奏に迫るもの

第36話

ミツキが険しい表情で出ていった夜から数日経った朝。

 奏は自分の部屋にある鏡の前で制服のリボンを整えていた。今日は一学期最後の登校日。明日からは待ちに待った夏休み。いつも冷めた印象の奏でも、表情は明るい。

 夏休みは暇を持て余して短期のバイトをする予定もあるのだが、皐と出掛ける約束もしている。

 夏休みを心待ちにしながら髪を手櫛で整えていると、隣の部屋からガタン、と大きな落下音が響いた。奏は目を細めて隣の部屋がある壁を睨んで、部屋から出た。


「……まだ見つからないの?」


 ノックも無しに、隣の部屋に入る。元は父の部屋で、今はミツキが使用している場所。ミツキは自分の黒いコートのポケットをまさぐっている所だった。


「ああ……まだ見つからない」


少し疲れた表情でコートをベッドの上に放り投げる。数日前から緑色のゴムボールが無いと騒ぎだし、朝になるまで外で探し回っているのだが、まだ成果は得られていないようだ。


「そんなに大切なものなわけ?」


奏の目にはただの小汚いボールにしか見えなかった。しかし、ミツキは力無く首を振った。


「昔から持っていたものだから愛着が湧いていただけだと思うんだが、何故か手放せなくて……」

「ふぅん……変なの」

「ああ……変だな」


 ミツキは苦笑いをして前髪を手で乱した。そんなに大切なものなのか、とミツキの必死に探す様子に、奏はふと思う。


「…今日で学校最後なんだから遅刻しないように気を付けなさいよね」


 奏はそれだけ言うと、ミツキの部屋を後にした。



*****


「―それでは皆さん、良い夏休みを過ごしてくださいね」


 新田のそう言い終わったのと同時に、生徒達がわらわらと動き出す。奏も大きく伸びをして椅子から立ち上がった。


「明日から夏休みだね、奏!」

「うん、やっとだね」


 皐の笑顔に、奏は微笑んで返す。


「夏祭り、楽しみだなぁ」


 夏休みにある夏祭り。年に一度、近くの神社で行われる祭りだ。規模は小さいが、近所の人々はこの日が来るのをとても楽しみにしている。奏と皐はそれに一緒に行く約束をしていた。

 二人で仲良く話をしていると、ミツキが立ち上がってバッグを肩に掛けた。


「あ、暗野君帰るの?」

「ああ…じゃあな」


 ミツキは無愛想に軽く手を上げると、教室を出ていった。


「何か最近元気が無いね?」


 ミツキが出ていくのを見送ってから、皐は心配そうに眉を下げる。


「そう?私はいつも通りだと思うけど」


 元気がない理由を知っているが、皐に話す事をせずに素知らぬ顔をする奏。皐は「そっか…」と呟いてから笑顔を見せた。


「じゃ、帰ろうか」

「うん」


 バッグを持ち、教室を出ようと扉に手をかけようと手を伸ばす。その瞬間扉がひとりでに開いて、奏は突然の事に肩を跳ね上げた。もちろん、扉は自動ドアではない。向こう側から誰かがタイミング良く開けたのだ。

 奏は目の前にいる人物を目にして、頬をひきつらせた。


「……奏さん!」


 そこにはウェーブの長い黒髪の、スラリと背の高い垂れ目の女子が立っていた。その女子は勿論、原田奏ファンクラブ会長、大河内桜子である。桜子は目に涙を溜めて奏の手を両手で包んだ。


「明日から、夏休み―奏さんにしばらく会えないと思うと身が引き裂かれる思いですわ!」

「はは……どうも」

「ファンクラブたる者、奏さんのプライベートまでは顔を突っ込みません!奏さんも寂しくなると思いますが、また夏休み後に会いましょう…!」

「はい、また二学期に……」


 奏は作り笑顔でそれに応えた。


「あれ?ミツキさんはいないんですかぁ?」


 大河内が奏との別れを悲しんでいると、大河内の背後から美咲がひょっこりと顔を出した。


「暗野君なら帰ったよ?」

「えぇー!」


 皐の言葉に、美咲はがっくりと肩を落とした。


「別れの挨拶が出来ないなんて……ショック」


 保健室でミツキの腹黒さを目の当たりにしのだが、「腹黒さがミツキさんの格好よさをより引き立てる!」などと言い出し、ミツキ熱が更に上がった美咲。そんな美咲を、奏は呆れた表情で見やる。その瞬間―美咲のややつり上がった瞳と視線がかち合った。


「奏さんはいいなぁ…転校初日から付き合っているなんて、私には入る隙間もありませんよ~。ミツキさんをどうやって落としたか、教えてくださいよぉ!」

「え?いや、別に…」


 付き合っていないのだから、ミツキを落とすコツなんて知るはずがない。話をかわせばいいのに、目の前の美咲の真剣な眼差しを見て、真面目に困ってしまう奏。どうしよう、と視線を泳がせていると、大河内がキッと美咲を睨んだ。


「美咲!あなた私が奏さんと別れを惜しんでいるって時に…!」

「えー、桜子さん。奏さんは別に惜しんでいないと思いますけどぉ?」

「み、美咲ぃ…!」

「じゃあ奏さん、花村さん!また夏休み明けたら会いましょうねぇー」


 大河内の怒りが降りかかる前に、美咲は笑顔でそう言うと素早く走り去っていった。


「……全く、生意気になったものですわ…!」


 大河内は美咲の小さな背中を見て歯軋りして、愚痴をこぼす。どうやら美咲に手を焼いているらしい大河内。

 大河内も色々苦労しているんだ、と思っていると、大河内と目が合った。怒りの表情は何処へ行ったのか、奏に向けて優しい笑みを浮かべた。


「じゃあ、奏さん……寂しいですが、良い夏休みを過ごしてくださいね…」

「……はい、大河内さんも」


 奏の返事を受けてから、大河内は隣の皐へと視線を移した。


「―花村さんも」

「大河内さんも楽しんでくださいね」

「当然ですわ」


 皐の言葉にキッパリと言い切ると、大河内は踵を返して去っていった。

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