第0―24話 覚悟③
汗を洗い流し、空腹を満たし、心に僅かながらのゆとりを持って。
二人用にはちと狭い寝台に二人して横たわった。
「ふんふふーん」
布団に入った途端、ごろんと寝転がってきた美楚乃は、愛着あるぬいぐるみのように自分に抱き着いてきた。
「兄さま、湯たんぽみたい。ふへへ~、あったかーい」
子猫のようにすり寄って、ふやけた顔して甘えてくるのは素直に愛おしいと感じるけれど、照れ臭さは拭えない。
「美楚乃、近い。少し離れて」
「えー、ん~、やだぁ」
少し思案して、断られた。いつもなら不満気にしつつも言うこと聞いてくれるのに、今日はいつにも増して甘えん坊だ。それくらい寂しさが蓄積されていたのだろうか。
「このまま、だめぇ?」
甘えながら可愛らしくおねだりする美楚乃。可愛いから仕方ないと割り切った。
「……それで美楚乃が落ち着くならずっとこうしていればいい」
「えへへ、やったぁ」
美楚乃は自分と一緒にいたいと言っていた。けれど未だにそれを叶えることができないでいる。その分、美楚乃は自分が白雪と共に戦うと決めた時からずっと、四年間近くずっと寂しさを我慢している。
不老の原因、魔法使いという存在、平和のために戦うと誓ったことも、こんなわけ分からない話の数々を、真剣に聞いてくれて、不満はあるはずなのに最後は全部受け入れてくれた。
『兄さまはわたしの命を救ってくれたヒーローだけど、正義のヒーローなら皆の命も救わないといけないよね』
でも心から望んでいないことぐらい分かっている。そのためにも、効率的に物事を終わらせるためにもやはり。
こんなちんたらやっていたらいくつになっても終わらない。
美楚乃と違って寿命が無限にあるわけじゃないんだ。
だからこの先、殺すものは殺す。
戦場において、血は流れるものだ。
「ねえねえ、今日は白雪ちゃんと会った?」
「ああ、会ったよ」
「本当⁉ 元気だった?」
「……。ああ」
また嘘をついた。一度嘘を赦せば、都合の良いように嘘で塗り固める物語。これの何処が正義のヒーローだと言うのか。
「いいなぁ。もう一度会いたいなぁ。湖も見てみたいなぁ。もしかしたら蛇口から出る水は、その湖から来ているのかも。お魚とかも見たい。ねえ、今度会ったらさ、白雪ちゃんにまた遊びに来てよって伝えてよ」
「ああ、会ったら伝えてみるよ」
「約束だからね」
「……ああ」
胸がズキリと痛い。
こんなに近くで、腕をぎゅっと掴んで自分の目を見て嬉しそうに……本当に居たたまれない。
自分をずっと信じてくれる美楚乃に申し訳ない。
その罪悪感に雄臣は耐えきれなかった。
「……美楚乃、さっきの質問に対する答えだけど……」
「ん? 質問なんかしたっけ?」
「してなくてもどの道、言わなくちゃならないことなんだ。こんな寝る直前に言うことじゃないかもしれないけど、多分今じゃなきゃ言えそうにないと思うから、聞いてくれ」
「う、うん」
雄臣は横にいる美楚乃を視界から遠ざけて、胸につかえていたものを吐き出した。
「……実はな、救えなかったんだ。……手遅れだったんだ。……隣町の住民、誰一人守れやしなかったんだ。……二人でよく散歩した街、知っているだろう? すぐ近くにいたのに、何も気づけず、今日、一つの街をあっけなく滅ぼしたんだ」
覇気なく真実を告げた雄臣は、美楚乃の手を振りほどいて背を向けた。
「それだけじゃない。ずっと前から救えない命ばかりだ。簡単に殺されて死なせた。救えた命より救えなかった命の方が圧倒的に多いんだ。……ごめんな、美楚乃。嘘ばっかだ」
理想と現実はこんなにも違う。そんな思い通りにいかない現実を虚偽で理想に近づけようとしても空しいだけだった。
美楚乃はその現実を受け止められるだろうか。
信じていた人間がこんな死なせてばかりの正義のヒーローだって。いや、正義も、ヒーローもくそもない。肩書きが恥ずかしくなるくらいだ。
ふと、温かい感触に包まれた。
背中から抱きしめられたのだ。
「……美楚乃……」
何も言わずしばらくずっと些か長いと思う程、そして次第に身体の力が抜けて、もうこのまま楽になりたいと感じてしまった時。
「どうして死なせたとか滅ぼしたとか、兄さまがやったように言うの?」
「……」
「兄さまがいたから、救えた命も、救われた命も、あるよ」
鼻をすするような音がして、察した。
「どうして美楚乃が泣くんだよ?」
「っ、泣いてなんか……ないもんっ!」
強がりなことを言っておきながら、美楚乃は雄臣が着ている寝間着に顔を埋めて流れ出る涙を擦り付ける。
悲しみの涙なのか、憐れみの涙なのか。
けれど同情はいらない。
その涙が落胆から来るもの、ショックから来るものであればいいと雄臣は思った。
でも美楚乃が口にする言葉は兄を労わるものだった。
「……どんなことがあっても、わたしはずっとずーっと兄さまの味方だから。そんなに自分を責めないで」
「……。ごめん、泣かせて」
「だから、泣いてないって」
「そうか……」
天井についた小さくて頼りない朧げな灯りが二人を照らす。今日はこのまま寝る感じだろう。五分近く会話は途絶えている。
「美楚乃、もう寝たか」
「ん、まだ、ねてないし……せっかく、一緒なんだから……」
「……そうだね」
眠たそうな声。
静まり返った夜に虫の声が微かに聞こえる。
『■■■■■■』
けれどそんな安らかな虫の音も、すぐに耳の中で何度も再生され続けるへばり付いて離れない怨嗟の悲鳴でかき消された。
今日は一段と寒いけれど、布団の中はいつもより暖かくて美楚乃の優しい匂いがする。
『■■■■■■』
けれど、その匂いはふんわりとほのかな匂いだから、強烈な血と脂と煙の混じり合った死臭には到底敵わない。
「美楚乃――」
声を掛けたが、返事はなかった。
「寝ちゃったか」
背けた背中を戻し、美楚乃の方に身体を向けた。
雄臣の眼差しは、あどけない表情で眠るこの世で一番大切な妹に向けられる。
こんなに可愛くて愛おしい妹に『人間を殺してもいいか?』なんて聞こうとした自分が馬鹿だった。
(この期に及んでまだ踏ん切りが付かないとでも言いたいのか。どれだけ優柔不断なんだ。だいたいこれを決めたのは白雪だ。頑なに掟を守らせておいて、破ったのはあっちの方。殺す行為が禁忌的で罪深い行為だと知っておきながら、それを容認したのもあっち側。けど分かるよ。あの頃の君とは矛盾するけど、白雪の思いも理解はできる。だからこそ、僕は罪を重ねて背負い続ける。罪を背負うのは僕だけでいい)
雄臣の瞳に光が消える。
「美楚乃、僕は人を辞めるよ。けれどお前だけは今のままでいてくれよ」
過去の自分を切り捨てるように、雄臣は深い闇へ落ちていった。
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