第9話
授業が終わり、休み時間。奏は屋上で寝転がっていた。視界の一面は真っ青な空で、雲一つない晴天だ。一方奏は曇った表情を浮かべている。奏の心に雲を覆うのは、もちろん転校生の吸血鬼、ミツキ。
「……もう、何なのよ」
あれからミツキは自分の知っている【ジュギョー】の通りに真面目に塚原の話を聞き、黒板の文字をノートに書き写した。恨みだけで学校に来たのなら、そんなに真面目に授業なんて受けなくていいのに。吸血鬼の考えている事が分からない。今はまたクラスメイトに囲まれているのだろう。
教室にいると、ミツキの恋人だと疑われている自分も巻き込まれると思い、皐にも気付かれないように奏は屋上に避難してきたのだ。ここなら、誰にも邪魔されずにゆっくりとできる。奏はゆっくりと目を瞑る。このまま今日はサボってしまおうか。
訪れた睡魔に身を委ねようとした時……
「ああっ、原田奏じゃないかっ!!」
聞き覚えのある惚けた声に、奏は一瞬で眠気が醒めた。目を開けると、奏の顔を覗き込むように身体を屈める佐々等の姿があった。
「お前、何でこんな所にいるんだ!?」
目をキラキラさせながら佐々等はどんどんと顔を近付けてくる。
「ちょっ…近い!」
「むがっ」
奏は佐々等の顔を掴んでこれ以上近付いてくるのを阻止した。
「……屋上なら静かだと思ってきたのに、教室より騒がしいなんて…」
佐々等の顔を押し返しながら奏は起き上がる。
「え?静かだろ!」
佐々等は力任せに押された顔を撫でながら、キョトンとした顔で首を傾げる。
「……あんたのうるささは一クラス以上あるでしょ」
「失礼だなー!せめて十人分くらいだろ!」
どうやら自分のうるささは自覚しているらしい。まだ今日が始まったばかりなのに、もうこんなに体力を消耗するなんて。奏はげんなりとした表情で佐々等を見る。佐々等は何が楽しいのか、ニコニコと笑っている。
「あんたこそ…何でここにいるの?」
すると佐々等は胸を張りながら誇らしく言う。
「ここは俺の第二の家だ!」
「……第二の家ぇ?」
奏は胡散臭そうに聞き返す。佐々等はコクリと頷いて両手を広げた。
「そう、家のように落ち着ける場所…それがここだ!」
つまり、奏はのこのこと佐々等の第二の家に上がり込んでいたという事のようだ。図書室にしとけば良かった、と奏は選択を誤った事を後悔した。
「……無断で家にお邪魔してすみませんでした。…じゃ」
もっと安らげる場所に行こうと思い、くるりと背を向ける奏。
「待て待て!どこに行く原田奏!」
佐々等は焦ったように奏の前に立って道を塞いだ。
「どこって…安らげる場所だけど」
「ここがまさしくそれだろ!原田奏だったら俺の唯一認めた男だからくつろいでいっていいんだぞ!」
「……あんたがいたら、くつろげる場所もくつろげないし、何より私女だから」
「大丈夫だ!そこら辺は気にするな!」
ビシッと親指を立てる佐々等。そこら辺には奏を男と間違えた所も入っているような気がしてならない。その親指を折ってやろうかと思ったが、何とか思いとどめた。
「…そんな事より!俺は原田奏に聞きたい事があったんだよ!」
佐々等は突然そう言うと、幾分か真剣な表情で奏の両肩を勢い良く持った。
「な…何」
突然の佐々等の変貌ぶりと、話の変わりように目をぱちくりさせる奏。いつもヘラヘラしている佐々等が真剣な表情をしていると、余程の事を聞こうとしているのかと感じ、思わず身構える。
「……お前」
佐々等は二重の大きな眼を細めた。
「先週の金曜日、原田奏の秘密を聞こうとしたのに、何で逃げたんだ!?」
佐々等は不服そうに口を尖らせる。
彼の聞きたい事があまりにもバカバカしいものだったので、奏は身体の緊張を解いて呆れたようにため息を吐いた。
「……あんたと話すのが面倒くさいから」
「ひでぇな!」
口ではそう言うが、佐々等は特に傷付いた様子もなく、へらりと笑った。
女達は、この男のどこが気に入って近寄るのだろう。顔は確かに良いとは思うが、この脳天気さと馬鹿さ加減。女心だって分かりそうにない男だというのに。奏には到底理解が出来なかった。
「……それより、そろそろ離してくれる?」
奏は両肩を持つ佐々等の手を指で軽く叩く。しかし、佐々等は首を横に振った。
「いや、今日こそは…今日こそはっ!お前の秘密を知るまで帰さないぞ!」
「だから、私は何もしていないし、気付いたら喧嘩が強かっただけだって…」
「そんなわけあるかっ!教えろ、原田奏!……さぁ!」
奏は息を短く吐くと、佐々等の左腕を素早く持ち上げて捻り上げた。
「いだだだだっ!」
佐々等は悲鳴を上げながら開いた右腕をパタパタと苦しそうにもがかせる。奏は冷めた目で佐々等の左腕を見つめた。
「……あんまりしつこいと……その口聞かせないようにするよ?」
「ぎっ…ギブギブ!」
佐々等が降参しようと、床を叩く真似をしようとした時―
「随分と言っていた事と違うじゃないか」
遠くでガヤガヤと学校の喧騒が聞こえる中、屋上で少し低めな声が響いた。奏と佐々等は同時に屋上の入り口に顔を向ける。そこには腕を組んで意地悪そうに笑うミツキの姿があった。
奏はとても嫌そうに顔を歪め、佐々等は初めて見る顔に腕を捻られた形のままキョトンとした。
「……おニィさん、誰?」
同じ歳のはずだが、あまりにも大人らしく見えたのか、ミツキをおニィさんと呼ぶ佐々等。ミツキは瞬時に意地悪い笑みを引っ込めてよそ行きの笑顔を見せた。
「初めまして。今日奏のクラスに転校してきた暗野ミツキです」
「えええっ!!」
ミツキが礼儀正しく軽く会釈すると、佐々等が間抜けな声を上げた。
「!」
「いだだっ!」
突然近くで大声を上げられた奏は驚き、思わず腕を捻る力を込めてしまい、佐々等から苦痛の声が漏れる。
「男の腕を捻るなんて…大人しいとか言っていたのは誰だ?」
それを静かに見ていたミツキは、涙目になっている佐々等を目を向けてから、目を細めて奏を見る。
「……」
奏が顔をしかめて腕を解放すると、佐々等は奏から少し距離をとって捻られた左腕をいたわるようにさすった。
「原田奏!これ絶対痣になっているぞ!慰謝料の代わりに秘密をよこせ!」
明らかにおかしい要求をする佐々等の頭に手刀を食らわせた後、拳を構えならミツキの方を向く。
「……こんな所まで、何の用?」
「いや、奏がどこにいるのか気になってね」
嘘臭い笑みを浮かべて言うミツキに、奏は眉をひそめた。奏が教室を出た時、ミツキはクラスメイトに囲まれていた。屋上に来るまでだって、誰にもつけられている気配はしなかった。行き先は皐にすら言っていないし、屋上なんて今日初めて来たから予測して屋上を選べるとは思えない。なのに、何故この男はここにいるのが分かったのだろう。疑問が顔に出ていたようで、察したミツキは自分の鼻を軽く叩いた。
「普通の人間とは、造りが違うんでね」
「!」
ミツキが何を言ったか、すぐに理解した。吸血鬼は、鼻が利くのだろう。奏の匂いを辿ってここまで来た。奏は逃げ場所を奪われたような気分になる。どこへ行っても吸血鬼には何処にいるかが分かってしまう。もう、逃げられない。
「……っていうか!」
佐々等の大声で奏の思考が遮断される。気付くと佐々等はミツキに詰め寄っていた。
知らないといっても、相手は吸血鬼。多分攻撃とかはしないだろうが、何て命知らずなのだろう。無知は時に凶器になる。佐々等は舐めるように涼しい表情のミツキをジロジロと見ている。しばらくしてから、佐々等がようやく口を開いた。
「おニィさんさぁ…」
「名前でいい。一応、お前と同年代の設定だし」
「設定?お前変な事言うんだなー!」
佐々等は特に気にした素振りを見せずに笑い飛ばしたが、奏はミツキの数少ない情報を得、すぐに頭の中で考える。
設定という事は…吸血鬼は少なくとも同い年ではないという事だ。自分の中の知識では、吸血鬼は不老不死というわけだけど、そうなのだろうか。だが、物語の中の吸血鬼は太陽の光を浴びると灰になる場合が多いが、太陽の下のミツキはピンピンしている。奏の知っている人の創作の吸血鬼とは…少し違う。
「あのさ、さっきから気になっていたんだけど。原田奏の事、呼び捨てにしているけど、お前原田奏の何なんだ?」
突然自分の名前が出て奏は顔を上げたが、佐々等は後頭部しか見えなかったので、表情は確認できなかった。ミツキはうっすらと笑みを浮かべた。
「……何、気になるわけ?」
「気になるに決まっているだろ!原田奏は俺の認めた女だからな!」
また言っているよ、と奏は頭痛が酷くなり、頭を抱える。奏は佐々等が自分の事を【男】ではなく、【女】だと言ったのに気づく事ができなかった。
「ふぅん……」
ミツキは顎に手を当てて考える素振りを見せて、佐々等を下から上へと舐めるように見る。
「……もしかして、お前が佐々等和希?」
視線がかち合った所で、ミツキがそう聞くと、佐々等は「ええっ!?」と大袈裟に後ずさって驚いて見せた。
「な、何で俺の名前知っているんだ!?」
「これ、お前が書いたんだろう?」
そう言って懐から取り出したのは、果たし状だった。
「あっ…あんた、まだ持って……!」
「ななななっ…何でお前が持っているんだ!」
奏が言い終わる前に、佐々等がミツキから素早くひったくり、そしてポケットに無理やり突っ込んだ。
「いやあ、ちょっと参考にさせてもらったっていうか」
「……参考?」
何だろう、嫌な予感がする。鳥肌が立つ腕をさすっていると、突然ミツキがこちらを向いて、奏の目の前に立った。
ミツキはにこりと憎たらしいくらい爽やかな笑みを見せると、懐から白い封筒を取り出し、
「はい、これ」
と軽い口調で奏に手渡した。奏は反射的にそれを受け取ってしまう。
そして―
「……………!」
その封筒に書かれた文字に、思わず目を見開く。
「もっもしかしてそれって……!」
佐々等がやけに焦った様子で封筒を覗き込む。
そこには、綺麗な字で【果たし状】と書かれていた。
「意味、分かるよね?」
まるで生徒に問いかける教師のように聞くミツキ。馬鹿にされたような気がして、奏はピクリと片眉を跳ね上げた。
「こんな意味のない果たし合いなんて受けるわけがないでしょ…!」
「まあまあ」
果たし状を叩き落とそうとする手を掴んでミツキは甘い声で奏に囁く。
「もし、これで俺が負けたら何でも言うことを聞くと言ったら?」
「!」
奏は思わずミツキの顔を見上げる。その瞳が赤く輝いているのを見て、奏は吸血鬼の俊敏な動きを思い出す。
昨日あんなスピードを見せつけられて、勝負を受けるなんて、わざわざ負けに行くようなものじゃないの?
「もしかして歯が立たないと思っている?大丈夫だよ。太陽あるからそれなりに動きは鈍くなっているし」
顔に出ていたのか、人差し指を立てて自分の不利な情報を流すミツキ。だが、その話を聞いて素直に喜べるわけがなく、奏は考え込む。
やはり太陽は大丈夫、というわけではないみたいだ。だが、簡単に自分の不利な情報を喋るっていう事は、そんなに重荷にはならないって事では?消極的な考えの奏を察したのか、ミツキはくつり、と喉の奥で笑って顎を軽く上げる。
「諦める?潔く負けを認める?」
「……何ですって?」
その一言で、奏の口元がヒクリと引きつった。今まで保っていた理性が一気に崩れ落ちる。こんなに馬鹿にされた事はない。ここで断ったら、彼はいい気になるに違いない。これ以上、吸血鬼の好きにさせるわけにはいかない。
「いいよ…この果たし合い、受けて立つ。もし私が勝ったら……この学校から……私の前から消えてもらう」
それを聞いて、ミツキは瞳を赤くして怪しく微笑んだ。
「おいっ!果たし状ってどういう事なんだ!?太陽で動き鈍くなるとか意味分かんないぞ!」
屋上にて、ただ一人状況を理解できない女たらしの男の叫びが虚しく響き渡った
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