第3話
百合子はそのたびに平謝りをし、許しを乞うた。
望まぬ形ではあったが、膨らんでゆく腹をさするとあたたかな情が沸いた。どうしても、我が子をこの手で抱きたかったのだ。
百合子はその後、自力で蓮華を産んだ。百合子たち親子はそのまま屋根裏部屋へと追いやられ、ついには生誕を誰にも祝福されることなく、寒い夜を過ごした。
それからが地獄だった。美代の反対を押し切る形で、藤三郎は百合子たち親子を屋敷に置いておく決断をする。万が一私生児の存在が露見してしまった場合、取引先への印象が悪くなるためだ。
没落する華族が増えている昨今を鑑み、爵位を守るためにとった対応であったが、妻の美代にとっては不服極まりなかった。
「どう責任をとってくれるのかしら! あの汚らしい私生児が、私のかわいい喜代をひっかいてケガをさせたのよ!?」
蓮華が十歳になった春。巴家に金切り声が響く。
「もっ、申し訳ございません……!」
「これだから嫌なのよ、下民の子はろくな躾もなっていないのかしら」
「申し訳ございません」
「下民が華族に手をあげた。この意味がお分かり? まさか、同等の立場にあるなどと思いあがっていないでしょうね?」
まさに天上天下の世界だった。百合子をはじめとした巴家の者のほとんどは、華族以外の者を人として扱わない。時に、同じ空気を吸うことも拒むそぶりすら見せた。
そればかりでなく都合が悪くなると、私生児である蓮華を隠れ蓑にした。千代や喜代が悪事を働いた時には、巴家の血筋を半分ひく蓮華にその罪を擦り付けた。
まともに学校にも通わせてもらえない。
ナイフとフォークの持ち方も分からない。
それなのに嫌がらせのごとく社交場に引きずり出され、‟下品な鼠‟だと皆の笑いものになった。
それに耐え切れず、蓮華は喜代の頬をひっかいてしまったのだ。
どうして自分ばかりが。
なにも悪いことをしていないのに。
なぜ、母親は反発せずにただ謝るだけなのか。
ことあるごとに「死んで詫びろ」と捲し立てられる。蓮華の記憶の中にある百合子は、いつも泣きながら平謝りをしていた。
「おかあさん……ごめんなさい」
「いいのよ、大丈夫。大丈夫よ、蓮華」
幼い蓮華には、自分がなぜこのように疎まれなければならないのか、理解ができていなかった。ついカッとなって喜代の頬をひっかいただけだ。それもたった一度だけ。なのに、なぜあれほど叱責されねばならなかったのか。
百合子だけは、蓮華を怒らずに優しく許してくれた。
蓮華は安堵した。寒い夜に身を寄せ合う。そして、蓮華が寝付くまでに聴かせてくれる百合子の子守唄が蓮華は特段好きだった。
「眠れぬ子よ、ねんねんころり」
百合子が口ずさむと、とたんに眠気が押し寄せてくる。
「おはなのかおりで、ねんねんこ」
腹違いの姉たちにいじめられた日であっても、その唄を聴けば心安らかになった。
いつまでも母とともにありたい――そう思って意識を手放した翌日。
百合子は蓮華の目の前で、首を吊って死んでいた。
『死んでお詫びいたします』
足元に置いてあった遺書には、たった一言そう書かれていた。
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