第43話
悪霊化
フォトグラファーだった真田さんと会ったのは海外の旅先でのことだったらしい。同じ観光地で何度も鉢合い、帰国後も連絡を取るようになって、そしてデートを重ねて、付き合っていた、と話してくれた。彼はずっと写真館でカメラマンをしながら、たまに休みを取って、旅行に出かけて、作品を撮っていたという。梶先輩はまだ学生だったので、時間が合えば一緒に旅行していたと言った。
「なんだか…おままごとみたいな私たちだったけど…幸せだった」と言う梶先輩の横顔を私はぼんやり見つめていた。
「それで、十子ちゃんはその人がここにいるって?」と若干、怖さを隠しきれていない中崎さんは私に近寄ってくる。
「…すごく思いが強くて…。でも…それは梶先輩も…ですよね」
梶先輩は私を見て、頷いた。
「最後に…私に会いに来てくれなかったから。すぐに戻ってくるって約束してたのに…。何か話があるって。でも帰国したのに…そのまま」
私は亡くなり方を聞いていいのか分からなくて、俯いた。
「私は彼が苦しんでいたことも気づけなかった…」と苦しそうに言う。
「あの記事が…原因で?」
「分からないけど…。でも近くにいてくれるって聞いたら…少し嬉しい」と言いながら、涙を零した。
「梶先輩…。あの…このままじゃ駄目なんです」
「え?」
「彼は行くべきところに行かないと…。その内…彼じゃなくなると思います」
「彼じゃ…なくなる?」
「先輩に対する思いが強すぎて…。ちょっと悪いものに変わりつつあるんです」
そう言うことを言いたくはなかったが、結愛ちゃんのような可愛い存在ではなかった。もう目が真っ黒だったから、いわゆる悪霊化してしまっている。
「悪いもの?」
「そしたら、あの…他の悪いものにくっついたりして、もっとすごく悪いものになって…」と私の説明は本当に上手くない。
横で中崎さんが固まっている。
「だから、梶先輩の力もお借りしないと…」
「私の力?」
「まずは彼に対する思いをきちんと整理して、見送ってあげて欲しいんです。急なお別れだったから、まだ納得できないのは分かります。それでも…人はそうやって、出会いと別れを繰り返して…生きて行くんです。それに…このままだと本当に…もう二度と彼に会えなくなっちゃいます」
「会えるの?」
「亡くなってから、会うためです。本当に悪霊になったら、二度と会えません」
こんな話、誰が信じてくれるんだろう、と思いながら私は必死で梶先輩に言う。
「もう一度、彼に会えるのなら…」
「あ、駄目ですよ。ちゃんと生きて、寿命を完うして…。自殺したら、それはそれで…向こうに行けないから」と私が慌てて言うと、梶先輩は目を伏せた。
「じゃあ…彼は…駄目じゃない」
目の前に白いロープが浮かんでいることを思い出した。自ら自分の命を終えたという記事。でも私には違和感があった。ただ口に出すには何も手がかりも何もない。ただの違和感では納得してもらえないだろう。それでも伝えなければいけないことはある。
「あの…。私が夢で見たお話です。夢だから…なんの証拠もないです。あの時、あの場には他の誰かがいた…」
「え?」
「十子ちゃん?」
「誰かは見えません。彼は自分の才能を卑下してもいなかった。ただ梶先輩を愛してた。ある日、どうしてそうなったのか…。そこまでは分かりませんでしたけど…」
私はとりあえず、梶先輩に彼に対する気持ちを整理してもらうことにした。他の誰かを好きなれなかった年月。きっとずっと彼のことを考えて、想って…そして自分を責めていた。
(どうして彼をわかってあげられなかったのだろう)と。
「彼が亡くなったのは、彼のせいでも、先輩のせいでもありません」
「じゃあ…一体…誰が」と呟く。
「あの…彼の家族とか…何か知りませんか?」
「家族に…会ったのは妹さんだけ」
妹? 白いロープの太さから考えてまず無理だろう、と私は思った。梶先輩はスマホの写真フォルダーから彼の妹さんと一緒の写真を見せてもらう。そこに写っていたのは小さくて、ふわふわウエーブの高校生だった。
(あ…。だから…ふわふわの髪が好きなんだ)と。
私とその妹さんを重ねていたから、あんなに可愛がってくれたんだ、と知る。
「今は…お会いしてないんですか?」
「…そう。大分、会ってなくて」
「彼女が…何か知ってるかもしれません」
写真の彼女を見て、私はそう思った。彼女の周りにもなんだか黒い影が見える。
「早めに連絡を取って、会った方が良さそうです」
「え?」
「もう大学生? か社会人ですよね…。連絡先はご存知ですか?」
「知ってるわ。何かあったら連絡してねって私も渡してるから」と言うので、今すぐ、この目の前で連絡して欲しい、と私は頼んだ。
しばらくコール音が続いて、繋がった。
「南実さん…。お久しぶりです」と驚いたような懐かしむような声だった。
梶先輩に「なるべく早く会うように約束してください」と私はスマホでカンペを送る。営業成績トップの梶先輩は何事もないように、ごく自然な流れで週末の食事に誘った。個室のあるレストランを検索しなくてもすぐに口に出るなんて、さすがエリート営業ウーマンだ、と私は心で拍手をした。しかもアイパットで予約を取れるかチェックまでしている。すぐにネット予約を済ませて、彼女に時間を告げる。そして和やかに電話が終わった。
「十子も…行くのよね?」
「はい」と私が意気込むと「でも最初からいると警戒されない?」と梶先輩が言う。
「それはそうですけど…」と言うと「じゃあ、僕が隣の個室を予約します」と中崎さんが言った。
私はまた中崎さんと食事に行くことになった。天ぷら屋さんらしい。
(わーい)と思うことにした。
「ところで十子…具合は良くなったの?」と梶先輩に聞かれる。
「あ、すっかり」と私が言うと「具合悪いの…彼のせいだったの?」と聞かれた。
「あ…。まぁ…」と曖昧に返事をする。
「じゃあ…今はいないってこと?」
「今はいません。中崎さんがいるからじゃないですか?」
「え?」と中崎さんは目を大きく開けた。
彼はご祈祷を受けてから、ものすごくオーラが強くなっていて、時間が経っているのに、生き霊の一人もいない。
「この間、神社でご祈祷受けたから、ですかね?」と私が言うと「それは…十子ちゃんも隣にいたけど」と中崎さんが言う。
(うーん。じゃあ、なんだろ? でもオーラが強くなってるのは確かなんだけど)と私も首を傾けた。
「まぁ、元気そうでよかった」と中崎さんはため息をついた。
どうやら昨日の今日で会社を休んだので心配になったらしい。それでわざわざ梶先輩についてきて、様子を見にきてくれた。
「はー。お腹空きましたね」と私が言うと、梶先輩が「十子に戻ってよかった」と言った。
そう言えば、私は梶先輩に泣きながら愛の告白をしたのだ、と恥ずかしくなる。その上、私は梶先輩のTシャツと短パンと言う一人だけラフな格好をしていることに今気づく。二人はもちろん、ばっちりスーツ姿だった。
「じゃあ、ウーバーイーツ頼もうか?」と梶先輩が言うけど、中崎さんは「あ、僕は失礼します」と立ち上がった。
「でもさ、中崎がいなくなると十子の具合が悪くなるかもしれないんでしょ? 今日は泊まっていけば?」と梶先輩が言う。
「え?」と私を見て、なぜかオロオロしている。
「シャツ、洗濯してあげるし…。コンビニで下着買っておいで」と梶先輩が言う。
私は横でウーバーイーツのメニューを検索していた。
「…でも」
「中崎さんの食べたいもの…、ないですか? ヤンニョムチキンとか?」
「それって、十子が食べたいものでしょう」と梶先輩がくすくすと笑う。
「そうですけど…。キンパも美味しそう」と私はオーダー画面から目が離せない。
「…いいの?」と中崎さんは何故か私に聞く。
「他のが食べたいですか?」と仕方なく携帯を渡す。
「僕がいても?」となぜか私に聞く。
「なんでそんなこと言うんですか?」
気まずさはあるけど、私は健康な状態でチキンを食べたい。本当に食べたいのはチキンじゃなかったかもしれないけれど、中崎さんはヤンニョムチキンと、キンパを選んでくれる。
「あ、でもキンパの種類はプルコギキンパに…」と私が画面を覗き込みながら言うと、ようやく笑ってくれた。
イケメンは笑顔に限る、と私は思って、海鮮チヂミも追加した。
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