第76話





「あ…れ、あたし……どうして」


 正気に戻ったフィーネは辺りを見回した。 

 青々とした世界。頭上には眩いまでの――太陽がある。夢にまで見た本物の太陽だ。何も遮るものがない果てしなく広い大空がある。フィーネは言葉が出なかった。


「手荒な真似をしてすまない。手当をしよう。おい、チム」


 しばし呆けていたところにやってきたのは、女騎士のターニャであった。


(人間だ)


 動揺をしたが、何故か敵意を抱くことはなかった。それに、ターニャのそばにいる者は魔族の子どもであったのだ。

 何がどうなっているのか。エレノアの死を嘆き、人間の報復を誓って乱血薬を口にした。つい先ほどまで強い憎しみに囚われていたはずが、今は凪のように安らかであった。


「エレノアなら、生きてるよ」


 チムはフィーネの手当を施しながら告げる。フィーネは耳を疑った。


「そんな…」

「人間の兵士が嘘をついたんだって。だからね、本当は死んでない。オズ様も、ほかのみんなも、無事だよ」

「人間が、あたしたちをまた謀ったっていうのか? だったら今度こそ――…」


 だが、周囲には殺伐とした空気が存在しない。ケガをした魔族と人間が一緒になって手当を受けている。中には、がれきに埋まっている人間を救助している魔族の姿もあった。


「皇女殿下はおっしゃった。これが、本来あるべき形、なのだそうだ」


 女騎士のターニャは空を仰いだ。フィーネは動揺をしつつも、それに続くように広い空を見上げる。本物の太陽がこれほど眩しいとは思わなかった。


「エレノアが約束してくれた。人間はもう魔族から搾取しないって。それにね、おれたちはもう人間を食べなくても、なれ果てないんだって。だから、人間と一緒に暮らせるんだって」


 ターニャの手当をするチムは、嬉しそうに告げた。


「おれ、悪い人間に捕まっちゃって、エレノアに助けられたんだ。それでね、分かったんだよ。ぜんぶが悪い人間じゃない。それは、おれたち魔族だってそうでしょ? 悪い奴もいれば、いい奴もいる。人間も、きっとそうなんだ」


 イェリの森で見るエレノアとオズは、とても形容しがたい信頼でつながっているようだった。フィーネは人間を憎く思いながらも、いつか共存できる未来が訪れるのなら、と淡い希望を抱いていた。


(まさか――本当に)


 一面の青空に漂う白と黒の影。

 そこには、天照らす太陽のごとき少女と、月のように静かに寄り添う王がいた。


 穏やかな風が吹き抜ける。争いあい、憎しみあう世は終わった。そのあまりの眩しさに、フィーネはぽろぽろと涙を流した。






 帝国の栄華を象徴する豪奢な建物は軒並み焼失した。だが、大地の祝福を受けたのち、かつて城下町であった一帯には鮮やかなまでの草花が咲き誇ったのだった。


 此度の争いで消え失せてしまったはずの魂は、神秘的な力によりあるべき場所へと戻った。しかし、それでも戻らぬ命もある。


 無念のうちに散ってしまった命。愛する者を守るために犠牲となった命。宿願を果たすために燃やされた命。誰にも弔われることなく、寂しく生を終えた者がこの世には五万といる。エレノアは、国土を一望できる丘の上にて両手を合わせた。



「父上、母上、そちらは寒くはないですか」



 存在していたことすら闇に葬られていたエレノアの実の父と母。女神オーディアが夢の中で会わせてくれた父と母は、確かにエレノアを愛してくれていた。

 彼らは最後まで、エレノアを守ろうとしてくれていた。



「私は、あなたたちのように、逞しく生きてゆきます」



 民を正しく導く者になる。自らの足で立ち、自らの目で物事を判断できる者になる。そして、貧しい者も富める者も、人間も魔族も皆等しくある希望に満ちた世を築くと誓う。



「できれば、私が民を導く様子を見届けてほしかった。これからはきっと、素晴らしい世になるはずだもの…」



 エレノアは語りかけるが、柔らかな風が吹くばかりで返ってくる言葉はない。

 史実のねじれによりもたらされた悲劇は、どう足掻いてもなかったことになどできやしない。本来であれば、奪われる必要がなかった命もあったはずだ。


 エレノアはそのすべてを忘れぬために、色とりどりの花が咲く丘を慰霊の地とした。人間も魔族も、貧しい者も富める者も、等しくこの地に眠る。


 冷たい地で息絶えてしまった者に、温かな太陽の光を。憎しみの中で果てた者に、凪のような安寧を。



「──今まで弔ってあげられなくてごめんなさい。どうか、安らかに眠って」



 エレノアが祈ると、辺り一面の花々が鮮やかに輝く。


 花葬。


 サンベルク帝国で弔い業を生業とする者たちは、古くからこのようにして死者を大地へと還した。そして、巡り巡って生命の均衡を助ける力となるのだ。


 エレノアが空を見上げると、あたたかく心地の良い風が吹いてくる。亡き父と母の魂に抱き締められている感覚があった。



『愛しているよ、エレノア』

『……こんなに立派になって。どうか、幸せにおなりなさい』



 舞い上がる花びらにのって、亡き者たちの声がこの地に届く。

 弔いに訪れた者たちは、ようやくはじめて別れの言葉を交わしたのだ。



 エレノアが涙を流すと、オズが静かに抱き寄せる。エレノアは祈りをこめ、死者たちを本来あるべき場所へと導いた。



「これで、皆が心安らかに逝けたかしら」

「きっと、そうだ」



 エレノアとオズは眼下に広がる大地を眺める。これからは同じ太陽の下で皆が暮らしていく。種族の違いや身分の差など関係なく、誰もが生を祝福し、やがて迎える死を弔うのだ。



「──私たちは、ともに支え合って生きていくわ」



 

 やがて訪れる安寧の時代。

 この大地は──深く繋がったすべての愛を、祝福する。

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