第11話
「只今旦那様が応対されております。ですが、奥様もいらしてほしいと」
「わ、分かったわ。だけど、小鳥遊様がいったい巴家になんの御用で……」
美代は鏡の前に立ち、念入りに髪型を整える。千代はそわそわと部屋の中を歩き回り、落ち着かない様子だった。
「藤三郎さんに御用かしら……いや、でも、うちと小鳥遊家にかかわりはないでしょうし」
はっと顔を上げて、美代は娘の千代を見つめる。
「千代さん、小鳥遊様はもしかして、先日の舞踏会にいらっしゃったのではないかしら」
先ほどまで北大路との逢瀬に花を咲かせていたはずの千代は、思い当たることがあるように頬を染めた。
「いっ、いらっしゃったわ……! ご婦人方の間で話題になっていたもの! 社交場を好まない小鳥遊様のお姿があると!」
「であれば、そうよ! き、きっと千代か喜代のどちらかを見染められたのではないかしら!」
期待。自惚れ。文句ひとつない家柄であるにもかかわらず、才色兼備の紳士の来訪。まるで運命を感じるがごとく、美代と千代は沸き立ち、耳をつんざく金切り声が屋敷内に響き渡った。
「そっ……そうなのかしら! どうしましょう! どうしましょう! 私ったら、なんの心の準備もしていないわ!」
そうと決まっては、丁重にもてなさなければならない。美代は自室に控えていた喜代を呼び、二人に身支度を整えるように命じた。
「ああ~ん、こんなこと、聞いていないわよ! 舶来物の香水を買っておくべきだったわ!」
「まるでロマンス小説のよう! こんなことってあるのね、お姉さま!」
蓮華はむくりと立ち上がり、盛り上がっている広間をあとにする。
(床掃除が途中だったわ……)
バケツを持ち、冷たい水の中に手を突っ込む。せめて、己の役割を全うしなくては。そうしなければ、この家を追われてしまうのだ。
蓮華はほぼ無意識に応接室の前までやってきた。
割烹着の袖をまくり、雑巾で念入りに床磨きをする。
ほどなくしてバタバタと足音を立て、美代、千代、喜代がやってきた。
開いたままの応接室の扉。ぼんやりと眺める蓮華にとって、その先は縁遠い世界だった。
「小鳥遊様、ごきげん麗しゅう~。お待たせしてしまい大変申し訳ございません! 今、うちの娘たちをお連れいたしましたので」
巴家当主藤三郎の正面には、品格のある男が座している。後ろでひとつに結えてある細い髪。左目にかかっている前髪。さらりと伸びた鼻。薄い唇。氷のように冷たい瞳が美代たち三人に向けられる。
「可笑しいな」
「……へ?」
「令嬢ならば、もう一人いるはずだろう」
だが、すぐに興味をなくしたように一蹴する。
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