第10話 カレー
どうしたらこのような物が出来上がるのか、不思議でたまらない。
そんな真っ黒な固形物が皿の上にちょん、とのっている。
そして、それを真っ青な表情で見つめる花乃。
那津が悲壮漂う表情で「料理は俺がやる」と言ったのは正しい判断だったようだ。花乃は自分でも驚くほど壊滅的な料理の腕だった。
ーー何故だ、私。一人暮らししてきただろう?何故できない。
その問いに答えられるものはいない。
ーーでも食べたら、実は、何て……。
花乃は力なく皿の上のものを一口食べてみた。
この世のものとは思えなかった。
ーーカレーどころか、食べ物じゃない。煤食べてるよ私。
悲しいが、黒い物体はそのままゴミ箱へと捨てられたのだった。
そして、花乃はスマホを手に取って、電話をかけた。
「はい。窪内です。」
「窪内さん……助けてください。」
「え!どうしたんですか!先輩!」
花乃が電話をかけたのは窪内だった。
窪内は自分で毎日お弁当を作ってきており、料理が好きだと、何度かお菓子をお裾分けしてもらった事だってあるのだ。
「料理が……カレーが……。」
「え。カレーですか?」
「カレーが作れません!教えて下さい。」
花乃は少し涙声でそう叫んだ。
あまりの悲壮感漂う訴えに、窪内は電話越しにもわかるほど慌てていた。
そして花乃の優しい後輩は、「すぐに行きますから」と言ってくれた。天の助けにも思える後輩の好意に、花乃は心底から感謝したのだった。
それから数十分後。
窪内は本当にすぐに来てくれた。
「お邪魔します。」
「窪内先生!今日はありがとうございます!」
花乃は深々と頭を下げてお礼を言った。嫌な表情を見せず、笑顔でやって来てくれた後輩には感謝するしかなかった。
「先生なんて、止めてくださいよ。」
窪内は顔を赤くして首を左右に振った。
「どうぞお上がり下さい。」
「あ。どうも。」
そして、そのまま窪内は台所へと向かった。緊張しているのか、少しキョロキョロしている。
「窪内さん、すごい荷物だね。この辺に置いていいよ。」
そう言って花乃はソファの上を指さした。しかし、窪内はにこっと笑った。
「とりあえず、カレーの材料、足りなかったらいけないと思って買ってきました。」
ーーなんて仕事のできる子!
花乃は涙が出るかと思った。
確かに花乃の料理の腕では材料をどれだけ無駄にするか分からない。
「ありがとうございます。」
花乃は窪内に頭が上がらない。再び深々と頭を下げてお礼を言うのだった。
「いえいえ。花乃先輩にはいつもお世話になってますから。むしろようやく役に立てて嬉しいです。」
そう言って笑う窪内の笑顔は、本当に眩しかった。
「じゃあ、早速やりましょう!花乃先輩。」
「はい!よろしくお願いします!窪内先生!」
「じゃあまずは材料を切りましょう。玉ねぎと、にんじんと、お肉と、あとじゃがいもですね。」
「はい!わかりました!」
窪内に言われるがまま、皮を剥き、食べやすいサイズに切っていく。
「……。」
「……。」
切り終わった食材を黙ったまま2人で見つめる。
花乃は皮を剥いて切っただけ。
たったそれだけである。
なのに何故だろう。
どこか遠い所を旅して来たかのようにボロボロでくずくずになった野菜の欠けらが山積みになっているのだ。
「えっと、食べやすそうですね。人参が嫌いな子どもでも食べられそうなサイズっていうか……。」
「ごめんなさい!」
「いえ。あの、煮込んでしまえば形の良し悪しはあまり気になりませんから。」
ちょっと小さすぎるのでもしかしたら煮込んでいくうちに消えてしまうかもしれない、と窪内は思ったが、深く考えるのをやめて、次の行程へと進めた。
「まず玉ねぎから炒めましょう。」
油を引いて、あたためた鍋の中に小さな玉ねぎを入れて炒めていく。
飴色になった玉ねぎを見て、窪内はうんうんと頷く。小さいだけあって、火のとおりも速い。そして、人参、肉、じゃがいも、と順番に具材を入れていく。
「うん。いいですね。それじゃあ水を入れて一煮立ちさせます。」
「はい!」
「……ふふ。」
「どうしたの、窪内さん。」
「いえ。仕事ではいつとテキパキしたカッコいい花乃先輩が実は料理苦手なんて、かわいい一面が知れて嬉しいです。」
「自分では料理できるつもりだったんだけど。」
「いつもは旦那さんが作るんですか?」
「そうなの。作らせてくれなくてね。あ!きっとそのせいでやり方を忘れちゃったんだ!そうに決まってる!」
「う……う〜ん……。そう……なのかもですね。」
「でしょう!」
「あ。花乃先輩、そろそろルーを入れましょう。」
ぐつぐつと音を立て始めた鍋を見て、窪内はそう指示した。花乃は言われるがまま、窪内が買ってきたルーを入れる。どれだけ入れればいいのか分からず、とりあえず一袋全部入れようとして、窪内から優しく止められた。
そして窪内の言う通り、一欠片ずつ溶かしていって、ちょうどよくなるまで様子を見ていった。
そんな真剣な花乃の様子を見て、窪内は羨ましそうに呟いた。
「本当に、旦那さんと仲良しですね。」
その言葉に、花乃はくすりと笑った。
「一応まだ新婚だし。幼馴染みだから喧嘩しても仲直りのやり方も知ってるしね。」
「いいなあ……。私、あまり男運なくて。結婚、はしたいんですけど。」
「何かあったの?」
窪内の少し寂しそうな雰囲気に、花乃は恐る恐る尋ねてみた。前々から男性が苦手そうな様子を見せていた窪内に、何かあったのかも、とは感じていたのだ。
「実は大学の頃ストーカーされていまして、それがトラウマで男性が怖くて。恋愛に積極的になれないんですよね。でも私、地元が田舎なので、ちょっと考え方が古くて、周りは結婚結婚て言ってくるし。」
「そっか。」
「仕事は忙しいし。いい人がいたら、なんて言ってたらきっといつの間にか婚期を逃すと思うんです。焦ってもしょうがない、て思っても、やっぱり焦るし。でもそれって結婚に囚われてるみたいで自分が嫌になってくるし。」
ポロポロと溢れる窪内の言葉を、花乃は一つも漏らさぬように静かに聞いていた。
カレーのぐつぐつと煮込む音だけが、2人の間に流れている。
「結婚したくないわけじゃないんですよ。でも焦って見つけた結婚相手って、私は正しい選択だと言えるのかなって。そう思うと結婚に積極的にもなれないし。」
頭の中ぐちゃぐちゃ。
もう嫌だ。
でもそんな事を考える自分が一番気に食わない。
そんな窪内の気持ちがひしひしと伝わってくる。
ーーわかるよ、窪内さん。
「窪内さん。私ね、この結婚が正しいなんて思ってないよ。いつ離婚してもおかしくないし。」
これは事実だ。
なんたって旦那様には好きな人がいるんだから。
「焦ってもしょうがないって思っても焦っちゃうよね。じゃあ今の自分が結婚したいのかって聞かれたら首を傾げるよね。でもそうやってたら婚期を逃しちゃうし。」
花乃はぐるぐるとカレーをかき混ぜながら、話を進める。
花乃は、窪内が思うほどできた人間ではない。
だからこそ、窪内の悩みにだって共感できる。
「私も焦ったよ。焦ったから、結婚しちゃったの。だからね、この結婚はみんなが想像するような幸せな正しい結婚じゃないの。」
窪内は目を丸くした。
口を開いて何かを言いかけて、そして何も言わなかった。
そんな窪内に、花乃は苦しそうな笑顔を見せた。
「結婚するのが当然みたいな周囲のイメージって、重たいよねえ。」
「花乃先輩……。」
「ごめんね。私、恋愛経験ほんとなくて、窪内さんの悩みに答え、出せないよ。」
「いいえ。憧れの花乃先輩も同じ悩みを持ってたんだ、て思ったらなんか落ち着きました。」
そうだ。
このジレンマに答えはない。
自分で模索して、悩んで、そして道を見つけるしかないのだ。
窪内も、そして花乃も。
2人はくすくすと笑いあった。
ーーありがとう、窪内さん。
ふわりといい香りが漂って来た。
カレーは上手に出来上がったみたい。
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