間ほど伸びた。


「ありがとう、李亜!

マジで嬉しい!!」


「えっ、ちょっ!」


再び抱きついてきた彼が、熱烈に顔中に口付けの雨を降らす。

苦笑いでそれを受けながら、まんざらでもなかった。


「どうだ?」


さっそく、付け替えた彼が私に耳を見せてくる。

シルバーのサークルにブリリアントカットのダイヤが埋め込まれた小粒のピアスは、控えめに彼の耳で光っていてよく似合っていた。


「似合ってます」


「本当か?

鏡、鏡」


大慌てで鏡を見にいった彼にはもう、笑ってしまう。


「ありがとう、李亜。

こんなに嬉しいことはない」


戻ってきた彼からまた、むちゅーと思いっきりキスされた。

それはいい、それはいいがもうひとつ、気づいてほしいことがあるのだ。


「喜んでもらえたならよかったです」


さりげなく耳に髪をかける。

視線を、そこに向けるように。


「……ん?」


ようやく気づいたのか、彼の指先が私の耳たぶに触れた。


「これ、どうしたんだ……?」


「御津川さんとお揃い、……です」


こんなことを言うのは顔が熱を持っていく。

彼にピアスをプレゼントしようと買いに行き、考えたのだ。


……もし、私がお揃いのピアスをしたらどう思うだろう、って。


私はファーストピアスだから全く同じものにはできないが、それでも似たものを作ってもらった。

役目を終えたあと、ダイヤは再利用して彼と同じものを再オーダーできることも確認済みだ。


「李亜ー!」


「ぐえっ」


一瞬、背骨がごきっといった気がしないでもない。


「可愛いな、ほんとに李亜は可愛いな。

なにが欲しい?

なんでも欲しいものを買ってやるぞ?

着物か?

宝石か?

あ、島を買って李亜島と名付け、別荘でも建てるか!」


はっはっはーっ、なんて御津川氏は笑っているけれど。

最初のふたつはわかる。

が、最後のがちょっと理解できない。

しかし、ここは華麗にスルーしておく。

そんなことを気にしていたらセレブ妻は務まらないのだと、もう学習した。


「なにも買ってくれなくていいので。

お願いをひとつ、だけ」


そのために、このプレゼントを計画した。

これだけ上機嫌だったらだ丈夫かな?


「なんだ?」


私の肩を抱き、指先でくるくると髪の毛を弄びながら、彼はちゅっと私の額に口付けを落とした。


「働きに出てもいいでしょうか……?」


おそるおそる、彼の顔をうかがう。

けれど彼はなにも言わない。


「……ダメだ」


しばらくして彼がようやく、しかも興味がなさそうに言う。


「なんで……!」


反対されるのなんて織り込み済み、しつこく食い下がった。


「別に、スーパーのレジ打ちとかじゃないから、御津川さんの評価を落とすものじゃないし!」


「そんなことは問題じゃない」


「夏原社長が戻ってこい、って。

私は、私の可能性を試したい!」


「なおさらダメだな」


無表情に彼が立ち上がる。


「家のことを心配しているなら、いままでどおりちゃんと両立させるし!」


「そんなの、どうでもいい。

いままでだって別に、しなくてもかまわなかった」


私を見下ろす、眼鏡の奥の瞳はガラス玉みたいでなんの感情も読み取れない。


「なら、なんでダメなの!?

なんでも好きにしていいって言ったじゃない!」


「なんでも、に、これは入ってない。

働くことも、今後、就職活動をすることも許さん」


私をひとり残し、彼はリビングを出ていった。


「なんで……」


わかっていたことではあるけれど、それでも凹んだ。

あの人はいったい、私をどうしたいんだろう?


「もう、わかんないよ……」


働いてお金を稼ぎ、七百万を返す。

それが、私の目標だった。

FoSに戻れるんなら、生活費の一切を御津川氏に負担してもらっているいま、一年でそれくらい貯めることは容易い。

貯めて、返して、対等になって、……好きだと伝える。

でも、その野望は無残にも散ってしまった。


「もういい、一生、好きだなんて言ってあげない」


膝を抱えてソファーの上で丸くなれば、弱音ばかりが漏れてくる。


「知らない、知らない」


無意識に耳を触って鈍い痛みが襲ってきた。

確かに少しでも希望を通しやすくする目的もあったが、ただ単純に彼とお揃いにして喜んでもらいたかった。

私の口にできない、気持ちを伝えたかった。

なのになんで、こんな喧嘩みたいになっているんだろう。


その夜、御津川氏は別の部屋で寝たみたいで、ベッドにすら来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る