第51話

一部始終を目撃していた魔族たちは己の目を疑った。フィーネもベスも同様に。

 エレノアが被っていたマントが落ちていくと、たちまちに魔族の娘の姿から人間の娘のそれへと変貌を遂げていく。エレノアを褒めたたえていた魔族たちも、この状況を飲み込めていない。


 キキミックは青ざめた顔をしてエレノアを凝視する。何故、人間の娘の身を案じているのか、キキミックには理解ができなかった。憎く恐ろしい人間であるはずなのに、エレノアは虫唾が走るほどに心優しいのだ。だからだ。だから、情が移ってしまった。

 女神オーディアに祈ることしかできぬ無力な娘に、何ができる。オズもガストマも戦地に赴いており、エレノアを庇いたてられる者はキキミックのみであるというのに。

 膝が震えて立ち上がれなかった。




 うねりをあげて燃える森。


(ああ、我らの森が)


 魔族の民は絶望し、奮起することができない。そればかりか、人間が操る対魔族兵器が炎の奥から民をのぞき込むようにして姿を現した。

 人工的に造られた鉄の装甲には、威風堂々としたサンベルク帝国の紋章が刻まれている。鉄の雨を降らせる砲塔が狙いを定めるかのごとく、広場へと向いた。男たちは魔術を駆使して鉄の装甲へと立ち向かう。だが、特殊な結界が張られた兵器には微塵にも響かない。


 地響きのような衝撃音が鳴る。


 砲塔に仰々しい力がため込まれ、誰もが、母や父、子、そして魔族の王の名を叫んだ。





「──我が国の兵よ。直ちに、この地を去りなさい」



 その時、甲高く高潔なエレノアの声が辺りに響き渡った。


 魔族の民たちを庇うように、白銀の髪が揺れる。刹那、エレノアの碧眼が眩く光り、足元に青白い紋章が浮かび上がった。

 エレノアはただ魔族たちを傷つけまいという一心であった。それだけで底知れぬ力が湧いてくる。


 この感情は憤りだった。


『そんな…馬鹿な、何故この地に』

『どうして、皇女殿下が…!』

『魔族どもに囚われているのだ…! お守りせぬか!』


 搭乗員の無線での会話が聞こえてくる。

 砲塔はエレノアを避けるように方向転換をしたのみで、ため込まれた力を抑止する様子はなかった。

 魔族の民を威嚇するように、森の中へと射撃をする。大地が揺れ、猛烈な爆風が吹き付けると、エレノアの瞳に鋭い光が宿った。



「皇女…? 皇女と、言ったか…」

「人間の国の姫様が、何故、我らを庇いたてているのだ…!」

「エリィ…あんた、どうして」


 エレノアの背後から魔族の民の声が聞こえてくる。その中にはフィーネの戸惑いの声も含まれていた。

 これまでのように魔族の民と親密な関わりができなくなろうとも、サンベルク帝国内での立場が危うくなろうとも、今のエレノアにとっては取るに足らぬ小事であった。


(ここにはオズがいない!なんとしてでも、私が彼らを守らねば!)


 向けられている砲塔へと意識を注ぐ。無数の光がため込まれている、その源。エレノアは、兵器に宿る力そのものに強制的に干渉した。



「このエレノア・ラ・サンベルクの命に従えぬというのか!」

『皇女殿下を保護するのだ! あとは一匹残らず根絶やしにしろ!』

「──させるものか! 立ち去れ!」



 エレノアが憤怒すると、巨大な対魔族兵器が激しい青い光に包まれた。絞りとるがごとくエレノアが力に干渉をすると、みるみるうちに機体が無力化してゆく。

 鉄の装甲は錆びつき、豪奢であった砲台は崩れ落ちてゆく。そして、やがて聞こえてきたのは搭乗している兵士たちのうめき声であった。


『う…あああ、なんだ、これは!』

『息が…息が、でき、な…うっ…ああ!』


 エレノアの瞳は宝石のように輝き、兵士たちの嬌声を耳にしてもなお、凄まじい怒りは収まらなかった。

 魔族の民は眩く光る光景に目を奪われる。人間を凌駕する力をもつ魔族であろうともまるで太刀打ちができなかった兵器が、一瞬で鉄さびに変わっていくとは、信じがたい光景であった。


(なんだ、これは。まるでエレノアが力そのものを奪ったようではないか…!)


 キキミックは一つしかない目玉を見開き、エレノアを食い入るように見つめる。だが、当の本人は自分が何をしているのか気づいてもいないようだった。

 がらがらと崩れ落ちていく装甲。家屋が焼失した焦げた匂い。騒然とする一帯に、嵐のような風が吹き付けてくる。


 途端に燃え広がる炎が立ち消え、火の粉が飛び交った。


 残煙を切りはらう大きな黒翼。


 底震えするほどの冷たい双眸。


 力の制御ができていないエレノアのもとに降り立つと、ふらりと倒れそうになる躰を抱き寄せる。魔族の民は、再び目を見張った。

 なぜならば、窮地に現れたその者は人間を誰よりも嫌悪しているはずだからだ。


「よく耐えた」

「…オ、ズ」


 偉大なる魔族の王は人間の姫へと慈愛に満ちた眼差しを向け、これを守護したのである。

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