第32話:「生きる意味とは」

 作戦会議後の夕方、軽い依頼をこなして帰還すると、ハンターたちがざわざわと何事かを話し合っていた。

 断片的な会話の内容から推察するに、全員がディアロフト大森林のバケモノの話題でもちきりのようだ。


「……とんでもない事態になっちまったな」

「まさかギルドが大体的に警告を出すとは、余程のことなんだろうさ」

「被害が近隣にまで及ばなきゃいいが……」


 口々に不安を語るハンターたちを見ながら、イザベラの取った迅速な行動に感心していると、後ろからかかる声が一つ。


「あれ、ヴァニさん?」


 振り返れば、そこにいたのはノエルだった。

 昨日の別れ際が微妙な感じになってしまったので、少し気まずいな。

 

 俺はそんな内心を悟られない程度に軽く息を吐いて気持ちを切り替え、何もなかったかのように話しかける。


「よう、ノエル。昨日ぶりだな。あれから依頼は無事に受けられたか?」

「はい、なんとか。ステインラビット数匹の討伐だったので、私一人でもなんとかこなせました。丁度今帰ってきたんです」


 しかしそう言うノエルの姿はあちこちがボロボロで、切り傷や擦り傷が多く見受けられる。折角の綺麗な白い肌も土で汚れていた。苦戦したのは間違いないだろう。

 

 ステインラビットといえば帝都の近隣にあるメーシル山林に生息する低級の魔物だが、やはり駆け出しの魔法師がソロで戦うには少し分が悪い相手か。


 それでも、その傷はノエルの努力の証だ。


「よくやったな。だが、怪我してるじゃねえか。ヤツらの牙には病原菌があったりするし、薬を買うか医師を当たった方がいいと思うぞ」

「そうですね。報酬金がほとんど帳消しになってしまいますが、活動できなくなったら本末転倒ですから」


 そう言って苦笑するノエルを見て、俺の心は再び揺れ動いた。

 

──いや、よくないよな。変に肩入れをしようとするのは。

 

 だが、自分でもどうしてか完全には理解できていないが、やっぱり俺にはどうしてもこの少女を放っておくことができそうになかった。


「…………ちょっと待ってな」


 俺は背負い袋から中に小瓶が何本も詰まった小袋を取り出し、ノエルに手渡す。


「えっと、ヴァニさん。これは……?」

「感染症対策の薬液と、傷の治りを促進する蓋傷薬がいしょうやくだ。特に前者は、並の病原菌程度なら摂取しただけで簡単に抗菌できる。飲んどけ」

「ええっ!? いや、でもこれって相当お高いんじゃ!? 私、お返しできるものなんて何も持ってませんって!」


 ノエルは両手を前に突き出して固辞するが、俺はそれに構わず押し付ける。


「先輩として……なんて言うとおこがましいな。前も言ったが、俺はノエルを尊敬してる。それに、頑張ってる奴を応援するのは当然のことだからさ。だから遠慮なく受け取ってくれ。予備も入ってるから、怪我を負ったら遠慮せずにすぐに使うようにしとけよ」

「う……ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」


 ノエルは俺に退く意思がないのを悟ったのかようやく小袋を受け取ると、早速二種類の瓶を取り出して蓋を開け、中身を一息に飲み干した。


「わ、凄い味ですね……」

「ははっ、良薬口に苦しってやつだ」


 口元を抑えてなんとも言えない表情になるノエルを見て、俺は笑った。

 それからノエルは、辺りを見渡して口を開く。


「ところで、皆さんなんだか落ち着きがないみたいですが、何かあったんですか?」

「ああ、例のディアロフト大森林にのバケモノついて、ギルドが正式に声明を出したらしい。それを受けての反応だろうな」

「そうでしたか。確か、残虐な方法で人を襲う正体不明の魔物……でしたよね?」

「その通りだ」


 "魔物"という呼び方を聞いて一瞬、今朝の作戦会議についての詳細を話そうかという考えが頭を過ったが、その思い付きはすぐに却下する。

 別にノエルが今回の作戦に参加しない以上、不必要に彼女を怯えさせる意味はないからな。

 

「一体どうなるんでしょう……」

「なに、きっと近い内に解決するさ。ノエルが心配することじゃない」

「でも、相当強い魔物なんですよね?」

「確かに強いな。けど、やりようがないわけじゃないだろ。できる奴らに任せときゃいいのさ」


 それでも昨日少し関わった手前、やっぱり色々と気になるのかノエルは食い下がってくる。

 

 しかし俺としては、これ以上この件には関わってほしくない。

 何故ならノエルは多少だが治癒の効果がある魔法を使えるし、その優しい性格も相まって何となく今回の作戦に首を突っ込んで来そうだからだ。

 

 俺がそう考えていると、ノエルは急に少し不機嫌そうな表情になって俺を見つめてきた。

  

「……ねえ、ヴァニさん。何か私に隠し事をしたり誤魔化したりしていませんか?」

「……は? いや、してないが……。何でそう思う?」


 急なノエルの指摘に一瞬驚いた俺だが、すぐに平静を取り戻してその理由を問う。


「まだ本当に短い付き合いですが、何となく分かったんです。ヴァニさん、嘘を吐くとき辛そうに微笑むんですよ。昨日も今も、思い返せばこの前もそうでした。……これでも私、人の感情の機敏には聡いので」


 ……バレてたのか。 

 まさか自分でも気付かない癖を見透かされているとは思わなかった。


「確かに、私は非力で何の才能もありません。お役に立てることもほとんど無いと思います。でも、言ったじゃないですか。受けたご恩は必ずお返ししますって。私にも何かお手伝いさせてくれませんか?」

「確かに言ってたが、今は絶対にその時じゃない。頼む、分かってくれ。今回の相手はきっと、どれだけ強いハンターでも何人か死ぬ。俺はノエルを危険に晒したくないんだ」

「そう仰るということは、やっぱりヴァニさんは今回の件に参加するんですね……。でしたら私の気持ちも分かってください。私だって、ヴァニさんに危険な目に遭って欲しくないんです」


 ノエルは悲しそうに目を伏せながら、俺に向かってそう言った。

 相手の命がかかっていない限り、自分を案じてくれる奴の気持ちに向き合わないということは最もしてはいけないことだと理解はしている。

 

 それでも、やはり色々な事情や俺自身の気持ちを鑑みて全てを明かすわけにはいかない。

 けど、これくらいはいいだろう……?


「大丈夫だ、俺は死なない。いや、正確にはどんな目に遭っても死ねない体なんだ。今はこれ以上話すことはできないが、必ずヤツを斃して、それで生きて帰ってくる。それじゃ駄目か?」


 そう言うと、ノエルは少し驚いた様子を見せた上で、それでもやはり曇った表情になった。


「……やっぱり、信じられないか?」

「いえ、信じます。何でかは分からないですけど、信じられるんです。でも、だからこそとても悲しいです。だってそれではヴァニさんはまるで、自分の命なんてどうでもいいと思っているみたいじゃありませんか。……命というのは、一度きりしかないから尊いものなのではありません。その人にとっての夢とか幸せとか喜びとか……そういうそれぞれに生きる意味があるからこそ尊いものなんです。今のヴァニさんにはそういうものが、感じられないんですよ……」

「夢や幸せ、か……。さて、言われてみりゃその通りかもな。今の俺に生きる意味なんてあるのかね?」


 俺の人生を振り返れば、後悔と自責の念しかない。

 俺だけが滅茶苦茶な人生を送っているならまだいい。

 

 だが、俺は俺自身なんかより余程大切な存在たちを守れなかった。

 気付いてやることも、救ってやることもできなかった。

 そんな人間に生きる資格や意味なんて、あるはずがないんだ。

 

 自虐的な思考に顔を歪ませて俯いていた俺の手に、温かな手が添えられる。

 その主はもちろんノエルだ。


「ヴァニさんが今までどんな経験をしてきて、どんな思いをして生きてきたかは私には分かりません。そしてそれを無理に聞こうとも思いません。ですが、これだけは分かってください。……生きる意味のない人間なんて、いないんですよ」

「……そんなのは綺麗事だ。実際この世にゃ死んだ方がいい奴なんて腐るほどいる」

「確かに綺麗事かもしれません。救いようがないほどに酷い人がいるのも、悲しいですが事実だとは思います。でも、実際にヴァニさんは私の気持ちに気付いて、救ってくれました。絶望の淵に立っていた私を助けてくれて、今だって私のことを気にかけてくれているじゃないですか。それだけで、こんな赤の他人をも心配してくれる優しい心を持っているだけで、それがヴァニさんの生きている意味であり、ヴァニさんの尊さだと私は思うんです」


 彼女の話を聞きながら、俺の頭の中は『それは違う』という否定の言葉で埋め尽くされていた。

 最初にノエルを助けたのは、ノエルに"彼女"の姿を見たからで、もしそれがなければ俺はきっと見て見ぬふりをしていただろう。

 

 ……俺は、お前が思ってくれているほど優しい人間じゃないんだ。

 少なくとも、俺はそう思ってる。


 だというのに、何故だろう。


 彼女の言葉はどこまでも優しく、そして温かく。

 俺の腐りきった心をじんわりと癒してくれるような感覚がした。


「………………」

「ごめんなさい、ちょっとお説教みたいになってしまいましたね。ですが、全部紛れもない私の本心です。もう無理に手伝わせて欲しいなんて言いません。でも、もし困ったときは必ず私を頼ってください。できることは少ないですが、ヴァニさんにいただいた沢山の優しさに私は恩返ししたいんです」

「ありがとな、ノエル。……それと、悪かった。俺は自分の気持ちばかりを優先して、お前の想いを丸っきり無視してたみたいだ。もし『その時』が来たら頼らせてもらうよ。だから、それまで絶対に元気でいてくれ。俺も、もしノエルが何か困っていて俺の力が必要になったそのときは、何でも手伝うからさ」


 数日前に俺が偉そうに【白翼の鷲】に言った言葉が思い起こされる。

 それがまさか自分に跳ね返ってくるとは、とんだお笑い種だ。


「……はいっ。ありがとうございます、ヴァニさん!」


 俺が告げた言葉に、ノエルは飛び切りの笑顔を見せた。


 昨日は酷いトラウマに邪魔されて伝えられなかったことが、今日に限ってはスラスラと言えたことに我ながら驚く。これはノエルの優しさに触れた影響なのだろうか?

 

 ……それでも、こうして口に出したことに不安がないわけではない。

 ここで縁を結んでしまったことで、もし俺のせいで彼女の身に何かが起きたらと考えるだけで心臓が凍り付きそうになる。


 俺はまた、選択を間違えてしまったんだろうか……?

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