第30話

扉の奥で、何かが動く気配がする。しかし、中に入って来ようとせず、誰もいないのを演じて無言を貫く誰か達。ミツキは眉をヒクリと跳ね上げ、椅子から腰を上げると扉の前に立ち、それを思いきり開け放った。


「あ……」

「ありゃっ!バレたか!」

「ミ…ミツキさん……」

「……な、何ですの!いきなり……!」


 そこには皐と佐々等、美咲と大河内の四人が動揺した様子で突っ立っていた。


「……何だはこっちのセリフだ。…さっきから盗み聞きしやがって……」


 静かな声色の中に、明らかに怒気が含まれている。球技大会が終わったからか、髪型をいつものスタイルに戻した佐々等は慌てて手を思いきり横に振った。


「ぬ、盗み聞きなんてしてないぞ!俺はただ原田奏が心配で来ただけだ!」

「何をおっしゃい!私がここに来た時、一人で扉に耳をくっつけて真剣な顔で聞いていたじゃありませんか!」

「え、桜子さんこそ何言っているんですかー!私が来た時に佐々等君と一緒に耳をくっつけていたじゃないですかー!」

「私はみんなが扉に引っ付いていたから、何聞いているんだろうって思って一緒に聞いていたよ」


 みんなそれぞれ自分の言い分を言うが、皐の暢気な自白で全てをバラされる。大河内と美咲は「余計な事を…」と言いたげに皐を睨んだが、当の本人はのほほんと笑っていた。皐の暢気っぷりに怒りを削がれたミツキは呆れた様子で溜め息を吐いた。


「…ったく、仕方がないな」

「で、でも何言っているか全然分からなかったぞ!くそー…もうちょっと扉が薄かったらなぁ…」


 反省の色無く悔しそうに後頭部を掻く佐々等の額に、ミツキは無言で指を突き刺す。「あぎゃあ!」と佐々等は妙な呻き声を上げてその場に倒れ込んだ。


「……ところで、奏は大丈夫?」


 隣で倒れている佐々等をよそに、皐が心配そうに保健室の中を覗き込む。ミツキは奏のいるベッドを横目で見てから僅かに頷いた。


「……まあ、今は眠っているけど、大丈夫だ」

「本当か!?」


 早くも復活した佐々等がずいとミツキに詰め寄る。ミツキはうざったそうに佐々等の胸を押して自分から遠ざけた。


「……軽い熱中症だ。…そんなに心配する事じゃない」

「まぁ!何て白々しい事を言うんでしょう!」


 冷静に言うミツキに、大河内はビシリと人差し指を突き付けた。


「心配する事じゃないと言っておいて、奏さんが倒れそうになった時、真っ先に駆け寄ったのは誰だったかしら!?あれを見せつけておいて、そんな事を言われても全然説得力がありませんわ!」

「そうだそうだ!原田奏を看病するからって俺との試合をほったらかした癖に!ミッキーがいないチームに勝っても全然達成感が無かったぞ……ってあぎゃあ!」


 話の途中で佐々等はミツキに額を叩かれ、両手で押さえながら倒れ込む。


「お前はしばらく黙っていろ」


 そう言うミツキの指先には、佐々等の赤いピンが挟まっていた。


「……うちのクラスが負けたのか」


 ピンを手中で弄びながら、ミツキは無表情で呟く。ミツキにとって球技大会は所詮遊び。正直勝敗などどうでもよかった。


「で、でも奏さんのチームだって負けちゃったし…!」

「こら、美咲!」


 しかしミツキが落ち込んでいると勘違いした美咲がそう言うが、大河内によって頬を引っ張られて途中で遮られてしまった。


「ふぅん。奏の方も負けたの?」

「そうだよ。やっぱりそうは上手くいかないよね…」


 しょんぼりとそう言いながら、皐はすぐに頬を膨らませて怒りを表現する。


「元はといえば、暗野君が奏を寝不足にしたんでしょ?こうなったのは暗野君のせいだよ?」

「まぁ!!」


 それを聞いた大河内は眉を吊り上げてミツキに詰め寄った。


「奏さんを寝不足にするなんて…!一体あなたは何をさせたっていうんですの!?」

「え……いや、別に」


 一緒にキャッチボールしていただけだけど…と言おうとして、ミツキはある事を閃いて口角を上げた。


「そうだな。奏が寝不足なのは俺のせいだ」

「だーかーら!どうして奏さんを寝不足にしたかって聞いておりますのよ!」


 ミツキはやれやれ、と言いたげに首を横に振った。


「男と女が夜やる事は……一つしかないだろ?」

「………え」

「………!」

「………あ」


 理解するのにしばらく掛かったが、徐々に顔に熱が集まっていく女三人衆。何も言えずに、口をパクパクとさせていると、ピンを外された佐々等がむくりと起き上がった。


「……それはもちろんセ」

「言わなくて結構ですっ!!」


 ヤバイ単語を言おうとした佐々等に大河内は平手打ちをかました。佐々等は再び力無く倒れた。


「な、ななな……奏さんがそんな事をするわけがありませんわ!」


 大河内は平静を装っているが、明らかに瞬きが多くなっているし、唇も震えている。その様子を見たミツキは、一瞬だけ悪どく笑った後、わざとらしく肩を竦めた。


「……そんな風に思っているの、お前くらいだよ。…前に言っていたの聞いていただろう?俺と奏は付き合っているって」

「そんなの嘘ですわ!どう見てもあなたは奏さんのタイプじゃあ…!」

「それはお前の中の理想化した奏の姿。本当は俺みたいなのが好きなんだよ。彼氏の俺が言うんだ。俺の方が信憑性あるだろう?」


 大河内は悔しそうに口をつぐむ。どうやら図星らしい。


「……ふぁんくらぶの会長なんか辞めて、彼氏でも作ったらどうだ」

「だ……だまらっしゃい!」


 大河内は顔を真っ赤にして怒鳴った。


「み、ミツキさぁん……やっぱり奏さんと付き合っているんですかぁ…?」


 美咲が目を潤ませながら尋ねる。大河内と同じく、ミツキと奏の仲を疑っていたらしい。二人とも大正解なのだが。


「何度も聞いているだろ?しつこい奴は嫌いだよ」


 もう猫を被るのに飽きたのか、人当たりの良い笑顔で棘のある言葉を放つミツキ。初めて見るミツキに、美咲はビクリと肩を跳ね上げて大河内の後ろに隠れた。


「……そろそろいなくなってくれないか?俺と奏の二人の時間を邪魔するなよ」

「…くぅっ!」


 大河内は悔しそうに歯噛みする。その時、風がふわりと大河内の長い髪を撫でた。自然に風が吹いてきた保健室の方を向く。

 奥のベッドが膨らんでいる。そこに奏が眠っていると気付いた大河内は、ミツキをどかして保健室に足を踏み入れた。その垂れ目がちな瞳が、保健室の奥のベッドで、穏やかな表情で眠る奏を映した。

 窓から吹かれる風に、奏の前髪がなびいている。あんなに穏やかな表情を大河内は見た事がなかった。奏はいつも眉間に皺を寄せていて、笑う表情はいつも何処かひきつっていて。窓際で寝ている顔も、不機嫌そうで。優しい表情なんて彼女にはないんだと思っていた。だが、目の前の奏は優しい表情で眠っている。


「桜子さん?」

「…行きますわよ、美咲」


 保健室から出て、美咲の腕を持ってミツキに背を向ける大河内。美咲は「え?」と不思議そうに大河内を見上げた。


「ファンクラブの会長たるもの、奏さんの意思を尊重するべき……あなたも同じですわ、美咲。暗野ミツキの意思を尊重するのです」


 美咲は何か言いたげな表情をしたが、すぐに口元をキュッと結んだ。大河内は美咲を連れて数歩進んだが、突然ピタリと止まった。


「…暗野ミツキ」

「何だ?」


 名前を呼ばれ、ミツキは間を置いて返事をする。すると大河内が長い髪を揺らして思いきり振り返った。


「……奏さんとの仲は認めます。でも、もし奏さんを泣かせるような事をしたらこの大河内桜子が許しませんからね!」


 それだけ言うと、大河内はプイッと前を向いて嫌がる美咲を連れて去っていった。


「……行っちゃったね」


 今まで黙っていた皐がぽつりと呟く。ずっと廊下に寝転がっていた佐々等も、その声と同時に起き上がる。佐々等はピンを取られてすっかり大人しくなっていた。


「今の話、嘘でしょ」


 佐々等の抑揚のない声に、ミツキは眉を潜めた。


「…あ?何の事だ?」

「…原田奏の寝不足の理由……」


 ミツキは仏頂面で佐々等から視線を反らした。


「あ、私もそう思った。だって奏、あんなに球技大会にやる気だったのに、その前日にそんな事するわけないもん」


 にこにこと笑いながら言う皐。その表情を見た時、ミツキはふと思い出す。奏は皐に、ミツキと付き合っていないと誤解を解いている。皐はミツキの言葉が嘘だという事は分かっていたはずなのだ。


「……お前、もしかして俺にそう言わせて奴らを帰すように仕向けたか?」


 だとしたらふんわりと笑う皐からは想像できない計算高さだ。皐はきょとんとしてから、いたずらっ子のように笑った。


「そんな事するわけないじゃん!-でも騒いでいたら奏が起きちゃうから早く帰っては欲しかったけどね」


 皐の黒さが少し垣間見えた瞬間だった。


「じゃあ暗野君、私今日は早く帰らなくちゃだから、奏の事よろしくね?」

「……ああ」


 皐は笑顔で手を振ると、廊下を小走りで去っていった。

 皐が去った事により、廊下には長身の男二人が取り残される。ミツキは無言で保健室に戻ろうとしたが、


「……ミッキー」


 佐々等に呼び止められ、足を止めた。


「…何だ?」


 佐々等と話すのが正直面倒くさいミツキは、背を向けたまま気だるい声で返事をする。


「……前にお前に吸血鬼か、って聞いた事あるだろう…?」


 吸血鬼、という言葉にミツキはピクリと反応して首だけ佐々等に向ける。佐々等は眠たげな瞳でミツキを真っ直ぐと見据えていた。


「…ミッキーなら俺が当てずっぽうで言ったわけじゃないと、気付いているよね…?」

「…何が言いたい?」

「原田奏には言ったけど、俺は吸血鬼に会った事がある」

「!」


 佐々等の言葉に、ミツキは僅かに目を見開く。しかし佐々等に動揺を悟られまいと、すぐにその表情を隠した。


「…小さい頃、俺の友達がある吸血鬼に血を吸われた。髪の長い、真っ黒な格好をした吸血鬼だった」


 遠い目で、昔を思い返してから、目の前のミツキを睨んだ。力の無い瞳ではなく、生気の宿った瞳で。


「…それが、ミッキー……お前に似ているような気がしたんだ……」

「………」


 二人の間に、沈黙が訪れる。人の気配もせず、ただ紅い光が差し込む廊下。ミツキは言葉を発する事なく、佐々等を冷めた目で睨んでいる。この険悪な空気の中、しばらくしてから―佐々等は急にニコリと笑った。


「…まぁ、昔の話だからそいつの顔も曖昧なんだけど。ミッキーとそいつが似ていると思ったのは、俺の直感だから、もしかしたら間違っているかもしれないし」


 険悪な空気を作り出したにも関わらず、あっさりとその空気を破壊した佐々等に、ミツキは眉間に皺を寄せる。


「お前、結局何が言いたいんだ…?」

「さぁ…何だったかな…?」


 佐々等は首を傾げて考え込む。それがわざとなのか、天然なのか、ミツキには知る由もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る