第94話
血が流れる──……。
別に、血が流れるのを見るのは初めてじゃない。
頭を撃たれているのに、目を開きまだピクピクと痙攣しているということは、まだ生きているらしい。
けれども──パンッ!!と2発目を撃ち込めば、その痙攣もなくなり、全く動かなくなった。
銃を向けていた男は、「良かったのか?」とその銃を内ポケットにしまいこむ。
「…はい」
と、静かに返事をした俺は、瞳を閉じた。
「ずっとこの時を待ってたんだろ」
当たり前だ。
この時をどれだけ待っていたことか。
それでも撃てなかった。
撃つことが出来なかった。
引き金を引くことが出来なかった。
「すみません…、機会を頂いたのに」
本来なら、この人が撃つ事だった。
この人の親切を仇で返した、…堕ちた男を。
それなのに俺に始末をするチャンスを与えてくれたのに。
車に戻るその人に頭を下げ、たった今死んだそいつの顔を見た。
整形しているそいつの顔は、娘とは全く似ていない。死に顔も、マユとは全く似ていない…。
死体は重りをつけ、海の底に消えた。
土の中だと見つかる可能性が高いから。
この湾には、何人もの人間が沈んでいるんだろう。まあ…魚の餌になって原型を留めていないだろうけど。
俺たちは人間を食った魚を食べているかもしれないと何度か思ったことがある。
初めて人間を海の底に沈めた時、魚を食えなかったなあとぼんやりと思い出していた。
煙草をくわえ、火をつけようとしたとき、海の底をじっと眺めているそいつに、「お前、煙草は吸わねぇの?」と聞いた。
「…吸いません」と、波の音しか聞こえないそこに、そいつの小さい声がやけに響いた。
そいつに差し出し、「付き合え」と言えば、俺の手元から1本とった。
そのまま火を貸せばなれた具合で煙草を吸い、「……きついっすね…」と、軽く息を吐く。
カチ、と、自身の煙草にも火をつけた。
「吸ってたのか?」
「昔ですけどね、父親にバレて怒られてやめました」
「…なんだ、ヤクザになるくせに父親が怖いのか?」
軽く笑えば、慣れた手つきで灰を落とす。
「…普段は優しいですよ、つかあんまり怒らない方で。…────母親が、煙草嫌いなんです。父さん、母さんのことすげぇ好きだから、そういう時に怒るんですよね。キレたらまあまあ怖いっすよ」
「そうか」
「……背中にも墨入ってるし」
「…」
「ケイシさんにも入ってるんですか」
そう聞かれ、「…虎なら飼ってるな」と、背中にいる、誰も見たことねぇ動物の名前を告げた。
「……俺も父親が怖かった、けどお前の言う〝怖い〟じゃない。こいつといれば殺される、っていう恐怖だ」
「…」
「殴る蹴るは当たり前、背中の刺青もよく見たら根性焼きのあともあるしな。殺されると思って、俺はその男が寝てる時、瓶ビール使って頭割った。そいつが起きるまでにって、とりあえず頭ばっか」
「…」
「頭から血が流れて、死んだなって思った。そんでそのまま死体と一緒に数日暮らした」
「…」
「ずっと家にいて飯もなくて、ガリガリのまま俺も死ぬのかーって思って床で寝てたら、借金取りが来てな。父親の死に方を見て「お前が殺ったのか?」って。そうだって首動かしたら、そいつ「…頑張ったな」って頭撫でやがった」
「……」
「そっからこの道に入った。だから人を初めて殺ったのは、俺が小学生になる前の話だ」
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