第14話

ターニャの言い分は最もであったが、エレノアは何と返事をすればよいものか考えあぐねた。


「そ、そうね…。ターニャの言う通りだわ」

「であれば、なるべく早期にご決断なさるべきです。それが我が祖国の未来のためでございます」


 ターニャは踵を返して部屋から出ていった。

 今は何よりも伴侶探しが先決であるというにも関わらず、エレノアの意識はイェリの森へと向いてしまう。忌むべき存在である魔族に会いにいくことを考えているだなんて、誰にも賛成はされないだろう。


 分かってはいたが、エレノアは突き動かされるようにして東の果ての草原に出向いて行った。





「来てみたのはいいけれど…あの小川の畔までたどりつけるかしら」


 先日ウサギを見つけた森の手前まで愛馬を走らせ、エレノアは小さく喘いだ。目の前には先が見えぬ深い森が広がっており、一歩踏み入れたのならすぐに迷子になってしまうような気さえした。


(大丈夫よ。きっとオーディア様が導いてくださるわ)


 エレノアは自らを奮い立たせて手綱を切った。森の中に入ると、先日同様に濃霧が立ち上ったのであった。


 ここがイェリの森だということは本当なのだろう。およそ人間が住むような雰囲気を感じない。昼間だというのに薄暗く、肌寒い。まるで夜道を歩いているようだ。この森自体が人間を拒絶しているのか、背筋が粟立つ感覚がある。

 怯える愛馬を宥めつつ、エレノアは昨日オズと出会った場所を探した。


「このあたり…だったような」


 同じような形状をした木々が連なる小道をエレノアは只ひたすらに突き進んだ。確証はないのだが、エレノアは何故かオズともう一度会えるような気がしていた。


 森の中に入ってからしばらく、まるでエレノアを迎え入れるように霧が薄まっていく。

 すると目の前にあの綺麗な蝶が飛び交う小川が現れたのだ。傍らに生えている大きなクスノキも見覚えがあった。


「レックス、ここで少し休んでいて」


 エレノアは愛馬から降りて、頭をやさしく撫でるとクスノキの方向に目をやった。オズがまだこの場にいることは気配で分かった。

 薬草をたんまりをこしらえたポーチを片手に、エレノアはクスノキの下まで歩み寄る。昼間であるのに、月のようにきらきらした光がその場を彩った。エレノアはそっと息を飲む。 

木の幹に寄りかかるようにして、この世の神秘ともいえる美しい男が静かに眼をおろして眠っていた。


(どうしましょう。起こすのも可哀そう…よね?)


 青白い顔。目も口も鼻も人間のようであるのに、首から下は鎧のような、鱗のような黒い肌をしている。立派な角も翼も、人間にはないものだ。やはりこの男が魔族であることを物語っている。


(ずいぶんと冷たくて、悲しいオーラをまとっている…)


仲間はいないのだろうか? 傷は少しは癒えているのだろうか? エレノアは美々しすぎるオズの顔をじっと見つめていた。


「――何故来た」

「っ!」


 すると、銀色の瞳が冷ややかに開いたのだ。エレノアは泡を食うようにして尻もちをついた。


「お、起きていたの…?」

「去れ、人の娘」

「…っ!」

「聞こえぬか。今すぐに、立ち去れ」


 鳥肌が立つような低音。オズの喉の奥で雷鳴が響いているようであった。


「…お、お断りします。最後まで手当をさせてほしいと申し上げました」


 恐ろしい。けれど、放っておけない。ぼろぼろに傷ついた刃のような男。氷のように爪板瞳にエレノアの顔が映り込んだ。

 依然として顔色は悪いが、昨日ほどではなくエレノアは安堵をする。オズはしばし、エレノアの表情を観察するかのごとく目を細めた。


(人間のことがよほど嫌いなのね…)


「お約束します。私はあなたを傷つけない。絶対に」


 この世のすべてを恨み、呪っているような冷たい瞳。恐ろしい存在のはずなのに、何故手を伸ばしたいと思ってしまうのか。

 エレノアはポーチから薬草を取り出すと、薬研に入れて丁寧に磨り潰した。


「さ、昨夜は……寒くはありませんでしたか?」


 正面からオズの張り詰めた視線を感じ、エレノアは緊張をした。


「知らぬ」

「でも、この森は昼間でも肌寒いわ。きっと夜は冷えるでしょう」

「──人間の躰が脆いのだ」


 昨日は今に殺すとばかりに息巻いていた様子のオズであったが、今日のところはエレノアが話しかけると愛想のない返事があった。


「確かに魔族の躰は丈夫なのかもしれませんが、きちんと温かくされるべきです」

「必要ない」

「なりません。どうか、御身を大切になさってください」


 何か温かいものを、と羽織っていたマントを脱いでオズにかけてやる。


「要らぬ」

「差し上げます」


 オズは再び、エレノアの真意を詠むように目を細めた。


「何のつもりだ」


 ざわざわと木々が薙ぐ。霧が流れるように川の上を滑っていった。


「いいから、どうか安静に」

「……要らぬ」

「オズ。汚れた包帯を取りますよ」


 返事はなかったが、巻かれている包帯を取るために手を伸ばした。

 傷口は塞がっているようだが、包帯にはべっとりと血が滲んでいた。


 多少強引に手当を施しているエレノアに、オズはもう何も言わなかった。

 磨り潰した薬草をたっぷりと胸元に塗り込む。仕上げに両手を合わせて女神オーディアへの祈りを授ける。エレノアを包み込むやわらかい光をオズは茫と眺めた。

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