第34話「長兄と次兄」
「急になにを言い出すかと思えば」
「ここじゃダメだ。場所を変えよう」
フレデリクが一蹴しようとしたところで、ラディカはフレデリクの腕をつかんでずかずかと王城の外へと歩きはじめた。
「お、おい」
フレデリクは引っ張られまいと体に力を入れたが、ラディカはそんな抵抗ものともしない。
「お前……」
「兄貴のことだから知ってるだろ。オレがどういう組織に所属しているか」
ラディカは自分が竜影機関に属していることを家族に明かしていない。
しかしこの自分の兄が、その事実をどこかから仕入れているだろうことはなんとなく予想していた。
ラディカはこの兄の実力を誰よりも信じている。
いつだって兄と比べられるのは自分で、いつだって自分自身で目標として来たのがこの長兄だったのだ。
「オレは、竜の影だ」
「……」
それ以上をラディカは言わなかった。
◆◆◆
やがて二人は王城を出て、中央通りに面する人気の少ない横道に入る。
周りに人がいないことを確認して、ようやくラディカはフレデリクの腕を
「わけくらい聞かせてくれるんだろうな」
フレデリクはつかまれていた腕を振ってわざとらしく痛がってみせる。
しかしその目は真面目そのものだった。
「つい先日、おれたち竜の影はある貴族の家から暗号文書を手に入れた」
「暗号文書……」
フレデリクはその単語にきなくささを覚える。
「暗号文はヨルンガルドのものだった。内容はある暗殺計画の概容についてだ」
「暗殺計画だと?」
フレデリクがわずかに声を大きくして言うと、ラディカは口元に人差し指を当てる。
「……悪い。それで、暗殺の対象は?」
「ドラセリア王。そしてその継承予定者であるセルマ王女殿下だ」
「ばかな……」
そう言いつつ、フレデリクの頭は今がまさに王家暗殺の好機にあることを理解していた。
もし自分が暗殺を目論む側だったとしたら。
「たしかに……ドラセリア王族が無防備になるのはドラゴンレースをおいてほかにない」
無論そんなことはドラセリア陣営も承知である。
王の近辺には執事や侍女ですら容易に立ち入れない厳戒態勢が
ドラゴンレースのゴールを見極める王は城の最上階のバルコニー。
誰にも見つからず城壁を登るなどもってのほかで、そのバルコニーにたどりつくのは熟練の暗殺者でも難しいだろう。
「レース参加者だ」
「……だろうな」
ラディカの言葉にフレデリクはうなずく。
「……また一つ、このレースで優勝しなければならない理由が増えた」
王は次代のドラグーンの長を見極めたあと、安全のためにすぐに城の中へ戻る。
つまり、最初にゴールテープを切った者だけが、王に近づきうる。
「……ふう」
急に話が大きくなった。フレデリクは思わずため息を吐いた。
「だが、それならばなぜ私に棄権しろなどという、ラディカ」
唯一そこが
もしそれが本当であるなら、むしろ自分は少しでも暗殺者を王に近づけさせないためにレースに参加すべきだ。
「違うんだ、兄貴」
するとラディカはなにかをこらえるように一度言葉を切って、しかし最後には我慢しきれなかったとばかりにフレデリクの両肩をつかんでこう言った。
「暗殺の対象は王だけじゃないんだ」
弟の目の中にすさまじい葛藤が渦巻いていたのをフレデリクは見る。
「兄貴、あんたも暗殺の対象者なんだよ……」
◆◆◆
ラディカ・レイデュラントにとって家族とは命をかけて守る存在だった。
かつて自分の弟であるミアハが兄妹を守ってそのすべてを失ったとき。
自分はなにもできずにただ呆然としていた。
あの日のことを今でも夢に見る。
「おれは、兄貴に死んでほしくない」
もう家族に悲しいことが起こるのは嫌だった。
あの日なにもできなかった自分を、今でも責めている。
――もっとオレに力があれば。
あの日からラディカは人知れず厳しい鍛練に身を
もともとの才気もあって人よりもずいぶんたくましくなった。
それでも足りない。
だからラディカは自分を死地へと追い込む。
「竜の影としちゃ、失格だけどさ」
ラディカは自分が竜の影に徹しきれないことも知っていた。
国と家族。
無論どちらも守りたい。
だがもし国と家族を天秤にかけなければならない状況がやってきたら――
「お前……」
「みなまで言わなくていいよ、兄貴。オレは自分がどれだけ危ない橋を渡っているかわかってる」
まだ明確な命令は出ていない。
しかしもし上層部から『フレデリク・レイデュラントを盾に使え』などという命令が出たら、今のこの行動は命令違反に値する。
「上から対応策が提示されるのも時間の問題だ。いずれにしろオレは、場合によっちゃ国家を裏切った罪で死ぬことになる」
そういう魔術が体に仕込まれている。
力を得たいラディカにとって竜影機関は希望であると同時にそれ自体『死地』でもあった。
「それでもオレは、やっぱり家族を取る。オレにとって兄貴やミアハ、それにルナフレアは、もう絶対に失いたくない大事なものなんだ」
ラディカの目には苛烈な意志の光があった。
この男はたとえどんな拷問を受けようとも、家族だけは裏切らないだろう。
それがフレデリクにもわかったし、だからこそフレデリクは胸が締め付けられる思いだった。
「……ラディカ、お前の言いたいことはわかった」
「っ、それなら」
「だがダメだ。私がこのレースを棄権するわけにはいかない」
フレデリクは自分の肩に乗っていたラディカの肩を優しく降ろして、大きく息をついてから言った。
「ラディカ、もう私はレイデュラント公爵なのだ。ドラセリア王国の――『公爵』なんだよ」
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