第56話



 幻想的に輝くヒカゲ草の光がエレノアの白銀の髪を照らした。エレノアは、オズの大きな翼にすっぽりと包まれたまま、寝息を立てていた。

 この夜、エレノアは破瓜の血を流し、オズと初夜の契りを交わした。愛おしく、離れがたく、魂ごと求めあった。オズはエレノアの白糸のような髪に指を通し、慈愛を込めた眼差しを向ける。


 魔族の里の広場では夜通し宴が催されている。民衆は眠ることも忘れて踊りに明け暮れ、唄を歌って士気を高めているだろう。だが、この場にはオズが許した者以外は立ち入ることができない。このひと時だけはエレノアとオズだけの静かな夜であった。


 オズはエレノアの寝顔をただ見つめる。陶器のごとく澄み切っている素肌に爪を立てぬように気遣った。ほんの少し力を入れたのなら折れてしまうほどに、細い躰だった。人間だ。人間であるのに、夢中で己の名を呼ぶエレノアがどうにも愛おしい。

 オズを支配していた憎しみの感情が、愛により塗り替えられていく。空虚的だった瞳に、優しさが浮かぶ。ひだまりのような女だと、オズは思った。


(何故、これほどまでに)


 オズの翼の中で眠るエレノアは、頬をほんのりと染めて寝言をいった。


 夜が明ければ、エレノアは魔族の森を去る。

 夜が明ければ、エレノアに触れられなくなる。


 いっそどこかに連れ去り、隠してしまえばよいとも思うほどには、オズはエレノアを愛してしまっていた。思えば、森の中ではじめてエレノアを目にした時から、オズは己の中の異変に気付いていた。


(魂が、訴えかけてくる)


 オズの中の、さらに奥。いくら人間が憎かろうと、エレノアから目が離せないのだ。


 サンベルク帝国からの進軍を迎えうった時、戦地にて相手側の動きへの違和感を覚えた。おそらくはこちらが陽動であり、真の目的はオズ不在の魔族の里を陥落させることにあるのだと早々に察した。

 魔族の民を案じる気持ちもあったが、まず脳裏に浮かんだのはエレノアであった。今頃はキキミックとともに里にいる。


 万が一、死なれたら――…。


 気づけば、躰が反射的に動いていた。空間を転移し、燃え盛る森の中で光り輝いているエレノアの姿を見た。対魔族兵器から民衆を庇うように、たった一人で立ち向かっている。


 ふらつく躰をそっと抱き寄せ、……ああ、今己は安堵をしているのか、と悟った。これ以上はあまり前に出てくれるなと思った。同時に、一つ間違えればエレノアの息の音を奪っていたやもしれぬ人間の兵士を憎く思った。


(今に殺してやる)


 消さねば、エレノアが魔族と通じていた事実が伝わる。そうすれば、エレノアの立場が危うくなる。魔族の民を蹂躙しようと目論む人間は、一人残らず殲滅せねばならない。振りかざしたオズの手をエレノアは制した。


 エレノアは争いを望まない。

 たとえ人間への怨嗟がオズの生きる理由であったとしても、エレノアはそれを願わないのか。

 噛み砕くごとに、頑なだったオズの意思は、人間の娘により溶かされていく。


 エレノアが願うのなら、叶えてやりたい。

 エレノアがそばにいるのなら、憎まずとも生きてゆける。


 憎しみを愛情が上回る。人間と魔族が手を取り合うなどとは、世迷言であったはずだ。だが、エレノアが信じたいという。ともに生きるために戦うと。オズがいるから強くなれたのだと。

 ――眩しい。あたたかく、高潔で、まさに皆を天照す光のごとき娘だ。


「ん…オズ、どうしたの?」


 しばらくエレノアを見つめていると、寝ぼけ眼を向けてきた。


「私…いつのまにか、眠って…しまって」

「よい。眠っていろ」

「で…も、今夜、は、オズと、もっと…」

「眠れ。躰に障る」


 人間はか弱い。イェリの森の夜は寒いのではないかと思い、翼でくるんで抱き締めてやる。エレノアは甘えるように身を寄せると、再び規則正しい寝息を立てた。


 片時も魂は離れない。


 必ず、迎えにいく。――…約束だ。

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